メゾン 道の果て

12月31日

 今年も最後の日がやってきました。
 例年の通り、1年を振り返ってみますと、

・子供誕生(1月)
・分社化,新会社発足(2月)
・日帰りで江差線訪問(10月)

 とにかく、1月から2月の間で今年のトップニュースが決まった、といってもよいでしょう。
 1月22日の子供誕生から2週間、別の病院への転送、出生届など書類の提出、また病院まで連日車で母乳を届けに通ったりなど大わらわでした。この最中、2月1日には会社で所属している部門が子会社化され新会社として発足。2つの慶事イベントが重なりめまぐるしい毎日を過ごしました。子供は退院してからは育ちも順調で、5月のお宮参りを経て今や11ヶ月。1人で立てるようにもなりました。
 会社も2月の分社化以来、新たな任務が次々に回っています。毎日が学習で、今は何とかついていっているような状態です。変化のスピードの速さを実感しています。
 子供がまだ小さいので、今までのように遠出することもままならなくなりました。そんな中、今年唯一の旅行といえるのが、10月の津軽線・江差線日帰り訪問でした。これも江差線末端区間が来年5月で廃止されるので、たっての願いで1日だけ空けてもらっての訪問実現でしたが、なくなる前にこの足で確かめることができて何よりです。
 これ以外は東北線上野口からの211系撤退(実際には3月改正後も高崎線のごく一部で運用が残っていました..)、自宅前の道路舗装(3月)、虎ノ門パストラル跡地の期間限定施設(5月)、銀座松坂屋閉鎖(7月)、越谷の竜巻(9月)、そして先日の竹ノ塚のイルミネーションなど、ごく身の回りでの発見・報告が大半でした。竜巻では自転車で行ける範囲で屋根に青いシートがかかった家をたくさん見かけました。虎ノ門パストラル跡の施設はこの27日が最終営業とのことで、年明けから解体と本工事に入るようです。
 自転車は本日現在6964km。今年中に7000まで行きませんでしたが、年末年始9連休中に達成することは確実です。年間走行距離は1500どころか1600kmをも超えていました。
 来年もまた何かと忙しくなると思います。家では子供が1歳を迎えます。会社ではサービス業務の可視化、将来的な外販を目指した仕組み作りが待ち受けています。大学合唱団の50回定演もあり、その裏方仕事も活発化しています。いずれもトラブルなく乗り切ることを願いつつ。


12月27日

 昨年のちょうど同じ時期、会社の納会実行委員の話を書きましたが..
 何と! 2年連続で幹事役の番が回ってきてしまいました!
 去年の納会での働きぶりがあまりに注目されたからでしょうか。
 本来ならばドキュメントを残して今年はおとなしくしているつもりが、前回経験者の力を、という部長の一声でまたしても実行委員会の一員に加わることになりました。

 前回の反省点として、
(1)発泡酒や缶チューハイが余る一方で、日本酒やワインが早くなくなった
(2)プラカップや紙皿などを酒店で購入したが、これが意外に高かった
(3)全般的に予算不足となった結果、デザートを買う余裕がなかった
 など、いくつか課題を残す結果となりました。
 そこで今回は「限られた予算をより効率的に使う」ことに重点を置き、
(1)人気の高い飲み物や食べ物に絞り込み、不人気のメニューは削減
(2)安く購入する手段を重視する
(3)デザートにかけるお金を捻出する
 以上の3点を目標としました。
 (1)では、発泡酒の発注を見送り、缶チューハイは大幅削減。代わりにその予算を日本酒やワイン、梅酒にシフトしました。
 (2)では紙皿や紙コップなどは100円ショップでの購入に変更し、昨年の約半分の値段で購入できました。また缶ビールも350ml缶を500ml缶に見直すなど、同じ内容量でもより安く購入できるようにしました。食事系も見直しをかけ、寿司は新橋の店だったものを、会社により近い神谷町のスーパーで注文し、1200円も安くすることができました。
 コスト削減、選択と集中を進めた結果、(3)のデザート購入予算を捻出することができました。プチシュークリームやチョコエクレアを、昨年の差し入れ分の4倍買ってきています。またチーズ類も予算内で購入することができました。

