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週観 道の果てから

3月31日

 ..あれから、もう20年が経つのですね。

 昭和62年3月31日、国鉄最後の日。
 その日の出来事をつい先日のことのように思っていましたが。

 当時の僕は高校2年生。
 大学受験を翌年に控え、その準備に入るべき時期を迎えていましたが、
 電車の写真を撮ったり模型を作ったりなど、ありあまる体力でまだ鉄道趣味を元気に続けていました。
 その直前も、所属する鉄道研究会の「三送会(三年生を送る会)」と称した旅行に出て、関東甲信越の各路線を周遊していました。
 ルートは東京から大垣行きの夜行に乗り、飯田線〜篠ノ井線で長野に出て松代で一泊、翌日は長野電鉄と信越線で新潟、そして最終日は磐越西線と会津線、開通したばかりの野岩鉄道を通って浅草着、というものでした。
 当時に乗った車両は急行用の165系、飯田線は当時の新型119系、長野電鉄は元東急5000系、信越線は115系、最終日はレッドトレイン50系客車や急行用キハ58系など、といった面々でした。
 行程のあちらこちらで「さよなら国鉄」と書かれたポスターやステッカー、JR発足のお知らせを見かけ、今まで使い慣れ親しんだ「国鉄」という言葉が消えることを少し惜しみました。特に前年秋に会津滝ノ原から会津高原と変わった会津線の終点では、わずか半年だった「国鉄 会津高原駅」という名前を何度もかみしめていました。

 さて、31日はその旅行から帰ったばかりで少々疲れていたので、どこにも外出することなくおとなしく1日自宅のテレビの前で過ごしていました。まあ外出したところで大きな駅はどこもファンが殺到して撮影どころではなくなるのは目に見えていたので。
 テレビは各局とも一斉に特番を組んでいました。
 東京駅や上野駅からは各地に向かう「旅立ちJR号」の出発式を次々に中継。
 特に大阪の博物館に保存してあった昔の展望車が東京駅に回送されてくるところ、東京駅のホームが人が落ちそうになるくらいにファンに埋め尽くされるような状態で、行かなくて良かったと思いつつもその光景を茶の間で楽しんでいました。
 そして日付が変わる午前0時。
 汐留貨物駅にやってきていた蒸気機関車が、青函連絡船が、一斉に汽笛を鳴らすのを、チャンネルを次々切り替えながら見入っていました。
 全国一斉にここまで派手にイベントをやってくれたのですから、鉄道ファンとしてもう忘れられない夜になりました。

 あれから20年。
 国内の鉄道絡みのイベントで、ここまでマスコミが熱を入れて報道したことはおそらくないでしょう。
 20年も経つと車両の代替わりも進み、165系や50系客車などは姿を消しました。
 一方で信越線の115系や東北地方のキハ58系はまだ現役で走っています。
 僕の目にはこの20年の変貌は小さいように思いますが、実は今の高校生達が国鉄を知らない世代になり、ファンの世代交代も確実に進んでいます。そんな中で車両達も年齢を重ね、国鉄末期に作られた車両が廃車になったりしています。東北地方のキハ58系は、気が付いたら40年以上も走り続けていて、すっかり長寿車両になってしまいました。
 これからも活躍を続けるであろう国鉄の生き残り達にエールを送るとともに、いつまでも「国鉄の時代」があったことを語り継げられるようにしていきたいと願っています。


3月24日

 最近、駅前の病院脇に大きなやぐらが1基作られ、何やら工事が始まっています。

 そのやぐらの大きさは火の見やぐらよりははるかに大きく、携帯基地局塔くらいはありますが、
 でもそのどちらでもない独特の形をしています。
 送電線の鉄塔とも似ていますが、もちろん高圧線とは接続していません。
 では何をしているのでしょうか。
 テレビで見たことのある、どこかの油田掘削用のやぐらとよく似ている気がします。
 でもこんな埼玉くんだりで石油が採れる訳でもないし。
 井戸掘りにしては大げさすぎるし。

