メゾン 道の果て

週観 道の果てから

1月31日

 先日、いつものように会社に出勤する途中、駅でバッグからいつも通りに定期入れを取り出そうとしたところ..

 ..ない。定期入れがない!
 バッグの奥や底、ポケットの1つ1つまで探したけれど見当たらない。
 すぐに家に戻り、家の中を探し回ったものの見当たらず。
 この日はあきらめて切符を買って会社に行くことにしました。
 しかしどこで落としたのだろうか。昨日の帰り道をもう一度たどってみても、落ちた形跡はないどころか、通行人が多く拾われているだろう。
 とにかくまず駅に戻って、定期券を使われなくする手続きを取りました。
 PASMO定期券(Suicaなど他の交通系ICカードも同様ですが)は利用停止手続きをしておけば、定期を勝手に解約されたり電子マネー機能を使われたりしてしまうことがなく、また本人確認により、同じ残り期間で再発行できるので安心です。

 しかし、会社に行ったら、自宅の中で定期入れが見つかったと妻からの留守電が入っていました。
 どうやら帰宅後、バッグの中身を入れ替え中に落としていたようです。
 携帯をバッグの中に入れていたので気が付かなかったのですが、もっと早く気が付けば、停止手続きしなくても済んでいたかもしれない。

 再発行手続きは翌日からというので、翌朝、見つかった定期券と、身分証明となる免許証を持って、自宅最寄りの駅で手続きをお願いしてみました。
 ところが、自宅最寄り駅では新規定期券発売駅ではないため、取扱いしていないとのこと。取扱いのある隣の駅までは申し出により無料で行くことができるので、来た電車で移動します。
 隣の駅では早速再発行の手続きをしてくれました。なくした定期券が見つかった場合であっても、手続きでは新しいPASMOを発行し、古い方は回収されることになります。再発行手数料500円、PASMOのデポジット料500円。回収される方のPASMOデポジット返金500円を差し引き、500円の出費です。昨日の会社までの往復を加えると、約1,500円の損失。
 しかしこれだけの損失で済んだのが良かったです。今までは紛失したら再発行などはしてもらえず、改めて高い金を払って定期券を買い直さなければならなかっただけに、技術の進歩にありがたみを感じます。

 教訓。これからは改めて、帰宅したら財布、定期入れ、携帯電話、社員証の4点は必ず確認し、バッグの指定位置に入れる。出勤するときも4点を確認し、それから家を出よう、と決めました。人間のすることなので時々抜け落ちることがあるかもしれませんが、なくしものをしないよう、努力してゆきます。


1月24日

 ついに、40歳の誕生日を迎えました。
 晴れて40代の仲間入り、とは聞こえが良いですが、喜ぶべきなのか微妙なところです。
 特にこれといった祝い事もなく、夜に家族で外食したほかはいつも通りに過ごしましたとさ。

 さて、そのまさに同じ本日、京浜東北線から209系が引退します。
 結婚する前まで長く京浜東北線ユーザーだった自分にとって、209系は登場当初からの付き合いで、思い入れも深いです。

 209系は、平成4年に試作編成が3本、30両導入されたのが始まりです。それまでの京浜東北線は、わずかな数の205系を除くと103系がほとんどを占め、その103系も初期後期、更新修繕の有無、複数種類の冷房装置などが混在し大変バラエティ豊かで、103系の一大王国を築いていました。その数800両以上。
 しかしこれらの103系達も初期の車輌は老朽化し、更新修繕で延命した車輌も多い中、近い将来大量の車輌取り替えの必要に迫られることを考え、徹底したローコストによる新型車輌を設計することになりました。
 そのコンセプトが「価格半分、重量半分、寿命半分」。
 一般の鉄道車輌の寿命が約20年から30年であることを考えると、「10年そこそこしか持たせない」車輌の登場は、当時の僕にとっては大変衝撃的でした。車輌によっては新製当初から外板が歪んで見苦しいものもあったりで、程なくファン達の間でも「使い捨て電車」とか「走ルンです」などとあだ名されるようになります。
 試作車は運転中に制御システムのプログラムミスで故障しダイヤを大混乱させたり、初期故障も目立ちましたが克服し、翌平成5年から量産車の導入が始まり、103系は次々と廃車、または他の路線へ転出してゆきました。
 月に約2編成のペースで着実に仲間を増やし、平成7年からは6号車に6扉車、サハ208が連結されるようになりました。6扉車は平日朝9:30までは座席を折り畳み全席立席で運用されます。
 実家から通勤していたこの頃、大宮駅から都内まで京浜東北線の始発電車に座っていくのが日課になっていましたが、座席なし6扉車が連結されるようになると6号車の行列が短くなり、それ以外の車輌では長くなって、席を確保するのにあと1本早い電車で出ることになったり、ほろ苦い思い出があります。
 103系は後期の車輌は延命工事もされずそのまま廃車になり、初期の更新修繕施工車も数を減らしてゆきました。そして平成10年春、103系完全撤退とともに京浜東北線はすべての車輌が209系で統一されました。このまましばらく安泰かと思われましたが..
 3年ほど前、「車両故障が頻発する路線への対策」として京浜東北線の209系をすべて新型車両で取り替えるとの発表がされました。中央線で導入したE233系を、一部仕様を変更して京浜東北線にも導入することになったのです。恐れていたことが現実になってしまいました。
 平成19年末から導入が始まったE233系は、月に3〜4編成というさらなるハイペースで209系を追い出し、車両基地はあっという間にE233系で占められました。置き換えられた209系のうち先頭車と一部の中間車は、トイレとボックスシートを取り付けて房総地区に転出することになりましたが、中間車の大半はわずか10年余りの命でついえることになります。「使い捨て電車」とあだ名された車輌が、本当に使い捨てになってしまうとは。

