メゾン 道の果て

3月28日

 子供が生まれて2ヶ月を迎えました。
 生まれた当初こそ病院転送などで大騒ぎしましたが、おかげさまでその後は順調に育ってきているようです。

 今月上旬に1ヶ月検診を受けたときの体重が3,370g。出生時から1kg以上も増加していました。
 道理で抱いていて重く感じる訳です。
 ミルクの量も60ccだったのが徐々に増え、一時期100ccまで達しました。現在は90ccを約3時間ごとに与えています。
 最近は以前よりも泣く回数が減り、時々笑い顔を見せてくれるようにもなりました。
 ご機嫌が良い時は、ベッドに仰向けの状態で両手両足を上げ下げしています。
 妻に言わせると「車を運転している」体勢だそうですが、
 僕から見ると、どこか空を飛ぼうとしているような。もしかすると前世は鳥か、羽の付いた虫だったのかもしれません。
 それから自分で指をしゃぶるようにもなったのも大きな変化です。指しゃぶりを覚えてから、おなかがすいてもあまり泣かなくなってきました。
 視力や聴力と頭脳が結びついてきたようで、話し声をする方に顔を向けたり、子供の顔の前で指を左右に動かすとそれを目で追ったり、ドアを開け閉めする音に驚いたりしています。

 生まれて数日間、鼻から胃にミルクチューブを挿していましたが、その時に鼻の下にテープを貼ってチューブを留めていました。これをはがした跡の腫れが50日以上経過した現在も残っています。というか日が経つにつれてますます赤くなってゆき、かえって目立つようになりました。赤ちゃんの肌はかなりデリケートなようです。検診では自然に治ると言っていましたが、やはり気になります。痛みとかは感じないようですが。
 髪の毛はまだ少なく、男の子のように見えます。鼻の下の腫れが余計に男の子のように見せているのかもしれません。実家にある僕の幼少期の写真にそっくりです。その一方で、ここ1ヶ月でまつ毛が急に伸びてきて、女の子らしい部分も見えてきました。寝顔の実にかわいらしいこと。どんな女の子に成長していくのか、これから楽しみです。


3月23日

 長らく砂利道だった自宅入口に向かう道路約10m余りが舗装されました。
 舗装の計画は以前からあったのですが、市の予算の都合で先延ばしになっていたのかなかなか着手されず、年度末近くになって突然始められたような印象です。
 工事は月曜日から始まりました。まず新しい砂利を入れて舗装の下準備をし、火曜日は自宅に向かって左側の道路端にU字溝を掘って埋め込みます。水曜日は祝日休み。木〜金曜日でもう片側にもU字溝を埋め込み、道の両側から雨水を排水できるようにします。
 この間、道路工事に付き物の工事機械の振動や音が激しく、2ヶ月を迎えた子供も振動で起こされては泣いているの繰り返しであやすのに苦労したと妻の談。僕は平日の間はずっと会社出勤だったので騒音や振動とも縁がなく、夜に帰宅したときに、ここまでできたのか、と工事の進捗を楽しんでいます。
 そして本日はいよいよ舗装です。白い砂利の上にアスファルトがまかれ、ロードローラーが平らにならしてゆきます。排水の接続も行なわれ、1週間ですっかり見違えるほどに変わりました。これで雨の日でも水たまりを気にせず通行できるようになります。

 以前から度々書いているように、自宅近辺の住宅開発が進み、畑や駐車場だった場所に新しい住宅が次々建てられています。
 広い駐車場だった場所に昨年秋口から建築されていた16棟の建売住宅は年明けから2月にかけて順次完工し、完売の上入居が始まっています。その隣、自宅への通り道にある畑や商店跡地にも5棟の住宅が建つことになり、基礎工事が進められています。自宅前の道路工事と同じタイミングで住宅資材の搬入トラックも出入りし、せわしないです。
 先日、妻の幼少時代の写真を見せてもらいました。新しい家を造成している区画は去年まで畑だったのですが、30年前は屋敷の林だったそうです。自宅周辺の景色はすっかり変わってしまい、面影を見いだせません。