 工事内容を説明している看板を見てみると、
 「さく井、温泉掘削の事業」
 などと書かれています。
 どうやら温泉を掘り当てるようです。
 関東平野の一角の、何の変哲もない住宅地や野原でも、何千メートルも地下を掘り進めると温泉に行き当たるらしい。
 しかし何ゆえに温泉なのでしょう。
 お隣の病院の健康福祉施設としてでも使うのでしょうか。
 やはり温泉といえば、山奥や火山の近くで自然にわき出て..こそというものの気がしますが。
 地下数千メートルまで掘り進めれば費用もかかるし、採算が合うのかちょっと心配したりもしてみます。

 作業は昼夜問わず続けられ、やぐらのウインチが時々上下して物資を運んでいます。
 夕暮れ時になると、沈み行く太陽が周囲の木々とともに美しいシルエットを作り出してくれます。
 枝の1本1本と、やぐらのか細さが一層引き立てられます。それは自然と人工物が相互に編み出す芸術。
 写真を撮っていて、こんな身近なところにも美しい光景があったなんて、と感じました。


3月17日

 スキーツアーの翌日、筋肉痛気味の体をおして、懲りずにまた外出してきました。
 目的地は水戸の偕楽園、そして鹿島鉄道の再訪問です。
 今回は2月下旬から5月上旬までの期間限定で発売されている「ときわ路パス」を使いました。
 期間内の土曜休日、2,000円で茨城県内のJR線と、指定された会社線(関鉄常総線、鹿島臨海鉄道線、茨城交通湊線、および3月31日までは鹿島鉄道線)が乗り降り自由という大変優れものの切符です。

 常磐線快速を乗り継ぎ、取手駅で下車。「ときわ路パス」はここで購入します。
 指定券券売機で発券できるのですが、タッチパネル画面の操作に手間取り、メニューを5分も探してようやく買えたときには乗ろうとしていた電車に目の前で発車されてしまいました。次の水戸行きの電車は30分待ち。その間に関鉄常総線のホームに入ったりして時間を過ごします。
 次の電車は新型E531系の10両編成が来ました。2両連結した2階建てグリーン車は17日まで無料開放。1階席に入って座席を倒してしばらくくつろぎます。グリーン車の車内の静かなこと。乗り心地も天国のようです。
 取手から約1時間20分で偕楽園臨時駅に到着します。この臨時駅は毎年梅が開花する2月から3月にかけて開設され、今年も2月24日から3月21日までの土曜休日の昼間、普通列車と一部の特急が停車します。

 上の写真を見て何かおかしなところに気が付きましたでしょうか。
 そうです。偕楽園臨時駅は「下りしかホームがない」のです。当然上り列車は全列車通過です。
 時刻表を見ても、下りのページには記載がありますが、上りには「偕楽園」という欄すらありません。

 駅を降りると、2台のボンネットバスが観光客を出迎えてくれました。どちらも趣味団体が所有している車で、偕楽園と水戸市内の観光スポットを巡る無料バスとして運行されていました。

 園内は南に芝生が広がるゆったりとした広場、北に約3000本植えられているという梅の林、西に杉林と竹林、その一角に「好文亭」が立てられています。広場の下は急斜面になっていて、ここにも梅の木が植えられています。崖の下は常磐線、その向こう側は千波湖という大きな池と広場があり、その景観たるや実に素晴らしいこと。設計者の水戸九代藩主徳川斉昭の感覚には頭が下がる思いです。
 残念ながら暖冬の影響か?旬は既に過ぎてしまったようで、園内の梅の花は半分が散っていました。それでも訪れる観光客は多く、園内各所で人がごった返していました。
 特に人が多かったのが好文亭。偕楽園自体は入園無料ですが、好文亭は190円かかります。にもかかわらず廊下という廊下は訪問客で見事な行列ができ、建物よりも人を見に来たのでは、と思うほど。しかし2階の回廊まで登ると、園内を一望できる素晴らしい眺めが待ち受けていました。

