メゾン 道の果て

週観 道の果てから

3月27日

 震災から2週間、関東地方でも毎日のように余震が続いています。
 地元を自転車で外回りしていたら、古い民家で屋根が崩れてブルーシートで覆っているのを何軒か見かけました。被害範囲の広さに驚かされました。

・計画停電
 震災直後はピーク時供給能力3100万kwに落ち込み計画停電が次々実施されましたが、2週目に入った今週は火力発電所の一部復旧で最大3850万kwまで回復し、停電実行回数も少なくなりました。製鉄所や民間事業者からも電力を融通し4月末までに4300万kw程度は確保するとの報道ですので、5〜6月にかけては計画停電を恐れることはなくなると思います。
 とはいえ計画停電は主に夕方に実施されるので、居住している地区が計画停電に当たると家の中が真っ暗になります。毎週水曜日夕方にNHKのFM放送をタイマー録音していますが、この水曜日が計画停電と重なり後半部分を録音できませんでした。ラジカセの電源が電灯線のみ、しかもコードを抜いたり停電すると時刻設定も消えてしまうので困ったことになります。現在FMをタイマー録音できるMP3プレーヤーの購入を検討中。

・鉄道の運行
 地元最寄りの鉄道路線は今週から毎日が休日ダイヤ(地下鉄への直通運転は中止)で運行され、混雑はかなり緩和されてきました。しかしピーク時には北千住駅の乗り換えで階段規制が発生し、列車によっては編成が短く積み残しが出ることがまだ多いので、5分早く家を出るように心がけるようにしました。たった5分の違いで会社に20分早く着くか、遅刻するか、という状況に置かれています。帰りも階段規制を避けて北千住を19:50以降に通過するようにし、会社を早く退社できる日はその時間まで秋葉原のカメラ量販店などで時間調整しています。
 東武線内では会津地方を経由して福島県各地に向かう人の連絡用にと、2往復ですが特急列車も復活しました。
 それにしても残念なのは、電力供給が回復しつつあるのに、神奈川や栃木,群馬のJRの一部路線でいまだに電車や列車の全面運休が続いていること。地域の交通手段を失い、代行バスもなく、通勤通学ができず困っている人がたくさんいます。最優先で運行再開してほしいです。

・テレビ放送
 震災直後はどこのチャンネルも被害状況の報道に終始していましたが、14日からテレビ東京が通常放送に戻り、15日夜からは他の民放でもドラマの放送が再開されました。NHKも先週末からドラマが始まり、この1週間ではバラエティー番組も次々復活して震災前に戻りつつあります。
 その一方で洪水のように大量に流されているACジャパンのCM。14日から民放のCMが復活したか、と思ったらほとんどがこれだった。震災でスポンサーが一斉に引き上げ代わりがなくなって、という状況が見て取れますが、どこのチャンネルを付けてもACというのは何とかならなかったのか。例えばニュース速報番組を入れるとか、工夫の余地はあったと思います。CMの方は今週からSMAPやサッカー選手などが出演して呼びかける内容も登場し新たな展開を見せていますが、ややしばらくの間はこの状況が続く気配です。

・商店など
 スーパーやコンビニから一時姿を消していたカップ麺やパン類が再び並べられ始めました。店側もすぐに完売してしまうのを警戒して、お一人様3個まで、などといった個数制限を設けていますが、今のところは品物がなくなったりはしていないので買い占め騒ぎも落ち着きを見せてきたかと思います。一方で在庫のあった麺類が、特に生麺を中心に品薄になりつつあるようです。レトルトカレーやレンジご飯も、停電対策で買っていく人が多いのかかなり品薄状態です。今週に入って水道の放射能値報道でミネラルウォーターの在庫が急速になくなっています。
 最寄りのスーパーでは天井の蛍光灯を3本に1本しか点灯させていませんが、一応の明るさは確保できています。いかに普段余計な電力を使っているかよく分かります。
 ガソリンは製油拠点が再稼働して各スタンドに行き渡り、品切れ状態や給油待ち渋滞は解消されました。しかし値段はつり上がり、 1L当たり148円!震災前から20円も上がっています。3年前の狂乱価格の再来か。

・その他
 思わぬ影響が出ました。週に1回、瓶入りの牛乳を配達してもらっているのですが、産地が福島第1原発避難指定区域に入っているとかで当面の間配達中止だそうです。別に牛乳がなくて生活に困る訳ではないし、もちろん不達時の代金は徴収しないのですが、このまま営業休止になったりはしないか気がかりです。