3月14日

 3月16日のダイヤ改正では、この車輌の撤退も発表されています。
 地下鉄日比谷線直通用の東急1000系です。

北千住にて

 1000系は昭和63年より、従来日比谷線直通に使われていた初代7000系に代わる車輌として製造されました。平成2年までに8両編成が8本、目蒲線兼用の4連が4本、80両が登場しています。冷房付きとなり、また足回りも最新のインバーター制御で停車中も熱を出さず、夏場でも暑くない快適な環境を提供しました。もっとも追い出された初代7000系も冷房化、インバーター化改造をして目蒲線などに転用し、50年経った今でも現役でがんばっているのですが。1000系はこの後も目蒲線専用の4連、池上線用の3連の増備が続き、最終的に全体で113両の陣容となりました。
 僕と東急1000系との本格的なお付き合いは、日比谷線を通勤ルートに使うようになった5年半ほど前からのことでした。1000系は乗り入れ協定上東武線には入線できず、また日比谷線内でも多数派の東京メトロ車や東武車に比べて影の薄い存在でしたが、それゆえにたまにやってくると存在感がありました。会社が虎ノ門に移転してからは、毎朝北千住から座って乗っていく電車がこの東急1000系の運用で、いつもお世話になっていました。座席が他の車輌に比べて硬いのが難点でしたが。

 そんな1000系も、3月16日のダイヤ改正で東横線〜日比谷線の直通が廃止に伴い日比谷線から見られなくなります。北千住の高架ホームに出入りする姿も見納めとなります。東横線〜副都心線直通開始という華やかな話題の影で、日比谷線の車輌バリエーションが1つ消えることになり、少し寂しい思いです。
 1000系自体、既に廃車や地方私鉄への譲渡で数を減らしており、今回残っていた8連6本の去就も気がかりです。


3月9日

 あの「明星Quick1」が、およそ30年の時を超えて復活です!!

 お湯を注いでわずか1分で食べられる!!
 当時子供だった僕にとって、それはあまりにセンセーショナルな出来事でした。
 カップラーメンが出来上がるまでの3分間が大変待ち遠しかったあの頃。
 今ならばその3分間で携帯テレビを見たり、いろんなことをして時間をつぶせますが、
 一家にテレビが1台しかない当時は娯楽が少なく、早くできろー、などとおまじないをかけたりして3分をじっと待ち続けていました。
 Quick1は、そんなじれったい待ち時間を解消してくれる、革命的な商品でした。
 ただ少々幻滅したのは、カップヌードルなど他の商品に比べて量が少なく割高だったこと。
 麺に細かい小穴をたくさん開ける製法だったとかで、ゆで上がりが早い→伸びるのも早い→量を少なくして速攻で食べてもらおう、ということで少量パッケージにしたのでしょうが、成長期にあった子供心にはちょっとした不満でありました。

 あれから約30年。地元スーパーで久しぶりに出会ったQuick1。
 その商品名を聞いて、子供時代の懐かしくも鮮烈な思い出が蘇ってきました。
 パッケージは当時とは全く別物で、麺の製法も時代に合わせて進化していますが、何よりQuick1という商品名が帰ってきたことに意義があると思います。
 スープの味はミネストローネ、チキンコンソメ、ブイヤベースの3種類。
 麺は明星伝統のノンフライ製法ですが、食感は油揚げ麺、特にベビースターブタメン辺りとよく似ているような気がします。
 量も30年前のQuick1同様に少なめで。ただ少量であることをノンフライ製法と組み合わせ、健康志向、ダイエット中の人をターゲットにしたプロモーションが展開されています。パッケージに書かれた「198kcal」がそれを現しているといえます。
 当時の子供だった僕自身も40代となり適正体重を考えながら食事をとるシーンも増えました。製品の欠点ともいえる部分を逆手にとって新たな提案を進めるところ、大いに見習いたいと思います。

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