 昨日、南浦和まで209系にお別れのあいさつをしに行きました。実家通勤から離れて2年半、あれだけたくさんいたはずの209系がほとんどいなくなってしまったのは、分かっていたとはいえ衝撃的でした。
 事前にネットで運用を調べ、予定の時間に駅で待っていると、どこからともなくたくさんの鉄道ファンが集まってきました。
 やってきた209系はヘッドマークを付けていました。ドアが開くなり大量のファンが下りて加わり、わずか5分の折り返し時間、両先頭車の周りはデジカメや携帯で撮影しようとするファンでごった返す状態。
 来たついでに1駅間乗ってみました。ウィーン・ウィーンと加速するごとに変調する独特のモーター音は、房総地区転出車でも機器の更新で聞くことができなくなります。また廃車となる6扉車に乗るのも最後。209系の座席は堅くてお世辞にも座り心地が良いと言えませんでしたが、6扉車の折り畳み座席だけは詰め物が柔らかく好みでした。
 去りゆく仲間達をねぎらい、新天地での活躍と、天に召された仲間達の冥福を祈りつつ、209系と共に過ごした15年の日々を振り返る次第です。


1月17日

 会社近くの横断歩道の歩行者信号が、昨年12月から待ち時間表示付きに変わりました。
 下写真は青信号の場合ですが、赤信号部分の両脇に青い棒が2本出て、時間とともに短くなっていくタイプです(既に相当短くなっていますが分かるでしょうか)。赤信号のときも同様に、青の両脇に赤い棒が出ます。

 あとどのくらい待てば信号が変わるかが、おおよその目安で分かるので、便利でもあり、安心感があります。
 そして待っているときのイライラ感も少しは解消されます。

 待ち時間表示付きは東京では今まであまり普及しておらず、大阪へ旅行や出張したときに、残り待ち時間が数字で表示されるのを見るに付け、あれは便利だなあ、なんで東京にないんだろ、と少しうらやんでいました。
 説によると、大阪人はせっかちだから、信号機もその要望を早い段階で取り入れて、待ち時間表示をするようになったとか。
 自分も、会社へ行くときと、電車や列車で移動するときは大阪人以上にせっかちになるので(列車のダイヤは10秒単位で刻まれているので、それに合わせて素早く行動する)、その気持ちが大変良く分かります。

 待ち時間表示で思い出したのが、2年前、タイに新婚旅行へ行ってきたときのこと。
 バンコク市内のありとあらゆる信号機は数字の待ち時間表示付き。
 それも残り時間をきっちり1秒単位でカウントダウンしてくれます。
 あの大阪の信号機ですら5秒単位ですから。
 バンコクだけかと思いきや、観光地プーケットの下町でもこの信号機を見かけました。
 信号機に関してのみいえば、タイは日本より進んでいるかもしれません。
 いやもしかして、タイは日本以上に道路交通問題を抱えているから(例:バンコクの渋滞は世界一、スピード規制が緩く交通事故が多い...)その影響もあるのかも。タイ人の国民性からすると、そんなにせっかちではないように思えるのですが..。

