メゾン 道の果て

えんぷつ 週観 道の果てから

10月29日

 先日、僕の身近なところから、2つの電車が引退しました。
 1つは東北線の115系、もう1つは東武野田線の5000系です。

 115系が東北線を走りだしたのは昭和38年のこと。僕が生まれるその前から活躍していた先輩です。
 小さい頃から親に連れられて駅まで電車をよく見に行くきました。そこには駅に止まってくれる115系がいました。
 当時の東北線は長距離の特急や急行、客車列車や貨物列車などがたくさん行き交っていて華やかでした。
 しかしそうした花形列車には大して目もくれず、いつの間にか115系のことを好きになっていました。
 花形列車はどれも地元の駅を駆け足で通過してしまうから、親しみがなかったのでしょう。
 115系の中でも、初期の冷房なしのタイプが特に好きでした。丸みを帯びた窓枠、冷房が乗っていないすっきりした屋根、大きなヘッドライトなどに美しさを感じていました。
 中学生の頃、東北線の本数が増えるにあたって、全国からいろいろな形の115系が集められました。中央線にいた横須賀色の車両、新潟からきた冷房準備工事(本来冷房付だが冷房装置を乗せていない)車両、広島から里帰りした電気行先表示付の車両など、バラエティーが増えてにぎやかになりました。その後、冷房準備の車両にも冷房が付いたり、色がオレンジと緑の湘南色に統一されたり、行先表示器が標準装備になったりしましたが、今度はインテリアを改装した車両が現れるなど、見て乗って楽しめる車両でした。高校時代、1両1両の仕様を細かくチェックしたのも思い出です。
 一時期650両を数える大所帯だった東北線の115系も、新型車の導入で数が減ってゆきました。そして15日を最後に、定期の快速・普通列車の運用から姿を消しました。

 一方の東武5000系シリーズですが、生まれは遅く、160両余りの仲間が昭和50年代後半に集中製造されています。冷房付4つドア通勤車両で、同じ東武の8000系とそっくりに造られましたが、8000系との違いは、製作費用を下げるために走行系機器が旧型車のものを流用していたこと。8000系だと思って乗ると、旧型車独特のうなるような釣掛モーター音やはぜるような縦揺れにびっくりします。
 野田線は、やはり小さい頃に親に連れられ乗っていました。野田線は昔から旧型車の部品を再利用して車体だけ新しくした偽新車?が多く導入されていました。本線と違って急行運転がない野田線に、スピードの出せる8000系は必要ないとでも考えたのでしょうか。
 5000系列も最初は本線に導入されましたが、途中から野田線用として製作されるようになり、野田線にも何本か入っていた8000系を追い出し、一時は160両余りの仲間がすべて野田線に集結していました。先輩の3000系列とあわせ釣掛モーター車率100%となり、冷房化率よりも新性能車率の方が低い特異な路線になりました。東北線で大宮駅を通ると、旧型釣掛モーターの音を聞くのが日常的でした。そんな車両達を、田舎方面に行かないと聞こえない音が聞こえるからと、田舎電車、かっぺ電車といつしか呼ぶようになっていました。
 しかし、本線や東上線から8000系が次々転入し、野田線の主だった3000系が姿を消しました。その後も8000系の転入は続き、5000系列も栃木・群馬県方面のローカル線に転出していきましたが、ローカル線に転用のきかない6両固定編成は、わずか20年足らずで廃車となってしまいました。そして先週、野田線5000系列のさよなら運転が行なわれました。

 あれだけたくさんいた115系が、かっぺ電車が、身近にはもういないのです。
 少し遠出すれば会うこともできるのですが....。時代の流れと、少しのむなしさを感じます。