 予定では水戸に出て鹿島臨海鉄道を回って新鉾田、ここから徒歩で鹿島鉄道のつもりでしたが、常磐線で人身事故が発生してダイヤが乱れ、やむなく水戸で常磐線をそのまま引き返すことにしました。
 石岡で降りて先月行った鹿島鉄道を再訪問しました。夕方になると旧型気動車はすべて車庫に引き上げ、新型のKR-500だけで運転されていました。旧型気動車がいなくなるとお目当てのファンも帰ってしまったのか、廃止まであと1ヶ月を切った休日というのに乗客も少なく、ボックスシートで暮れなずむ霞ヶ浦の景色をまったりと楽しみ、心残りなくお別れ乗車することができました。筑波山はもちろん、遠くは富士山までも臨めた夕暮れの霞ヶ浦。天候に関してだけはよほど運が良かったのかもしれません。

常陸小川にて KR-502


3月10日

 スキーツアーから今し方戻ってきたところです。
 今回も去年の越後中里のときに同伴した高校時代の友人を付け、2人で出かけてきました。
 行き先は「ハンターマウンテン塩原」に決定。
 ここに決めたのは、いつも乗っている東北線の電車内に貼ってあったハンターマウンテンの広告でした。
 JR東日本びゅうプラザ主催で「快速フェアーウェイでリフト券付き4,900円〜」の宣伝文句。
 「安っ!!」
 と思わず反応したのは言うまでもありません。
 実行日の3月10日は6,000円でしたが、今シーズンのみ値下げの青春18きっぷを利用してシャトルバスパックと組み合わせるプランと比較しても、なおも1,200円も安くなる。3点セットの割引も効き、食事含めたトータルで9,000円でスキーができてしまうのです。
 早速新橋駅のびゅうプラザで申し込みました。

 友人の最寄り駅の都合で赤羽を待ち合わせ場所に指定しました。赤羽発は6:44。
 快速<フェアーウェイ>は特急形の車両を使用。リクライニングシートを装備しています。
 車内はゴルフ客やスキー客が多く、意外なことに座席の7割が埋まっている盛況。
 下車駅の那須塩原までの2時間、もう一眠りするなり、軽い朝食をとったりなど思い思いに過ごします。

 那須塩原からは無料のシャトルバスが運行されています。スキー場まで所要1時間です。
 何と、車内は座席がほぼ埋まっているではありませんか!!
 「ハンタマは混雑している」という噂はかねがね聞いていましたが、送迎バスが満員近い盛況とは。
 その乗客の大半はカップルでした。1人乗りや家族、我々のような男2人組はやや肩身が狭いです。
 那須塩原駅を出たバスは牧場地帯を、塩原温泉郷を抜け、日塩もみじラインのつづら折を登り、ようやく目的地のスキー場にたどり着きます。

 早速滑走を開始します。
 「平日でもリフト15分待ち」という噂が流れていましたが、この日は初級者コースでは2〜3分、上級ではほとんど待たずにリフトに乗ることができました。まずは一安心。
 天候も薄曇りと極めて良好で、防寒装備もサングラスも付けずに思う存分滑ることができました。
 ただ薄曇りとあっては遠くの連山の景色があまり良く見えなかったのは残念ではありましたが。
 しかし今年は本当に雪が少ないですね。今シーズン初めて雪の上を歩きましたし、
 遠くの山々は見事なまでに雪がないし、スキー場の人工降雪機はフル稼働したことでしょう。

初級者ゲレンデを上から眺める。
夏はここが百合の花で埋め尽くされるという。

 このスキー場、夏場は初級コースのゲレンデが一面の百合畑になり、「ハンターマウンテンゆりパーク」として改めて開放されるそうです。夏になったらまた出かけて、同じ場所で花の写真を撮ってみたいと思いつつ、スキー場を後にしました。
 帰りは無料送迎バスが何と4台続行で運行されました。学校の遠足みたいな続行運転ぶりに驚くことしきり。
 那須塩原駅で4台分の乗客が一斉に降り、新幹線ホームへとぞろぞろと動きます。
 在来線の<フェアーウェイ>もまた、多くのスキー客が並んで乗り込んでいました。同じことを考えている人の多いこと。
 そして車内で小さな酒宴となったのは言うまでもないでしょう。これも鉄道利用だから成せる技です。

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