メゾン 道の果て

4月30日

 昨年1月に閉鎖し全面建て替え中だった地元のダイエーが、この木曜日から生まれ変わってオープンしました。
 当初計画では今年の秋の予定でしたが、工事が順調に進んで半年早まっての再スタートです。

 改築前地上6階地下1階の7フロア構成から、地上2階建てに大幅縮小されました。
 一方で建坪は一回り拡大されています。南側を除く周辺三面は日照権の関係か?改築前は数メートルずつ内側に寄せて建てられ、その部分を自転車置き場や業者の搬入口としていましたが、改築後はその部分も建物敷地となりました。このうち西側1階、北側2階部分は屋上駐車場へのスロープにあてられ、東側1階も自転車置き場と通路にしてありますが、バックヤードを外側に拡張して売り場面積を拡大することができました。
 金曜日の夜、会社帰りに初めて立ち寄りました。閉店間際の時間だったからか、想像と違って買い物客は驚くほど少なく、近所の他のスーパーと変わらない様相です。
 中に入ると、確かに売場が以前より広くなったように感じます。天井も高くなったせいもあるでしょう。そして店内は洗練されて明るいです。1階には改築前地下にあった食料品売場、同1階にあった酒売場、自転車用品売場。これらは改築前とほぼ変わらない売り場面積のようです。2階は改築前1階にあった化粧品、2〜5階にあった衣料、日用品、生活家電等の売場が1フロアに集約されています。品揃えを大きく見直し売れ筋商品に絞った様子がうかがえます。新たに設置された2階東側空間にはパソコン教室、こども英会話教室、美容室、歯科(6月開業予定)も入居しました。決して広くはない空間を、意欲的に使おうとする試みを感じます。

 小売業界も競争社会のようで、各店舗はあらゆる手を使って生き残ろうとしています。
 近くの東武ストアは3月に売場の全面改装を行ないました。陳列棚の並べ方を縦並びから横並びに変えた、くらいにしか素人目には気付きませんが、結構なにぎわいを見せています。見切り品半額セールが少なくなったのがちょっぴり残念ですが、それだけ健全な仕入れと販売ができるようになったということでしょう。
 同じ市内に「北野エース」という食品店があります。最近テレビで特集されていましたが、普通のスーパーでは扱わない国内無名メーカーや海外の高級品を扱っているのが特徴です。調味料、レトルトカレーやチーズ、パン類、お酒、どれも多種多様な品揃え。初心者にはどれから入ったらよいか迷ってしまいますが、これも顧客を引き付ける方法の1つ。
 今回の全面改築オープンで、ダイエーが取った戦略はどのような結果となるか。しばらく注目しましょう。


4月22日

 新型ノートパソコンを購入しました。

 今までの歴代パソコン同様、使い慣れた富士通製としました。ただしOSがWindows7に代わっているので、VistaやXP(会社のパソコン)とは操作の勝手が少々違ってきます。重さは2.6kg(公称値)。外に持ち出すのには重いですが、家の中をどこでも移動してネットが楽しめるのがノートの魅力です。最近はノートも大幅に高性能化、低価格化して、取り柄の少ないデスクトップは完全に脇役になっているようです。
 外箱のサイズも恐ろしく小さくなりました。50cm×31cm×厚さ9cm。前回のデスクトップは本体だけでも大きな段ボールに詰められて配送されてきたので、コンパクトさに驚いています。それ以上に驚いたのが、マニュアルが比較的薄手の1冊しかないこと。リカバリー用のCD,DVDの類が一切付属していないこと。マニュアル等文書の電子化、製品の信頼性向上、ブロードバンド化の成果でもあり、これが生産や印刷、梱包、配送にかかるあらゆるコストの削減につながっていると思うと、会社で生産平準化運動に関わっている身としては少し胸が熱くなります。
 電源を入れ、セットアップ作業を開始します。完了までに30分かかりました。クアッドコアの最高性能CPU装備であってもセットアップは相当重い作業のようです。レジューム状態からの起動は素早いですが、シャットダウン状態から起動所要時間は約2分。現行のデスクトップと大して変わりません。もっとも現行デスクトップは以前も書いた設定変更でスピードアップさせており、今回の新型パソコンも設定次第で起動時間短縮は可能と思われます。
 主目的がフルハイビジョン動画の編集用ということなので余計な装備は省略しています。WordやExcelも付けていません。マウスも買わずにフラットポイントで操作していますが、このフラットポイントの感触や追随性が素晴らしく、操作はすぐに慣れてしまいました。

