35歳になりました。
四捨五入すれば40です。
ついこの間30になったばかりなのに....時の流れの速さは非情です。
誕生日は特に何もなく、いつも通り会社に出勤して仕事をして終わりました。
ただ、会社の同僚が誕生日を覚えていてくれていたのがうれしかったです。
35歳ということは、
中学を卒業して20年経つんですね。
さすがに中学卒業がついこの間、という感覚はなくなりましたが。
そういえば中学卒業前にホームルームか何かで、
「20年後の自分へ」
という手紙を書いていたことを思い出しました。
あの頃何を書いていたのだろう。
鉄道模型に夢中になっていて、今でも鉄道模型が好きですか、というような出だしで書いた記憶は残っていますが、
後は何も覚えていません。
ただ、回りの人達ほど真剣な悩みのなかったあの頃のこと、呑気に単純な内容のことを書いていたのは間違いないでしょう。
今このことを思い出すにつれ、内容の恥ずかしさが気になりはじめました。
本当にこの手紙が届いたらどうしよう。
しかも宛先住所が20年前と変わっていないし(封書、住所記入で作成)。
せめて35の現在までに独立して家を出ていれば、永遠に封印されたままにしておけるのに。
あとは当時の担任の先生がこれに気づいてくれないことを祈るばかりです(笑)。
もし本当に届いたら、この「メゾン道の果て」に公開してしまおう....かな。
昨年の年末辺りから、会社で仕事をしていると、
「ポーッ、ポッ」
と汽笛の音を聞くようになりました。
電車や電気機関車の警笛の音ではありません。明らかに昔懐かしいSLの汽笛です。
新橋,汐留近辺の高層ビルに響き渡る汽笛の音。ものすごく違和感を覚えて、気になります。
最初は何かのイベントで汽笛を鳴らしているのかな、と思いました。
特に汐留の辺りは日テレとか、旧新橋停車場とかありますし、そういう系のイベントがあっても不思議ではありません。
ところが年が明けても、昼と午後と夜の1日3回、その汽笛は相変わらず聞こえてきます。
ますます気になったので、昼休みを使って音の発生源の実地調査に乗りだしました。
昼の12時ちょうどに、その汽笛は鳴ります。
まずは新橋駅の東側。時計をにらみながら待っていると、
「ポッ、ポーッ」
その音は汐留方向から聞こえてきました。
では、汐留の、旧新橋停車場か?
翌日はここに立ちました。今度は浜松町方向から聞こえてきました。
まさか、発生源が毎日移動している訳ではあるまい。
さらにその翌日は浜松町寄りに立って、耳をすませて待機。
すると、今度は新橋駅方向から聞こえました。
ひょっとして、新橋の反対側、烏森口のSL広場に置いてある本物のSLが鳴らしているのか?
帰りがけ、SL広場に行って実物を見てきました。
最近塗り直されたその車体は、美しく黒光りしています。
そしてその手前に新しい看板が1枚。
それには、汽笛を鳴らす時間が記されていました。
そうです。汽笛の発生源は、まぎれもなくこのSL、C11
292だったのでした。
毎日12,15,18時の、1日3回鳴らすとのこと。
実物の汽笛装置に空気を送り込んで、遠隔操作で自動的に鳴らしているようです。
でも公園で鎮座しているSLが、突然「ボーッ」と汽笛を上げるとびっくりしますね。振り向いてしまいます。
日帰りで、岐阜まで行ってきました。
今回は3月で廃止が予定されている、名鉄岐阜市内線他の路線を訪問してきました。
新幹線と普通列車を乗り継いで、昼前に岐阜に着きました。
岐阜駅の隣にある、名鉄線の新岐阜駅前の通りから電車は発着しています。
市内線は1時間に片道にして4本の電車が運転され、街に少なからず活気を与えています。
途中の忠節(ちゅうせつ)を境に線名が「揖斐線」と変わり、路面から郊外路線に移ります。昔は忠節で乗り換えをしていましたが、数年前に新型車両に代わってからはほとんどの電車で直通運転をするようになりました。
