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月替わりコラム

道の果てから

Vol.4('00.1) Age30

 この24日に、30歳を迎えました。
 まだまだ20代前半、の気分で毎日を過ごしている僕ですが、さすがに30になったという事実を突きつけられると、少し愕然としたりなんかします。
 周りの動きも気になり出します。友人も次々結婚していくし、子供の写真がはいった年賀状も何枚か送られてきています。20代ではまだ余裕をかましていましたが、30歳を迎えて結婚適齢期の終わりに近づくといった感じがいよいよ強まってきました。40へのカウントダウンが始まった、とでも申しましょうか。
 正直なところ、結婚には強い願望を感じます。好きな異性と一緒に時間を過ごせるということは、この世に生き物として生まれて最大の喜びです。周囲の結婚したカップルを見ると、この上なくうらやましいです。
 でもこのままではいつまで経っても巡り会えないもしれない。特に会社内では40歳を過ぎても独身の人が多いようですから、なおさら強く感じます。あんなふうにはなりたくない、と。どこかにタイプの人はいないかなあ。これから一層の努力が必要になってきますね。

 30年間の過去を少し振り返ってみることにします。最初の10年間は幼児期から小学校時代。まだ何も分からない1人の子供でした。近所の森へ虫取りに行ったり、夏は隣町のプールに出かけたり、めんこ遊びをやったり、電車の絵を描いたり、とにかく1日1日を何の気もなく遊んで過ごしていました。学校内の成績はいつも上位でしたが、宿題にいつも苦しめられていました。大人からすると簡単に解けてしまう問題も、子供にとっては分からないものです。
 次の10年で小学校を卒業し中学、高校、そして大学と進みます。わずか10年の間に、4つも学校を回ったのですね。中学校で学生服を着て、校則で坊主刈り頭になったこと。小学校と同じメンバーなのに、学校や先生といった周りの環境が変わるとずいぶん違った雰囲気でした。塾通いも始まり、やがて学年全体が受験戦争の中に入って行きます。そして第一志望の県立高校に落ち、傷心を負いながら都内の私立高に入学します。
 高校は男子校、進学校でいつもぎすぎすした雰囲気でした。灰色の青春、というやつでしょうか。その中で唯一、鉄道研究会での活動には熱を入れました。子供の頃から電車が好きだった僕にとって、高校の鉄道研究会は憧れでした。高校を選ぶのに鉄道研究会があるかどうかを基準にして決めたくらいです。夏休みに西日本や九州を旅行したり、学園祭で鉄道模型レイアウトを作ったり、思い出は数多いです。
 高校卒業後、1年間浪人して都内の予備校に通い、そして大学に入学します。今まで、高校卒業までと比べると、それは自由な雰囲気で、大学ではその自由を思い切り満喫しました。朝寝坊するのも、講義を欠席するのも自由ですし(笑)。ちょうどこの年、東欧諸国が次々民主化されていきましたが、立場が違うとはいえ彼の国の民衆の気持ちがよく分かった年でした。
 20歳を迎えたとき、僕は大学1年生でした。市から成人式の実行委員を任され、司会進行役を引き受けました。同期生約700名の前でしゃべったのも思い出です。

 その日からも、早や10年が経ちました。就職先がなかなか見つからず苦心しながらも、23歳で大学を卒業します。就職した会社は従業員数200人足らずの小さな企業でした。SE志望で入社したものの、最初は営業担当となり、それも1年で今度は総務に配転となります。総務を4年間担当し、会社の運営の裏側までよく分かるようになり、いよいよこれから、という矢先の28の春、グループの人事異動で親会社に転勤となり、現在に至っています。
 思えば10年間は長いのか短いのか。変化の激しかった10代。社会人になってから毎日の生活がパターン化された20代。いずれにしても、今過ごしている1日1日がかけがえのないものであることには変わりありません。
 これから10年間、どのような毎日になってゆくのでしょうか。恐らくは仕事に追われる毎日が続くのでしょうが、そんな中でも自分らしさを見失いたくはないと思います。少しでも時間を取って、このページの文を作ったり、トレインサイドビューの電車の絵を作ったり、山に登ったり旅行に出たり体を動かしたりして、そしてできることなら素敵な人と巡り会えるようにして、この貴重な毎日を充実したものにしたいと思います。
 それが、30歳を迎えた僕の、これから10年間に向けての抱負であります。

平成12年1月25日

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