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週観 道の果てから

5月28日 パソコンの電池を替えてみる

 今週は会社の忙しいスケジュールもようやく落ち着いてきまして、水曜日は計画年次を取らせてもらいました。先々週は徹夜までしたのですから、年休の権利を1回ぐらい使わせてくれたっていいものですよね。

 僕は個人で2台パソコンを持っています。
 どちらも富士通FMVシリーズで、メインで使用しているデスクトップはCPUが66MHz、
 携帯用として使っているもう1台は133MHzです。
 片や今年で5年生、もう1台も使い始めてまる1年ですが、中古で買っているので製造からは2年半が経とうとしています。実に長持ちしています。

 このうちノートパソコンの方のシステム時計が、電源をOFFにするたびに時間が狂って表示するようになりました。
 筆者の経験から、内蔵されている電池が原因だろうと判断、本体を分解し内蔵電池を探します。電池自体はRAMモジュールの近くにすぐに見つかったのですが、黄色いビニールに包まれた上電池そのものも端子と半田付けされているようで、おいそれと外れる様子はありません。
 ともかく電池の種類(CR2032)を控え、行き付けの電気屋で購入します。
 電池を購入したら、早速交換作業。接着されている端子と電池を引き離そうと30分苦闘した挙げ句、結局はあきらめてニッパーでリード線を切ることにしました。そして配線と電池をテープで止めて包み、1時間で作業終了。システム時計は無事復旧することができました。

 で、その筆者の経験とは、これより以前にデスクトップの方もシステム時計が停止したことがあり、このときは対処法が分からず、マニュアルを見ても何も記されていなかったので、最寄りの修理窓口まで持ち込むことにしました。
 その持ち込むのが厄介な作業。本体10数kgにもなる重たい一体型デスクトップですから、持ち運びには当然車が必要です。しかも持ち込んだ日が大雨の日。傘をさして本体が濡れないように気を付けながら、車で1時間かけてやっとの思いで修理窓口に持ち込みました。
 昼休みにもかかわらず見てくださった窓口担当者の方は、すぐに内蔵電池の不具合と判断されました。
 しかしその内蔵電池が
   「市販のボタン型電池」
 ということは、筆者も考えには及びませんでした。
 そもそもこの手の内蔵電池って、普通の人はパソコン専用の特殊構造のバッテリーだと思うでしょう。
 それがどっこい、まさかのボタン型電池だったりするので、思いっきり拍子抜けしてしまいました。
 重たい思いをして窓口までデスクトップパソコンを運び込んだ苦労は何だったのだろう、と。
 このときは後でカメラ店で電池を買って交換し、復旧させています。ちなみにデスクトップの場合、電池は本体のマザーボードの上にセットされています。

 まあ、システム時計の異常表示は、内蔵ボタン型電池の交換で足りるということが言いたかったのですが、
 マニュアルを見ても、時計の表示や「CMOSバッテリー不良」への対処法について何も記されていないか、「お近くのサービスセンターまでご相談ください」と記載されているかのどちらかです。
 必要な部品の交換が市販のボタン型電池程度ならば、十分ユーザーレベルでできると思います。
 メモリーの増設については丁寧に説明されているのに、バックアップ電池の交換に付いて説明がないのは初心者ユーザーに対して不親切だと思うのですが。それから修理窓口の方にとっても余分な仕事を増やしています。
 せめてマニュアルに交換方法を記してくれれば、わざわざ本体を窓口まで持ち込む手間はなくなり、ユーザーにも窓口にもメリットは大きいと思います。ぜひご検討くださいね>>富士通パソコンマニュアル担当者様。


