メゾン 道の果て

7月30日

 大変残念なことに、7月に入って海外で重大鉄道事故が続発しています。
 6日、カナダ東部のラックメガンティックで石油輸送列車が暴走、脱線転覆し大爆発、住宅地を焼き尽くし約50人の死者不明者を出しました。
 12日にはフランス、パリ近郊のブレティニ・スール・オルジュでポイントの故障が原因により急行列車が脱線転覆、6人の死者を出しています。
 そして先週、24日にまた信じられない重大事故が起こりました。
 スペイン北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラで高速鉄道車輌が脱線転覆、79人の死者を出したというのです。

 原因は運転士のスピードの出し過ぎといわれ、80km/h制限のカーブを190km/hで通過して横転したと報じられています。
 ここで気になったのが、なぜ80km/h制限のカーブを190km/hで通過したのか。
 高速鉄道ならばある一定以上の速度を出すと自動的に減速または停止させるシステムが当然備わっているはず。
 特にスペインの場合、日本同様に在来線と高速鉄道は線路幅が異なっているので、在来線と高速鉄道を共用する3線軌(4線軌)区間がない限り、信号システムの上では厳然として両者を区別できる、つまり在来線と高速鉄道は全く別のシステムとして運行されているはずです。
 報道では「現場は複線の高速新線と単線の在来線が並行する区間で、事故は高速新線で発生した」とのことでした。ところが信号システムはこの急カーブ部分はいずれも在来線用を使っているとのこと。高速線なのになぜ在来線信号なのかよく分かりません。
 さらに現場の映像を見ると線路幅が3本とも同じように見えます。ネットで集めた情報では、どうやらここの高速新線はAVE線(線路幅1,435mm;日本でいう新幹線に相当)ではなく在来線用の1,668mm幅で作っているらしい。なぜ最初から1,435mmのAVE線で作らず、わざわざ手戻り工事をするような在来線線路で敷くのか、ますます訳が分からなくなりました。
 というのは、スペイン国鉄が「異軌間直通車輌」の営業運転に多大な実績があるからです。そして今回の事故車もまた、最新式の異軌間直通車輌でした。

 スペインは隣国フランスから侵略されないようにという軍事的理由から世界標準の1,435mm幅ではなく独自規格の1,668mmで鉄道を敷設してきました。第二次大戦終結後、他のヨーロッパ諸国が国際列車を走らせ始めると線路幅の違うスペインはこの動きに取り残されることになります。それを取り戻すべくスペイン国鉄と、車輌メーカー「タルゴ(Talgo)」社は1968年に軌間可変客車を開発し、フランスへの直通運転を実現しました。その後技術の進歩とともに高速対応化もなされ、21世紀に入って動力車も軌間可変対応となり機関車を付け替えることなく線路幅切り替えポイントさえあれば自由自在に2種類の線路幅を行き来できるようになっています。同じように新幹線と在来線の線路幅が違う日本で未だに実用化できていない技術を、40年以上も前から使いこなしているスペインは、鉄道技術立国だと思っていました。
 その鉄道技術立国(と思っていた)スペインが、それも世界に誇れる最新技術を搭載した車輌が、このような速度大幅超過による脱線転覆事故を発生させたのは、正直情けないと思います。いずれの線路幅にしても、高速で列車を運行させるのに不可欠な速度照査形停止装置が現場の路線に備わっていなかったことが原因の1つのようで、8年前の福知山線尼崎事故の教訓が全く生かされていなかったことになります。
 どんなに技術が進歩しても、人間が運転操作に関わる限りヒューマンエラーは起こりうる。想定されるあらゆるヒューマンエラーを検知し補正に導くのが機械の役割です。高速鉄道に備わるべき信号システムが正しく設置され、正しく運用されていればこのような事故は(自動減速・停止で)防げていたはずです。亡くなった79の御霊を偲びつつ、高速鉄道の重大事故が二度と起こらないように世界の英知を結集して情報を共有し、安全にかかわる装備が各国とも適切な形で導入されるよう監視し続ける仕組みの必要性を感じる次第です。


7月24日

 会社が虎ノ門近辺に移転してから、銀座に立ち寄る機会がとんとなくなってしまいました。

 先日銀座で飲み会があり、実に数ヶ月ぶりに銀座の街を歩いていたら、
 いつも開いているはずの松坂屋デパートのシャッターが閉まっているのに気が付きました。
 張り紙には「6月30日に営業終了しました」のあいさつが。

 あの松坂屋が閉店していたのには全く気がつきませんでした。
 汐留勤務時代、家族へのプレゼントをここで選んだり、昼食の弁当やパンを冷やかしに行ったり、よく利用していました。
 そんな思い出多い松坂屋が、過去のものとなってしまったのです。