 早速動画編集のテストをしてみます。
 使用するソフトは本体プレインストールの「Windows Live ムービーメーカー」。従来のマイクロソフトDVDメーカーとは全くの別物で、動画を編集してネットに登録することをメインに作られています。編集メニューは豊富で、タイトルを自由に入れられたり、シーンの切り替え効果も多彩です。これさえあればもう他社の動画編集ソフトをインストールする必要はありません。
 合計7分30秒のフルハイビジョン動画ファイルを編集して、1本のムービーファイルに書き出してみました。結果は....約15分で出来上がり。DVD用720×480サイズでは4分で編集完了です。今までのデスクトップ機ではDVD用サイズでも30分かかっていたのですから、所要時間8分の1!!さすがはクアッドコアCPU、劇的なスピードアップです。
 昨年12月に撮影した大学合唱団の定期演奏会ビデオが約2時間、未編集で残っています。2時間の動画を編集、フルハイビジョンのまま保存するのにこの計算で4時間かかりますが、それでも在来機ではまる1日以上かかるであろうことを考えると、4時間で済むというのは大きな進化です。これで安心して編集を再開できます。


4月15日

 廃貨車レポートも3回目になります。
 今回紹介する実例はいずれもワム80000形です。ワム80000は昭和35年から登場したパレット輸送対応貨車で、フォークリフトで運んだ荷物を効率よく貨車に積載できるよう、側面をすべて扉(開口部)にしたのが最大の改良点です。車体は茶色(とび色2号)ですが、平成の世まで生き延びられた仲間は順次青色に塗り替えられています。
 当初はワム70000,60000,ワラ1形と並行してパレット輸送に必要な数だけ製作していましたが、昭和41年以降ワラ1形の製造を中止してワム80000に一本化することになり大量生産が始まります。このとき登場した83000番台は、屋根の突起の本数が大幅に増え波板状になりました(それまではワム70000とほぼ同形態)。本グループは昭和46年までに15300両(83000-88999,180000-188806他)製造されています。
 昭和50年以降製作再開されたグループは280000番台(280000-288499)に区分され、側扉がアルミ製になるなどのマイナーチェンジが行なわれました。屋根の色もこのグループから白に塗り分けられています。最終的に昭和56年までにワム80000形全体で26605両が作られ、全国各地で幅広く運用されました。

 蓮田市内。ワム80000形が2両、倉庫になっていました。濃い青に塗り替えられ、車番も塗りつぶされて確認できません。
(写真は一部加工しております)
 越谷市内。こちらは扉を開いた状態の上に窓付きの壁を立ててふさいでいます。扉を加工することなく外からの光を確保しようとしたのでしょうか。
 やはり青色に塗りつぶされてしまっていますが、近くまで接近すると「ワム87982」の筆跡を読み取ることができました。
(写真は一部加工しております)
 岩槻区内。何と!白帯の入ったワム80000形280000番台を見つけてしまいました。かなり貴重です。
 通常、貨車は特定の車輌基地に属さず全国各地を放浪して回っていますが、白帯車は車輌工場の管理下に置かれ、車輌基地との部品運搬専用に区間を限定して運用されていた車輌です。
 59-2改正まではワム70000,60000、またはそれより古い車輌が専ら白帯車指定されていましたが、59-2改正以降はこのように経年の新しいワム280000番台が白帯化される例も見られました。車番は「ワム283199」です。