5月21日 前首相が亡くなったこと。

 今週も、引き続き忙しい1週間でしたが、少しは落ち着いた感じがします。

 先週の日曜日は休日出勤して、最終電車まで仕事をしていましたが、その帰りの山手線、6つドアの車両に付いている文字放送を何気なく眺めていると、

 「小渕前首相 死去」

の文字が目に飛び込んできました。
 脳梗塞で入院したのが先月早々のこと、そして間もなく「意識不明」と発表され、これは一大事だ、とばかりに大いにその病状を心配しておりました。すぐに後任首相が決定して引き継がれ、かつての大平首相のように現職在任中、ではなくなったのが幸いですが....(といってもあまり幸いではない)。
 個人的にはあまり政治には興味がないのですが、小渕前首相個人については、他の歴代首相よりどこか親近感がありました。
 所かまわず思ったところにあちこち電話をかけまくる「ブッチホン」。今年に入って生放送中のTV番組や、サミットのテーマ曲依頼で小室哲哉氏にまで電話を入れるなど、なお一層パワーアップしたようでした。「パフォーマンス」と冷ややかに見る向きもありましたが、裏返せばそれだけいろいろな人との交流を大切にしたい、
という考え方を、自ら行動によって実践されたのでしょうか。
 それから高級料亭よりもB級グルメがお好きだったようです。ある雑誌でこの件を取り上げて、「小渕さん、あなたほど庶民派の宰相はかつておりませんでした」とほめたたえていました。「冷めたピザ」発言もこの辺りに通じるものがあるのでしょう。
 他の歴代首相よりも、一般国民に近い位置に立って活動されていた。それこそが小渕さんに対する親近感の理由だと思います。
 しかし、そんな庶民派宰相には総理大臣というポストは激務だったのでしょう。さらにその上で各方面に気遣いや心配をされたり、さぞかし大変な仕事をされたことと思います。
 今はただ、小渕さんのご冥福をお祈りするばかりです。そして、後任の森首相には、九州・沖縄サミットを始めとして、小渕さんの遺志をしっかりと継いでいただきたい、と願っております。


5月13日 インターネットと睡眠時間との関係。

 いやはや、しんどい1週間でした。
 事務所が移転して、組織体制が変わって、しかも予算の策定時期で。
 仕事は山積み状態。連日深夜残業で、
 水曜日には初めて徹夜残、徹夜明け通常勤務をやってしまいました。
 その晩はさすがに早く帰り、8時間余りたっぷり寝ましたが、
 それでも疲れは取りきれない状況で、昨日も遅くまで残業して、まだ積み残しています。

 残業を切り上げ、帰りの電車で缶チューハイを1本空けて、ほろ酔い気分で帰宅した僕の目に1つの新聞記事が留まりました。
 「インターネットで生活変わる」
 「利用してる25%−−−睡眠減った36% TV減った34%」
 記事の内容を要約すると、東大社会情報研究所の調査で、職場や自宅でインターネットを利用している人の割合が24.5%に達し、さらに利用者のうち33.8%が「テレビを見る時間が減った」、36.1%が「睡眠時間が減った」、23.4%が「電話の回数が減った」と答え、46.5%が1日1回以上電子メールを利用、31.5%が「インターネットのない生活は考えられない」と回答したとのこと。
 インターネットがこれだけ普及すれば、生活に与える影響は確かに計り知れません。パソコン端末からチケットの予約ができたり、見知らぬ人と掲示板で会話できたり、それは在来メディアのテレビや電話などにはない魅力で、時代が生んだ新しいエンタテイメントに他なりません。
 でも睡眠時間を削ってまでインターネットに打ち込めるか、というと、僕はその気にはならないですね。
 平日でも6時間半は必ず睡眠を取り、行きの電車でも座って睡眠時間を確保する。休日は8時間以上寝る。とにかく寝るのが好きです。
 というか、睡眠欲は生物の生理的欲求の1つであり、これがあるからこそ健康な生活が送れるのではないのでしょうか。僕の場合、睡眠不足になると身体に不調を来し、昼間もまともに仕事できなくなるので、寝られるときにつとめて寝るようにしているのですが。
 それから夜は遅くまで起きてテレホタイムを待ってまでするほどのことではないと思っています。電話は混雑しているし、つながってもダウンロードに時間がかかるし。逆にテレホ時間を避けてもっぱら土曜休日昼間にアクセスいるくらいです。