10月24日

 自宅のパソコンが先日、ウイルスの被害を受けました。
 ネットで掲示板を見ていて、何気なく張られていたリンクをクリックした途端、
 メールソフトのウインドウが大量うううううううううううううううううううに立ち上がって止まらない。
 強制終了して再起動させると、今度はダイヤルアップソフトが勝手に立ち上がって、通話時間の表示が始まりました。
 うあ、これが噂の国際電話ソフトかよ!!ADSL回線を使っているのにダイヤルアップなんてありえない。
 すぐに回線を切断し、ウイルススキャンをかけると、ウイルスがうじゃうじゃ出てくる出てくる。
 駆除・削除して再起動、スキャン。これを何度か繰り返すうちに相当きれいになってはきましたが、
 中にはしつこいものもいて、ウイルススキャンソフトでも駆除できなかったり。
 そうしているうちに、今度は通信ができない状態になってしまいました。インターネットも見られません。
 この週末、土曜1日かけてウインドウズを再インストール、ADSLを設定し直し、メールの読み書きはできるようになりました。
 しかし、インターネットエクスプローラーだけは復旧できません。
 どうやらウイルススキャンでも駆除できなかった広告ソフトが、IEを立ち上げるのを妨害しているようです。
 コントロールパネルからネットに入れることが分かり、またウイルスもこれ以外の悪さははたらかないので、現在はこれで仮復旧していますが、
 おかげでこの土日がまるごと吹っ飛んでしまいました。ただでさえこのところ忙しいのに。

 後で気が付いたのですが、このパソコンのOS、WindowsMeには復元機能がついていて、バックアップを取っておけばその時点にさかのぼった状態で復旧できるそうです。バックアップを取らなくても一定の日付、回数?までは過去の時点に戻って復旧するらしいですが、気が付いたときにはその基準を越えていたらしく復旧できませんでした。
 あとはハードディスクまるごとバックアップという方法もあるようです。こちらの方が容量が必要な反面復旧もしやすいとか。このパソコンも30GBあってその3分の1も使っていないので、まるごとバックアップをする余裕はあります。
 ともかく、今回はうかつにリンクを踏んでしまったのが敗因だったようですね。
 その掲示板は鉄道系の掲示板で、内容もそういった書き込みがほとんどです。リンクが張ってある書き込みがアダルト系や怪しい系だったら、これはブラクラが仕込んである、と警戒するのですが、「高崎線のグリーン車情報」とか書いてあったら気を許してしまうじゃないですか。そこを突かれた感じです。リンク先を良く見て、末尾が「html」「jpg」「掲示板の数字」であるかを確認していく必要がありますね。


10月17日

 3連休を使って、山口県方面を旅して回りました。
 別にどこぞの路線が廃止されるとかではなく、まだ乗っていない路線を乗りつぶすのが目的だった訳ですが。
 関東から離れているところを今のうちやっつけようと思って、今年は3月の九州、5月の四国と回りました。今回の山口もその一環です。
 しかし山口県も鉄道で回りにくいところです。ローカル線の列車本数が少なく、場所によっては早朝と夕方しか走らない路線もあって、どう効率的に回ろうとしても3日はかかります。たかだか1つの県、路線の総延長も長いというわけではないのに、いかがなものか。

 そこで列車待ちの空き時間を、積極的に観光に使ってみました。せっかくここまできたのですから。
 防府を拠点として、ここから県内あちこちに足を運びました。
 津和野(島根県ですが)、萩、岩国、そして錦町と、駅を出て街を歩いてみました。

 その中でも萩と津和野はよくセットにされて語られます。
 セットにされることが多いのは、この2つの街が「昔の雰囲気を残している」ということで共通しているからでしょう。
 しかし実際に行ってみると、この2つの街づくりは性格が全く異なることに気付きます。
 津和野は昔の街の雰囲気をさらに盛り上げるために、道路の舗装を変えてみたり、レトロ調の建物や小物を設置したりして、いかにも観光客好みの街に仕上がっています。
 一方、萩はそういった雰囲気づくりが感じられず、古い建物や町並み自体を保存していくことに力が注がれているようです。古い建物がなければ、どこにでもある普通の地方都市です。
 いわば、津和野は素材の良さを生かしつつ上手に味付けしているのに対し、萩は素材そのものの味を一番大切にしている、という感じ。
 どちらにも良さと欠点がありますが、それをどうとらえるかは訪れる観光客1人1人の感覚次第、というところでしょう。

