大学合唱団の夏合宿に、今年も行ってきました。
今年の合宿先は、新潟県、苗場スキー場の近く。
新潟県とはいっても、国道を南にほんの数キロ戻れば群馬県です。
冬はスキーの宿となるところですが、オフシーズンの夏場は音楽団体の合宿場所として使っています。
越後湯沢からバスで40分。交通の便は良くなく、相当山深いところですが、
驚いたのは、こんな山奥に高層リゾートマンションが何棟も建っていること。
それも高いもので25階建てくらいのがあったり。誰が住んでいるんでしょうね。
周辺も貸スキー屋などの看板がにぎやかです。しかし、その多くは夏場は休業しています。
目抜き通りは国道17号。県境を越えるトラックや観光バスがひっきりなしに行き交います。リゾートというには少々騒がしいかも。
そんな目抜き通りの一角に、今回の宿はひっそりたたずんでいます。
もう毎年のように、夏合宿には顔を出していますが、今年は1年生の人数が非常に多いのと、10年ぶりのOBOG合同ステージとなることもあり、普段の練習と合同練習の両方を見ておきたいと思って、休みを1日取って3日間参加しました。
いつもですと土日の1泊参加、練習は見学と割合気楽なのですが、今回は合同練習で実際に歌うので、久々に緊張感を持って臨みます。現役生は6日間参加ですから、この緊張感が6日も続くわけです。しかも朝から夜まで練習漬け。深夜は深夜で連日の酒付き合い。
体が持たなくなって朝起きられなくなる団員も毎年います。
自分も現役時代、合宿先で「帰りたい..帰りたい」とひそかに願っていたのを思い出しました。
そんなハードなスケジュールの中、「レクリエーションの日」が半日あります。
苗場、とはいっても夏場にスキーができないので、ハイキングと川遊びをします。
以前は野球やサッカーをしていたものですが、場所取りが面倒なのか、それとも何も考えなくてよいからか、今回はひたすら山歩き、でした。山歩きのはずが途中から歩道歩きになって、道行くおばさんハイカーに笑われたり。でも河原で戯れたり、水面に石を投げたりするところ、子供のように眼を輝かせていました。
3日間の合宿を通して、たくさんの1年生と会話することができました。約20人もいる1年生の顔と名前と人となりをようやく覚えました。曲の完成度も数歩前進といったところで収穫でした。そしてたくさんの良き思い出を今年も作って、合宿先を後にしました。
13日からアテネオリンピックが始まりました。
テレビは毎日のように日本選手の活躍を伝えています。
スポーツ新聞のトップに連日踊る金ピカ文字や銀ピカ文字は、オリンピックの楽しみの1つです。
でも、オリンピックで僕が一番楽しみにしているもの。
それは、実は、開会式だったりします。
開会式といえば、何よりもまずマスゲーム。
その開催国を代表する演出家が、毎回魅力的なプロデュースで展開します。
'98年冬の長野、'00年夏のシドニー、'02年冬のソルトレイク、今回のアテネと、
テーマは毎回、その国の古き伝統と新しい文化の融合という訳で似たり寄ったりではありますが、
開催国の、今まで知らなかった歴史を知ることでもあり、飽きることがありません。
それ以上に、見る人をあっと言わせる演出が飛び出しては驚かせます。
演劇でも展示会でも、もちろんただの仮装行列でもない、新しい形の芸術作品です。
フィールドに造られた湖。その浜辺で戯れる若い男女。小舟をこぐ男の子。空中で割れてゆく彫刻。立方体の上を歩く男性。
スクリーンに映し出される過去・現在の映像の断片たち。
言葉のいらない芸術に、言葉を失います。
次が入場行進。各国の選手団が笑顔をふりまきながら続々と入場します。
1人で参加する国あり、数百人単位の大選手団の国もあり。
コスチュームも様々で、まるで民族衣装の展示会です。世界のファッションショーを見に来たと思えば、また面白し。
そしてクライマックスの聖火台点火。
誰がどのようにして運んで、最後はどんなふうに点火するか。わくわくします。
そういえば長野のときは地雷で片足を失った女性が聖火を会場に運んで来て、感動したことがありました。
今回はギリシャを代表し、ギリシャのスポーツ界に功績を残した6人の選手リレーで運ばれました。
点火は聖火台が回転して降りてきて、最終ランナーがそれに火を付けるかたち。
バックに盛大にかかる音楽、群衆の歓声が、ムードを最高潮にしてくれました。涙が出てしまいます。
という訳で今回も最後まで見入ってしまいましたよ、開会式。
セレモニーをここまで芸術的に高めてくれた、人類の叡知と世界の平和、民族の融和に感謝。
夏の風物詩は数々ありますが、
蝉の鳴き声、これも欠かせない風物詩の1つです。
梅雨明けすぐにニイニイゼミが鳴き出し、次にアブラゼミ、8月中頃になるとツクツクホウシ、ごくまれにミンミンゼミ、というのが自宅周辺の勢力分布です。少し郊外に出れば朝夕にヒグラシが鳴いていますが、森から離れたくないのか、自宅周辺まで飛んでくることはありません。