プーケットタウンで見かけた信号機。
右脇に残り待ち時間表示機があり、1秒単位でカウントする。

1月11日

◎この日曜日を最後に、自宅最寄りの食品スーパーが閉店となりました。特に野菜類が安く、妻実家で一番利用していた店でしたが、周辺に数ある同業との競争に勝てず、撤退することに。
 5日から10日まで閉店セールを行ないましたが、9日土曜日の時点でほとんどの商品が売れてしまい、最終日の日曜を待たずにシャッターを閉めました。シャッターにはお決まりの「長い間ご利用ありがとうございました」の張り紙。
 近辺でも店を閉めるところが相次いでいます。この1年でコンビニ2軒、ファミレス1軒、100円ショップ1軒、総合スーパー1軒、自動車ディーラー1軒の店じまいを目撃しました。このうちファミレス1軒は「サラダ,デザート食べ放題」のステーキ店として再生。総合スーパーは別のテナントが入ることが決まり、目下改装工事中です。自動車ディーラーは更地にして宅地分譲され、かなり以前に閉鎖されたデニーズ跡には新しく讃岐うどんの店がオープンしていました。ほんのわずかな期間でも、店の顔ぶれは大きく変わってきています。

◎自転車を買ってもらって1年。この3連休で正月太りの解消にいそしんだ結果、累計走行距離が1,000kmを達成しました。実家に帰るのに自宅から20kmの距離(と、スピードメーターが表示した)の京浜東北線の駅まで自転車で向かい、そこから電車で実家へ。当然往復セットになるので、1往復で約40km走覇したことになります。自宅近辺と違って道のりが平坦でなく、丘あり谷ありの連続で、いつもの4倍くらい体力を消耗しました。これでどれだけ脂肪を燃焼できたことか。
 ところが..自宅に戻って地図を検証していたら、メーターが示した距離と、地図で書かれている実際の距離が違うことが判明。ネットのナビゲーションサイトを含め、地図の方が約1割も距離が短いです。自転車の車輪径が26インチで、その通りにメーターを設定していたのに、メーターの方が距離を長く走ったことになっている。ということは1,000km達成も疑わしい。
 疑惑はともかく、メーターの設定を24インチに下げ、再度測り直しを兼ねて、地図上でちょうど1kmの距離を走りました。きちんと1km区間を1kmと表示するようになりましたが、目一杯飛ばしたときのスピード表示数値も下がり、「実際はそこまで出ていなかったのか」とやや失望感。まあ、これからも地道に距離を稼いでいきましょうよ。千里の道も着実な一歩から。


1月6日

 例年、年末年始はおとなしく過ごすのですが、今年もその例に漏れず、新居になって初めての新年を、新居からあまり離れることなく過ごしていました。クリスマスのときにコストコで買ってもらった特大ティラミスが効いたか?夫婦揃って過去最重量記録を更新しています。新年の新しい目標は、ダイエットから。

 さて10月8日の回で、隣の空き地に建設中の住宅について書きましたが、年末になってようやく完成となりました。
 基礎を作り始めてから完工まで5ヶ月半。ほぼ同じ大きさ(のはず)の我が家がツーバイフォーで4ヶ月だったことを考えると、在来軸組工法は完成までに意外と時間がかかるようです。外観は我が家と対照的にシンプル&モダンで、白のモルタル仕上げの外壁に、緩い片流れの屋根。外からは屋根部分が見えにくい設計になっています。
 ここの住人は近くで不動産業を営んでいる人だそうで、まず若夫婦が年末中に越してきて、自宅にもあいさつに来ました。追って親御さんも同居する予定です。外構工事がまだ終わっておらず、少々慌ただしい新生活スタートは我が家のときとよく似ていますが、新しい家でお正月を迎えられたのは何よりではないでしょうか。

 一方、裏の農地をつぶして建設していた新アパートですが、あれよあれよという間に鉄骨3階建ての立派な建物が出来上がりました。こちらは10月に基礎工事が始まり、11月に柱が立ち初めてからたったの2ヶ月でほぼ完成へ。今は内装の仕上げ段階で、1月末には入居が始まる予定です。
 半年前まで住んでいたアパートと同じ大家さんが所有する物件で、建物の造作も、これまた同じ大家さんが昨年建設した、そのアパート隣のワンルームとほとんど同一の設計です。同じ住宅メーカーに任せると似たり寄ったりになるのは自明ですが、それにしてもそっくりなこと。駅から徒歩圏内なので、早いうちに埋まっていくことと期待しています。

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