 閉店の理由は銀座6丁目地区の再開発とのこと。
 松坂屋の建物だけでなく、周辺の雑居ビルも一通り取り壊しの対象となるようで、その多くが既に撤退、空室となっていました。
 3年後、平成28年を目途に新しい建物を建設し、その中に松坂屋も戻ってくるそうです。
 松坂屋が完全になくなった訳ではないので一安心しました。
 改築中の間はしばしの別れということで、3年後さらにパワーアップしての再開に期待がかかります。

 銀座の街も少しずつ変わっています。
 以前もここで取り上げたことのある歌舞伎座の建て替えが完工してこの春から再オープンしたり、テナントが入れ替わったり、いつの間に新しいビルが建っていたり。ほんの半年ばかり目を離していただけでも大きな変化に驚いています。


7月17日

 隣町の県道沿いにに1軒の銭湯がありました。
 相当年季が入った建物で、空にそびえ立つ1本の煙突が風格を示していました。
 最近では営業しているのを見たことがなく、もちろん入ったことなどありません。

 この週末、自転車で銭湯の横を通りかかると、敷地の道路に面した部分が幕で囲われていました。
 横からのぞくと、建物が半分のところまで解体されているのが見えました。

 大浴場のあった建物が壁一面を残してすっかり取り払われました。浴槽は手前側にあったようですが、すでに重機が入っています。
 洗い場の水道栓の並びは、昔の銭湯でよく見られたものでした。子供の頃連れて行かれた温泉宿を思い出します。
 富士山の壁画は煙突と並んで銭湯の代名詞ともいえる存在で、ここでも当然のように描かれていました。
 男女別の仕切りもまだ残っていて、入口の構造が分かります。富士山は仕切のど真ん中に高くそびえて描かれていました。
 こうして見ると、実に天井の高い、広々とした空間だったことがうかがえます。

 最近ではどの住居でも浴室は当たり前のように付いており、郊外では風呂なし物件をほとんど見かけなくなりました。
 そのような中、今の世の中まで昔のスタイルのままの銭湯が営業を続けてこられたのは奇跡ともいえます。
 一体どういう人達が利用していたのだろう。おじいちゃん達が社交場代わりに利用していたのかもしれないでしょうが、少し気になったりします。
 いずれにしても、昭和の良き光景がまた一つ、姿を消してしまったのは惜しまれます。


7月9日

 先週木曜日、会社の元同僚だった女性が亡くなってしまいました。
 享年53歳。つい先月まで業務情報をメールでやり取りしていただけに、突然の訃報に大変驚いています。

 今回亡くなった女性と、その夫である男性とは、共に仕事でつながりがありました。夫とは2年くらい前まで同じチームで仕事をしていました。
 週末に告別式に参列してきました。喪主である夫が、時々声を詰まらせながらあいさつしていたのが強く印象に残りました。社内結婚して10年余り連れ添った妻を失った悲しみが伝わってきます。

 死因は乳ガンとの話でした。
 乳ガンも早期の発見と治療を行えば克服が可能です。
 現にうちの義母も数年前に乳ガンを早期発見し、すぐに入院、手術を施した結果、2年ほどで仕事に復帰できるまでに回復しています。
 会社では毎年定期健康診断があり、特に女性に対しては乳ガンや子宮ガン検診のメニューが盛り込まれていますが、何かの事情で早期発見に至らず気付いたときには相当進行していたというのであれば本当に残念で仕方ありません。
 亡くなったよき同僚のご冥福をお祈りしつつ、この悲劇を繰り返さないためにも、定期検診を確実に受け、普段から健康管理に気を遣っていくことを改めて誓いました。


7月4日

 庭の一角を占領してたくましく成長する植物があります。
 その植物は葉の色が濃い緑とも紫ともいえる独特な色合いで、ナスや赤紫蘇の株とも似た雰囲気です。
 ここ2〜3年ほどは毎年のように芽を出しています。
 それも1ヶ所でなく庭のあちらこちらから。
 雑草を徹底して抜いている砂利撒きエリアからも次々に芽を出し、抜いても抜いてもしぶとく生えてきます。
 あまりにしつこいので根元を深く掘ってみたところ、竹のように地下茎が横に長く続いていました。
 別の株からの養分が地下茎を伝って供給されているのですね。かなり強い生命力です。

 庭を占領している大株は人の背丈くらいの大きさになり、6月になって次々と花芽を付け、紫陽花を小さくしたような花を咲かせ始めました。
 たくさんの赤紫のつぼみを付けた花茎には、これまたたくさんの蟻達が登ってきて戯れています。
 5月、すっかり成長して小さな木になった玄関前のランタナ(七変化)が数百もの花を付けて狂い咲きしていましたが、この木に向かって複数の蟻の行列ができていました。ランタナの花がピークを過ぎると、今度はこちらの桃色の花をターゲットに選んだようです。

 花が咲いたところでこの植物が何かネットで調べたところ、「牡丹臭木(ボタンクサギ)」というそうです。
 「臭」という漢字が使われているのは、葉や茎に触れると独特の匂いがするところから付けられたとか。
 確かにこの植物を引っこ抜いたとき、手が青臭くなりました。まあ不快感を催すほどではありませんですが。 

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