ニイニイゼミも木の繁っているところではにぎやかですが、決して自宅の軒先まで飛んでくることはありません。
自宅の軒先に来るのは決まってアブラゼミ、ツクツクホウシです。
特にアブラゼミは止まれるところとあらば、ベランダの手すりでも網戸にでもたかって、
とやかましく鳴き立てます。
飛び方も少々こっけいで、いかにも力まかせに飛んでいるような感じなのですが、右にふらふら、左にふらふら、まるで酒酔い運転の飛行機みたいです。夜中に街灯めがけて体当たりしてみたり、他の種類の蝉にはみられない動きをして笑えます。アブラゼミは他の蝉に比べて知能が劣っているのでしょうか(笑)。
勤務先の新橋,汐留近辺にも、アブラゼミが時々飛んできます。
おかしな飛び方をしたりするのはここでも一緒のようで、この前は高層ビルの30階の窓に飛んできて衝突してました。
そしてもっと変わっているのが、「死んだふり」をしていることです。
ビル玄関前のコンクリート部分に、アブラゼミがひっくり返って落ちていました。
死んでいるのかな、と思って拾い上げたそのとき、手の中で「ぢ..ぢ」ともがき始めました。
意外にもこの蝉は生きていたのです。でもあまり元気がないようで、手を広げるとその手の上をゆっくりと歩んでいます。
近くの木立に向けて放り投げると、ふらふらした動きで木のてっぺんに向けて飛んでゆきました。
これが1日ではなく、3日も続いて同じような「死んだふり」蝉を見つけました。
そのうち1回はメスだったので、少なくとも毎日同じ蝉が死んだふりをしている訳ではないようです。
別の日に、同じようにアブラゼミが草むらの中に落ちていましたが、こちらは本当に死んでいました。どこからかハンミョウの種類が飛んでたかり、死骸の体液を吸っていました。
まだ造成されたばかりの新しい緑地にも、虫達の生の営みが繰り広げられています。
ホームページを移転した話。
筆者が運営しているもう1つのページに「Train Side View Studio DX」があります。
見ての通り趣味のページでございますが、最近は忙しくて作る暇がなかったり、一時期競争が激しかったり、それから自分で作らなくてもお金を出せばもっと立派な製品が手に入ったりで、データ作成の方はしばらくご無沙汰しています。
今回の移転はプロバイダー側の都合によるものでした。現行のシステムが旧式化しており、新しいサーバーに置き換えることでメンテナンスの合理化、新サービスの強化を図るというのが理由です。
ページを見る側や公開する側にとってみればいつまでも変わらないのが望ましいのですが、まあやむを得ない事情ということでもありますし、それから人によってはページの移転を繰り返す場合もありますので、一度移転を経験しておくのは良いことなのでしょう、というか、今回は移転するしかない状況なのですが。
作業はそのページが開局6周年になることもあり、これにタイミングをあわせて先週末実施しました。
まず新しいサーバーにホームページを開設します。続いてFTP(手元のパソコンからサーバーにデータを転送する)ソフトの送信先を新サーバーに設定し、ここに手元のパソコンにあるページのコンテンツ全てを転送します。ファイル数は500個以上ありますが、ブロードバンドの威力で一挙に転送、ものの1分ほどで完了です。もっと時間がかかると思っていただけにあっけないです。
この時点で新旧2つのサーバーに全く同じコンテンツが登録されています。次はこのうち旧サーバー上のページを閉鎖する作業です。
もっとも旧サーバー運用終了日(8月31日)を過ぎれば旧のコンテンツは自動的に削除されますが、移転を知らずにリンク集をたどって訪問してきた人が迷わないように、旧を閉鎖して旧アドレス上に移転通知を表示させます。移転通知は今後約2年は表示してくれるそうです。
ネット上の移転はこれにて終了ですが、このページにリンクを貼ってくださる方も多いので、そうしたホームページ開設者の方々にメールを出して、リンクの変更をお願いします。宛て先は全部で40箇所ほど。メールソフトに宛先登録していなかったので宛先のセットアップに手間がかかりましたが、文面をささっと書いて送信。これで全て完了です。
作業完了後に、改めてお気に入り登録されている旧アドレスから入ってみます。
「移転しました」表示が5秒間出た後、自動で新サーバーにジャンプします。
新ページが出ました。あれ、カウンターが00001になっている。さっきの移転に合わせてカウンターに「34388」と数字を設定したはずだが..。新サーバーのカウンター使用方法ページを見ると、どうも旧サーバーと互換しないらしい。新ページのカウンター記述を書き換え、正常に表示することができました。
他にも今回から統括インデックスを作って、これに「index.htm」を割り当てたことで、ページ内の「トップに戻る」のリンクを20箇所も修正しなければならなかったり、後でチェックして気かつくことも多かったです。
今後しばらくの間はお引越しはないでしょうが、いい経験にはなったと思います。