スペースシャトル墜落に続き、18日には韓国の地下鉄で放火事件が起き、130人以上の死者を出す大惨事になりました。
スペースシャトルのときも衝撃でしたが、我々一般市民が日常的に使っている地下鉄に火がつけられたのですから、現実にいつでも起こり得るのですから、恐怖も倍増します。
もしいつも利用している通勤電車に火がつけられたら....。想像するだけで身の毛がよだちます。
幸いにもここ30年では、日本では列車の火災で死者が出る事態は一度もありませんが、これも遠い過去に多数の死者を出す火災を幾度も経験し、その反省から世界的にも厳しい不燃基準をすべての新造車両に適用したからこそのことだそうです。この基準では、たとえ燃料をかけて火をつけられたとしても延焼することなく自然に鎮火する、とニュースは伝えています。
だとすると今回の場合、2編成12両もの電車が一瞬にして火だるまになったのですから、内装に燃えやすい素材を使っていたとしか考えられません。
韓国は恐ろしい国ですね。過去にも突然崩壊するデパートとか、老朽化して落ちた橋とかあったし。
公共工事にどんな手抜きがされているか分かりません。
まあ気にしていたら海外旅行にも行けなくなりますが....。
今月は3件とも人の死を話題とすることになってしまいました。残念なこととは思いますが。
他にもアメリカではクラブが全焼して多数の焼死者が出たり。
改めてご冥福をお祈りいたします。
先週は1回お休みとさせていただきました。
というのも、実は父が突然、この世を去ったからです。
70歳を越え、人並みに長い人生を歩んできた父でしたが、
この数年は喘息を患っていて、時たま救急車騒ぎになることがありました。
一時は自宅に酸素吸入用の大きな医療機械を持ち込んで療養していたこともありました。
最後の数日は落ち着いていて、時に自転車で外出することもありましたが、
真夜中に呼吸困難になり、救急車で運ばれるうちに息を引き取りました。
突然の出来事に、家族親類一同が連日のように集まっては大騒ぎ。
その日の朝には葬儀社との打ち合わせが始まり、
段取りを決めたり準備をしたりするので落ち着く暇がありません。
もちろん悲しんでいる暇もないままに、事態は次々と展開してゆきます。
会社の方は1週間の忌引休をもらい、さらに葬儀手伝い要員を呼び寄せるなど多大な協力を仰ぎました。
葬儀の席は親類や近所付き合いの輪の中に会社の上司や同僚、大学時代や高校時代の友人が入りまじり、通夜、告別式、火葬、初七日の法要と、一連の儀式はみな非日常の世界でした。
葬儀が終わっての週末も、自宅を訪れる弔問客の対応に追われ、落ち着くことなく過ぎてゆきました。
今週から会社業務に復帰し、再び忙しい日常生活に戻りましたが、
これから先も法律上の手続きとか、相続とか、お墓の件など、課題がたくさんあります。
人が1人死ぬことで、これだけ多くの人手がかかるとなると、
自分もうかつなことで死ねないなあ、と改めて思うようになりました。
合掌。
3年ぶりくらいに壁紙を替えて気分一新、ということでリニューアルの報告をしようと思っていたのですが、
そんなところにとんでもないニュースが飛び込んでしまいました。
スペースシャトル「コロンビア」が空中分解、墜落したというニュースです。
「コロンビア」といえば、ご存知のようにスペースシャトルの記念すべき実用第1号機。
デビューしたのは1981年、当時まだ小学生でした。
翌年中学校に進学するのですが、その中学校では科学部に所属していました。
科学部といっても内容は様々で、薬品を使って反応を調べたり、工作をしてみたり、
科学関係の雑誌をめくって読んだり、
活動の日々は遊び心いっぱいでした。
そんな中、科学雑誌にもスペースシャトルの話題がよく取り上げられました。
部の先輩はスペースシャトルがいたくお気に入りのようで、
何枚も「コロンビア」の絵を描いてみたり、雑誌のスペースシャトルの記事を繰り返し読んだりしていました。
打ち上げの日は、実験室のテレビでニュース映像をひたすら見守っていました。
まあ当時の僕は、ロケットとスペースシャトルの区別ができず、
「どこが新しいんだろう」とぬかしていましたが(笑)。
あれから早いもので22年。その思い出深い「コロンビア」はまだ第一線で活躍していました。
思えば22年の長きにわたって地球と宇宙の間を往復し、無重力の真空や大気圏の摩擦熱に耐えてきたのはある意味では立派だと思います。でも航空機も20年も飛行しつづければ老朽機になります。まして一層過酷な宇宙空間に行くのですから、「コロンビア」も寿命を過ぎていたのでは思います。
流れ星になって天国に行った「コロンビア」。
7人の宇宙飛行士の皆様のご冥福をお祈りするばかりです。