終点、黒野まで約50分で着きます。ここには3年前にも訪れたことがあります。当時はここから先、本揖斐と谷汲まで2本の路線が延びていました。お別れ乗車をする客でごった返していたのも思い出です。2本とも廃止されてから3年の歳月が経ち、分断された分岐点には2本の車止めが並んでいます。そして今度は黒野までの路線も廃止されてしまいます。本数も乗客も、決して少なくないのに....。
→岐阜市内線・揖斐線はこんな雰囲気です。3年前の撮影ですが、現存区間は変わっていませんでした。
午後は美濃町線を訪問します。最初は路面を走りますが、やがて路肩に入り、日野橋辺りでは店の軒先、砂利の敷かれた歩道をのしのしと進みます。それはまるで近所の空き地に引き込み線を引いているよう。あまりの光景にぼーっと立ちすくんでいたりしていたら電車にひかれてしまいそうな。日本広しといえども、こんなすごい路線はおそらく他にないでしょう。
その後も専用軌道を走ったり、あるいは路肩走行をしたり。時には昭和30年代を思わせるような田舎道の路肩を突っ走るシーンも見られます。帰りがけ途中の駅で降りて、日が暮れるまで写真を何枚も写しました。日帰りでなくあと1日くらい時間をかけてじっくり巡りたかったなあ、と思うほど素晴らしい景色の数々。
この美濃町線も車両は近代的で、古風な沿線情景と新型車両の組み合わせがミスマッチです。
帰りに乗った車両、2代目800形は4年前に導入されたばかりのバリアフリー対応低床車です。あと3ケ月で廃止される路線とは、にわかに信じがたいです。
美濃町線のショットから。左は(美濃)関駅にて。すぐ後ろの線路は長良川鉄道線で、平成11年にこの駅に接続すべく300メートル路線を延伸、開業させた。車両は2車体連接車880形。右は上芥見(かみあくたみ)付近。いかにも田舎の一本道という風景。その路肩を走り去ってゆくのは最新鋭の2代目800形。 | |
各線は乗客が少なくないこともあり、外国の企業などが路線存続に名乗りを挙げています。しかし営業再開の表明が平成18年4月ということなので、少なくともこの4月から1年間、電車の姿は見られなくなります。今後の動向次第ではそのまま永遠に廃止、ということになるかもしれません。
人口希薄地帯のローカル線とは事情が違います。地域住民の気軽な足としても、何としても残していって欲しいと切に願っています。
今年もよろしく、であります。
皆様は年末年始のお休みをどんなふうに過ごされましたか?
僕の年末年始を振り返ると、
29日 終日、年賀状書き。1通1通メッセージを考えていたら予定通り時間がかかる(笑)。
30日 年賀状書き完了、お買い物その他野暮用。
31日 小掃除(大掃除ではなくて、)
1日 午後から都内に出る。地下鉄電車を撮りに行ったりなど。
2日 母校が14年ぶりに出場した箱根駅伝をTV観戦。夕方から友人と飲み会。
3日 18きっぷでミニトリップ。
冬休みは6日間しかなく、本当にあっけないです。やっぱりあと1〜2日年次取っておけばよかったな、
それでも普段なかなかできない身の回りの整理をしてみたりで、少なくとも意義はあったと思います。
最終日、自分へのご褒美も兼ねて、18きっぷ1回分で中央線を松本まで往復してきました。
中央線もしばらく乗っていなかっただけに、忘れていたシーンを思い出したり、新しい光景に出会ったりしました。
雪をかぶった南アルプスや八ヶ岳、遠くに望む富士山が実に美しいこと。
でも一番印象に残ったのは、夜の甲府城(舞鶴城)でした。
乗り継ぎの待ち時間で駅を出て、駅の真上にかかる道路橋を渡ると、
そこにはライトアップされた天守閣と、木々に飾り付けられた青い電球達が、幻想的な光景を作っていました。
ミレナリオや六本木ヒルズのイルミネーションにも負けていないこの光景に、しばらく酔いしれてしまいました。
夜の甲府駅と甲府城を望む。 手前に見える列車とホームは身延線。 |