4月8日

 前回に続き廃貨車倉庫の実例をお見せしますが、ここで登場する貨車について簡単な解説をします。
 ワム70000形は、昭和33年から35年にかけて5710両(70000-75709)が製作されました。それまでの貨車との大きな違いは出入り口の扉がプレスの波板を使っている点で、これにより強度を確保しながら大きく軽量化を図りました。
 ワム60000形はワム70000の改良型で、昭和36〜38年に8580両(60000-68579)が製作されています。屋根が角張っていてプレスによる突起が並ぶワム70000と比べ、本形式では丸い屋根に戻ったのが外観上の大きな変化です。
 ワラ1形は荷物を17t(それまでの形式は15t)まで積載できるよう、ワム60000より車体寸法を大きめに設計した形式で、ワム60000と連結したときに多少大きく見える以外ではワム60000との識別は困難です。昭和37〜41年に17367両(1,2,100-17464)が登場しました。各地の私鉄でも同型車を新製した例があり、東武鉄道でも多数の自社発注ワラ1形を所有していました。
 これら3形式30000両以上の投入で旧形貨車の取り替えが進められ、国鉄貨物輸送は近代化の時代を迎えました。

 今回の写真はいずれも越谷市内の物件です。市内に貨物ターミナルがあるからなのか、この辺りで廃貨車を比較的多く見かけます。

「県民健康福祉村」近くの道路沿いにワム60000の車体が放置されています。
上写真の車体を道路側から。ドアは開けられたままで、使われなくなった什器備品が無造作に詰め込まれています。

車番は「ワム68124」と書かれているのが読み取れました。
ワム60000形?ワラ1形? 後付けで「火気厳禁」などのプレートが張られており、危険品保管倉庫として活用されているようです。
クリームに塗りつぶされて車番の読み取りが不可能ですが、「荷重15t」の判読ができたのでワム60000形です。
電気が引き込まれエアコン室外機やプロパンガスまで装備してあり、居住用の部屋として活用しているのかもしれません。貨車を1台買ってこの中に住みたい、と思う貨車ファンも多いでしょうから。

4月1日

 先月17日実施されたJRグループダイヤ改正では300系新幹線引退、寝台特急<日本海>などの廃止などが注目されていましたが、その裏で2軸貨車、ワム80000形による紙輸送列車もひっそり姿を消しています。
 昔は貨物列車と言えば大半が、10mほどの短い車体に車輪を2個付けた構造の「2軸貨車」であり、機関車がこれらの貨車を30両、40両と引っ張って駆け抜けていく姿は日常的光景でした。列車の通過ごとに貨車が何両つながっているかを数えていたのも子供の頃の思い出です。
 しかし昭和59年2月の改正で、これらの輸送形態は大きく変わります。2軸貨車による雑多な貨物列車は多くが廃止され、黒い車体の貨車(ワム70000,60000,ワラ1形など)は一斉に廃車、生き残ったのは茶色い車体のワム80000形、それも昭和50年代以降に製造された新しい車輌のみとなり、新聞紙などの原料となる紙輸送専用として、この3月まで地道に走り続けてきました。国鉄貨物輸送に大ナタが振るわれた59-2改正から30年近く経ちますが、コンテナー化が進む中でこれらの2軸貨車が生き延びてこられたことは奇跡にも思えます。

 一方、59-2改正で廃車された2軸貨車の多くが倉庫として売却され、30年近く経った今でも形を残しています。
 今回からは2軸貨車の思い出つながりで、筆者が住んでいる周辺地域を中心に、貨車倉庫の写真をいくつかお見せしましょう。
 (写真はすべて公道から撮影)

 草加市内。運送業者の駐車場にワム70000形貨車が2台並べられています。現役時代と同じ黒い塗装のまま。車輌番号は消えてしまっていますが、手前の車輌は台枠に「ワム70012」と書かれていました。
 八潮市内。ワラ1形が倉庫として使われているようです。
 車番は「ワラ17177」と書かれているのが何とか読み取れます。
 草加市内。白緑色に塗り替えられたワム80000形が大量に並べられているのを発見しました!少なくとも8両は確認できました。

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