 ともかく昨晩も記事を読んだ後、睡魔がやってきて、さっさと寝床についてしまいました。
 今この文は翌朝目覚めたところで打ち込んでいます。
 皆様の場合はいかがでしょうか。夜遅くなってもネットは欠かせないか、それとも僕と同じように、睡眠は確保したいか。興味あるところです。

 (記事:平成12年5月12日付け朝日新聞夕刊より)


5月6日 フロッピーが、大量に捨てられていた。

 ただいま5連休中。
 その直前に、会社事務所がお引越しをしまして、
 こちら予算管理部門は4月はただでさえ忙しいというのに、引越しの準備なども加わっててんてこまいでした。
 引越しといっても、同じ地域内の別のビルへ、ほんの数百メートルですが。
 フロアを他の会社が使いたいとかで、追い出される格好です。
 しかも移転先のビルはもっと古い建物で、「....ビルヂング」(ちにてんてん!?)という名が付いたりします。

 引越しの当日。廊下ではコンテナーに詰められた大量の荷物が、搬出されるのを待っています。
 そしてその横には廃棄物置き場があり、書類を始めとするありとあらゆるごみが山積みされています。
 その書類とともに、約数百枚にも上る大量のフロッピーディスクが捨てられていました。
 内容は客先提供用のプログラム、営業部門の実績管理用データ、ワープロソフトの文書データなど様々で、容量も2DD,2HDが混在していますが、これが集まって数百枚のレベルで山積みされると圧巻です。

 こうして山積み状態で廃棄されるフロッピーを見て、フロッピーの時代も終わってしまったんだなあ、とつくづく感じずにはいられませんでした。
 今やデータの保存や受け渡しはCDやMOが当然の時代。大容量化も進み、MOでは1.3GBまで入る「Gigamo」なんていう規格もあります。ハードディスクに至っては20,30GBは当たり前。2年前では2GBのディスクが3万円だったのに、現在は同じ値段で20GBが買えます。恐ろしく技術は進歩しています。
 思い起こせば僕が会社に入社した7年前、社内にはパソコンというものはほんの数台しかなく、ワープロが2〜3人に1台の割合で配置されていました。文字ベースのパソコン通信が最新トレンドだった時代です。
 それが2年経つとWindowsパソコンの配布が本格化し、また社内でイントラネットを組んでホームページを作るようにもなりました。OSも3.1から95にバージョンアップし、LAN回線で結んでネットワーク化が進んでいます。
 ディスク容量もそれに見合って大容量化してきました。10年前のパソコンは白黒画面で、ハードディスクがオプションの機種があったりしたのですが、それがカラーになり、ハードディスクも標準装備となってきました。僕が最初に使っていたカラーのノートパソコン(Win3.1)はハードディスクが80MBでした。
 それがWin95対応でディスク容量が多く必要になって500MBを超えるようになり、さらにソフトの容量も大きくなって1GBを軽く突破しました。データの受け渡しも1MB余りしか入らないフロッピーに代わってMOを始めとする大容量記憶媒体が次々と開発されました。
 そして今は映像の時代。インターネットが映像を扱うようになり、そして映像ソースが大きなディスク容量を必要とするために、大容量化のペースは一気に上がったようです。

 会社ではデータのバックアップはMOで取るのが一般的になりつつあります。MOの容量は540MB。これだけでもフロッピー約375枚分に相当します。スペース的にもフロッピー375枚とMO1枚では、MOの方がはるかにスマートなのは言うまでもないでしょう。あれだけ山積みしてあった廃棄フロッピーも、MOに換算するとほんの2〜3枚で済んでしまうのです。
 こんなことを考えている自分って、やはり時代に乗り遅れたパソコンユーザーなのでしょうか。

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