3月21日

 震災から1週間経ちました。
 ここ関東地方でも、あらゆる方面で大きな影響が出ています。
 この1週間、身の回りで起きたことを記録としてつづってゆきます。

・計画停電
 震災で福島の原子力発電所が機能不全となった影響で、東京電力は14日から計画停電を始めました。
 東京都心部を除く東電管内を5つのエリアに分け、時間帯を区切って順番に停電してゆく内容です。
 僕が住んでいる地区は「第5グループ」に分類されました。
 14,15日に予定された第5地区の停電は直前で見送られましたが、16日からは停電が発生したそうです(家族談)。気温が下がった17日は朝と夜に1日2回、18日は夜遅い時間に停電し、夕食を作る時間をシフトしたりメニューを手抜きしたり(笑)して対処しました。
 都心部にある会社の事務所では停電の影響はないはずでしたが、停電対象エリアにある工場のネットワークが停止して、一部のページが見られなくなったり回答システムの受付やデータの取り出しができなくなったりし、対応に追われました。17日は16:30に繰り上げ退社指示が出て、まだ明るいうちにぞろぞろと帰宅してゆきました。

・鉄道の運行
 計画停電は鉄道の運行にも影響しました。14日は最寄り駅を通る鉄道路線が完全運休。会社に出社できず終日自宅待機です。
 翌15日、計画停電内容の見直しを受けて運行が一部再開されました。本数は各駅停車・急行とも約10分おきで、通常の半分以下の本数です。いつもの時間、いつもの乗り継ぎルートで出社しましたが、北千住で地下鉄の乗り換えに階段規制がかかり約10分の遅刻。
 16日もいつも通りに家を出ましたが、乗客の数が増え普通電車は最寄り駅で積み残し寸前。途中での急行乗り換えを見送りそのまますし詰めの各駅停車で向かうと、その先の各駅ではホームにあふれんばかりの乗客が。駅に止まるごとにドアが閉まらず遅れが増し、この日も大きく遅刻です。
 17日は早朝からの停電が予定されていて、いつもより20分早く家を出ました。前日同様急行への乗り換えなしで移動。通勤客も学習したのか同じように早く出る人が多く混雑はさらに激化しましたが何とか定時に出社。
 18日も早目に家を出ましたが、急行運転の本数が増え、続行でやってきた次の準急は拍子抜けの空き具合。北千住駅手前で数分止められましたが、昨日までに比べると大分楽に通勤することができました。
 帰りの電車も混雑しています。震災以来地下鉄の直通運転が全て中止となったため、北千住での乗り換えが必要となり階段規制で列が大蛇のようにうねっています。ピークは夕方18時台前後。乗り換えに約30分待ちということで、その先の駅まで何駅か歩いて移動する人も少なくなかったです。20時近くになるとようやく乗車待ちの列も短くなり階段規制も解かれ、少しは楽に帰宅できます。

・商店など
 勤務先近くのデパートは営業終了を早めたりしています。銀座のブティックの多くは店を閉め、大通りは異様なほどに人通りが少ないです。
 スーパーは食料品の買い占め騒ぎで、米やパン類といった基本的な食料、カップ麺のような非常用としても利用できる食品は枯渇しています。家族も1回米を買いに出かけましたが、行列ができてすぐになくなったそうです。
 その一方で麺類、特に乾麺は相当数の在庫が残っています。ケーキやピザなどの類もかなり売れ残っています。
 関東地方の停電は時間を限っているのに、そこまでして乾麺ではなく米やパンにこだわりたいですか?とも思います。
 乾電池や非常用品も、置いてあった棚がきれいさっぱりなくなっています。
 ガソリンスタンドは、先週末では給油する車の列で至るところで大渋滞でしたが、今週末はほとんどの店で在庫切れ休業中。
 家の車は震災前に運良く満タンに入れてあったので助かりましたが、この状況ではしばらく遠出などできません。
 製油所の稼働も再開しているので、早くこの状況が落ち着いてほしいと願います。


3月14日

このたびの東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された地域の皆様に対し心からお見舞い申し上げます。

 その地震が起きたとき、会社の中でいつものようにパソコンに向かって実績書類を作っていました。
 最初に建物が小刻みに揺れ始めました。
 小さな地震などよくあること、すぐに止むだろうと思っていました。
 30秒くらい経って、緊急地震速報が全館放送で流れました。
 「緊急地震速報遅い!」とか何人かがぼやいていましたが、
 間もなく本格的な横揺れがやってきました。
 それも2分近くも続いていました。
 阪神大震災のときも長かったですが、ここまでではなかったかと。
 しかもこの大揺れが30分の間に3回もやってきて、事務所の中はそのたびに大騒ぎ。
 幸い書類が落ちてくるようなことはなかったですが。
 携帯のワンセグテレビをつけると、「東北で震度7」「大津波警報」の文字が。
 そのうち三陸海岸や仙台市の上空から大津波が押し寄せる映像が流れてきて、そのあまりの被害状況に愕然としていました。