 この3日間、中部から関東にかけて台風がやってきました。早めに逃げて現地に着けばと思いきや、現地は風こそ吹かないものの、土砂降りの大雨で散々な目に遭いました。目的は一応達成しましたが....。
 詳しい話はまた後日、写真館の方ですることにしましょう。お楽しみに。


10月6日

 上高地ドライブツアーの続きです。

 15:00前に、シャトルバスで上高地を後にします。バスは座席が一通り埋まる位で、それほど混んではいませんでした。
 沢渡に着くまで30分。昨日の朝から一睡もしていない参加者一同、すっかり爆睡こいています。
 沢渡から車でR158安房(あぼう)トンネルを越え、岐阜県側へ抜けます。安房トンネルは平成9年に開通した新しいトンネルです。かつての旧道時代はつづら折りが連続する難所、しかも道幅の狭い区間がたくさんあり、時々渋滞が発生していました。トンネル開通のおかげでずいぶん通りやすくなりました。750円の通行料にもかかわらず、ほとんどの車がトンネルを回ります。
 本日の宿泊場所は、新穂高近くの中尾温泉というところ。人里離れた静かな場所で、今回ツアーの企画者は毎年ここにある旅館に宿泊しています。今年ももちろんここで一晩を過ごします。
 お宿に着くなりすぐに露天風呂にどぼん。この中尾温泉は、宿ごとに露天風呂があり、青空と山の緑を満喫しながら天然の温泉を楽しむことができます。3人入ればいっぱいになるような小さな露天風呂。プライベートな気分で入れます。
 お湯から上がって、外をそぞろ歩きます。最近この温泉地の一角に、新しく「足湯」ができました。一見親水公園のようですが、池の中には温泉湯が流れ、多くの観光客が足を漬けています。源泉近くの湯は熱く、低温やけどしそうなほど(下写真)。

 夜は川の幸、里の幸ででつくされたお食事をいただきます。ニジマスのホイル焼き、ほうばみそ、イワナの骨酒、どれもおいしいこと。そういえばお宿の前に置いてある水槽にイワナが数匹いたけど、食事前に見たら3匹しかいなくなっていたなあ。多分今宵の宴の生贄になったのでしょう。明神池で見てしまった光景のこともあるし、ささやかな献杯を捧げます。
 部屋に戻って2次会を、というところですが、36時間以上もまともに睡眠を取っていない一同3名は、すぐに眠気がやってきて、宴会を始める間もなくそのまま寝てしまいました。

 翌朝、8:00には目を覚ましました。よく眠れたことでしょう。
 安房トンネルを長野県側に戻り、白骨温泉に行きました。途中、何台ものポルシェとすれ違いました。数分に1台は見かけ、やたらとポルシェ率が高いです。もしかして今日は愛好者の集いがあるのか。
 白骨温泉といえば、入浴剤を混ぜた疑惑で最近有名になりましたが、今回訪問した「泡の湯」は混ぜものを使っていない本物の温泉、という友人の話。
 ともかく10:30の外湯開きに合わせて早速入ります。湯の花がたくさん溶けて、お湯は見事な乳白色になっています。
 何の事前知識もなく、友人の後をついてお湯の中に入ります。階段が湯の中に入って行くところ、プールの消毒槽みたいです。
 その先、迷路を抜けるように建物の外へ泳いで出ると、

 これは驚いた。若い女の人が一緒に入っているではないですか。
 そうです。ここ、泡の湯の外湯は「混浴露天風呂」だったのです。
 乳白色のお湯は適度に不透明で、隠すべき場所をうまく隠してくれます。見えそうで見えないのが、想像力をかきたてられます。
 とはいえ、朝からカップルや家族連れなどでいっぱいでした。普通のお風呂は男女別々になってしまいますから、こうした人達にとっては混浴はありがたいものといえましょう。
 外は高原の緑に囲まれ、森林浴と温泉浴が一度に味わえる素晴らしい環境です。ぜひ押さえておきたいですね。

 帰りも行きのルートにほぼ沿って車を走らせます。行きに見えなかった景色も、帰りでは楽しむことができました。碓氷峠を降りると雨が降り出しました。関東ではこの土日はずっと雨続きだったとのこと。日頃の行ないが天候にも現れたようで。お疲れさまでした。

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