 鉄道各線がストップし再開見込みが立たないということで、歩けるところまで歩いて帰宅することにしました。
 大学時代の学園祭イベント「オーバーナイトハイク」35kmに4年続けて参加したことがあり、普段から街歩きで足回りと土地勘を鍛えているので、自宅まで20数kmの距離だったら帰れる自信はありました。
 17:20に会社を出て、すぐに地下鉄日比谷線真上の道路をたどってゆきました。
 同じ考えの人が非常に多く、幹線道路はどこも歩行帰宅者が大集団をなしていました。まさしく歩け歩け大会。
 東銀座から築地を回り、秋葉原を18:45に通過。カメラ量販店で時間をつぶそうと思いきや、何と全館閉鎖。
 仲御徒町のディスカウント店も閉鎖され、店が開いているのはコンビニか小型スーパーくらいです。
 コンビニでもおにぎりは軒並みなくなっていました。菓子パンやカップ麺も在庫が半減しています。
 上野を19:20頃通過。携帯電話を繰り返しかけますが、全く通じません。
 ここまで来ても、歩行帰宅者の大集団は少なくなるどころかむしろ増えているような状況です。
 三ノ輪からは日比谷線真上から離れ国道4号を北上します。途中北千住駅近くの商店街に回りましたが、公衆電話は混雑しています。
 R4に戻り荒川を渡ります。橋の上はおびただしい数の歩行者、大渋滞の車であふれかえっています。
 さすがにここまでくると足も疲れてきました。リアルにオーバーナイトハイクの再現です。
 橋を渡ってR4から離れ、五反野方面に向けて路地を進みます。ここで空いている公衆電話を発見し、ようやく自宅に連絡を取ることができました。西新井駅21:20に到着見込と伝え、ここに車で迎えに来てもらうことにしました。電話は無料でかけられました(投入した10円が戻ってきた)。
 西新井には予定通り到着しましたが、迎えの車が1時間経っても到着しません。寒空の下、来るのをじっと待ち続け、ようやくやって来たのが深夜23:20になってのこと。大渋滞のR4をそのまま進んで2時間半もかかったと云っています。戻りは裏道を通らせほぼ渋滞なしの40分で帰宅できましたが、これならばそのまま歩いて帰宅した方が早かった。

 今回の大震災では福島県の原発が停止し、今日から計画停電が行なわれることになりました。
 自宅最寄り駅では電車は終日運休となり、遠くから聞こえてくるはずの電車の通過音が全く聞こえません。
 当然会社にも出社できず、今昼前の自宅でこの文章を書いています。
 スーパーなどでも店を閉めているところが多く、開いている店でも物資の不足が始まっているようです。
 生活全般の正常化には時間がかかりますが、みんなで知恵を出し合ってこの苦境を乗り越えていきたいと思います。


3月8日

 GPSロガーの続き。
 本体を持ち歩いて記録した位置情報は、パソコンに読み込むことで初めて目に見える表現となります。
 「旅レコプレーヤー」という専用ソフトを、あらかじめI・Oデータのサポートページからダウンロードします。
 本体をUSBケーブルでパソコンに接続して電源を入れると、ログの読み込みが始まります。
 ログを読み込むと、軌跡がGoogleMap上に分かりやすく表示されます。

 下の画像は本体を持参して歩いた実例です。
 多少のぶれこそあるものの、誤差が数メートル程度の範囲にとどまっているのは、さすがは元軍事目的のGPSです。
 水色と青色の線が軌跡、それぞれの一端に立っている旗印が起点です。
 水色の線は、京橋地区から中央通りをまっすぐ歩き、八重洲地区では狭い路地を右に左に入り込んで東京駅日本橋口を目指しました。
 その帰りが青い線で、大通りをまっすぐ江戸橋一丁目に向かって歩きましたが、電波が届きにくいのか、南にぶれています。

 軌跡の上にカーソルを当てると、この地点に何時何分にいて、そこは北緯**度**分**秒、東経**度**分**秒と正確な位置を教えてくれます。移動中の場合は時速**kmで走っていたとか、この地点の高度は*メートルとか、そういう情報も知らせてくれます。ただ、高度情報はほとんどあてになりません。平地を歩いていたのに41m、その次の計測で-15mとか、そんな調子ですから(笑)。
 軌跡の表示結果に不満があるときには手で修正することもできます。「軌跡エディター」画面でチェックポイントをドラッグするだけ。この際、緯度経度の情報も自動で修正されます。
 軌跡情報と一緒に写真や動画などの情報も読み込むことができます。まだ試したことがないのですが、写真を一緒に読み込ませることによって、撮影日時の記録から軌跡上にその写真を表示してくれるそうで、この写真がここで撮影されたというのが一目で分かり便利です。
 少し興味深いのが「再生」機能。軌跡を選んで再生ボタンを押すと、その軌跡を起点から終点まで時間を追ってなぞってくれます。場所を移動するごとに地図も移動します。どこかで時間をつぶしたときにはそのつぶした時間だけなぞる動きも止まるので、ここの地点で一休みしたことも分かって面白いです。

 近いうちに夫婦でドライブに行くことにしています。このドライブでGPSロガーの本格デビューとなる訳ですが、行程が記録となって簡単に、そして地図情報として目に見える形で残せるというのは、世の中本当に便利になったなあと感じました。今までいろんな場所にデートに行ったりしましたが、数が多すぎてどこをどう行ったか覚えていないというのが現実(オチ)なので、それを整理して半永久で保存してくれるGPSロガーの登場に、ありがたみを感じる次第です。

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