 このように例年以上に綿密な予算を組み、しっかり準備をして迎えた納会本番当日、ふたを開けてみると..。
 参加人数は昨年よりやや少なめ、しかも大半が1時間の中締めを待たずに退社してしまい、最後まで残った人は両手の指より少ない人数に。ビールや缶チューハイはほぼ飲みきりましたが、日本酒やワインなどは大量に余ってしまいました。昨年は日本酒を買い出しに行くほどだったのにどうしたものか。
 よく見ると、どうやら先日の組織改訂で、一部のメンバーが現事務所から新橋に転出したことが影響しているようです。
 今回は新橋に転出した人達にも声をかけ、会費も徴収しましたが、新橋から虎ノ門に出てくるのが面倒くさくなったのか、実際に参加した人達は非常に少なく、とりわけ去年最後まで付き合ってくれた大酒呑み軍団が軒並み不参加だったことがたたったようで。次回は集客の対象範囲、人集めの方法が新たな課題となりました。
 余った日本酒やワインなどは、最後まで残った人達で瓶単位で山分け持ち帰りとなりました。また菓子類もかなり余りましたが、こちらは別フロアで仕事をしているグループに差し入れしておきました。


12月21日

 12月の風物詩、イルミネーション。
 東京都心部では今年も多くのスポットで光の芸術が展開され、通行する人達の注目を浴びています。
 最近では話題のプロジェクションマッピングと組み合わせる例も増え、夜ならではの街の魅力を一層引き立てています。

 現住所から近い竹ノ塚でも、都心部ほどの派手さはありませんが、地元自治体が中心となってイルミネーションを実行しています。
 会社帰りに竹ノ塚駅で降りて、東口から駅前通りをまっすぐ進みます。
 駅前ロータリーにある高さ10mはあろうかという大きな木には、豆電球が上から下までびっしり取り付けられ真っ白に光っていました。駅前通りは並木道になっていますが、その街路樹の1本1本に豆球が飾り付けられています。豆球の色は白系統で統一され、大人の雰囲気が漂います。これが1km余りも続くのですから、かなり壮観です。

 R4バイパスを越えて少し歩いた辺りに「元渕江公園」があり、ここがイルミネーションのメイン会場となります。
 白で統一された並木道から一転して、こちらはファミリー向けに、いろいろな色の豆球が使われています。
 神戸ルミナリエ辺りを意識した門柱や光のトンネル、人形の形をしたお子様向け遊具もあり、平日の夜でも子供達の歓声が聞こえてきます。
 中でも象徴的なカットは、円内の池に映した会場の光景。7本(?)のシンボルツリーにかぶせた黄色豆球の巨大帽子、その前を横切る光のトンネル。これが池の水面に反射し、2倍にして魅せてくれます。池に向かって三脚を構えたカメラマンの姿を見かけました。

 駅に戻るのに少しルートを変えて商店街の方を通っていくと、ここでも小振りな街路樹に白や青、紫の豆球を飾っていました。商店街を挙げて街に人を呼び込もうとする心意気が感じられました。


12月15日

 毎年12月になると大学合唱団の定期演奏会を見に行くようにしていますが、今年も先週末、時間を空けて見に出かけました。
 今年は卒業21年目にして初めて、ビデオカメラによる撮影から離れた年でもありました。
 それまでは毎年のように何らかの形で撮影、もしくは撮影支援(本人が会社業務の都合で演奏会を見に行けないとき、代理を立ててもらって撮影機材を貸し出す)を行なっていたのですが、卒業して20年が経ち、現役団員の人数も大きく増え顔と人となりが分からなくなっていること、そして何よりも子供が生まれて育児に時間を取られるようになるということで、昨シーズンを最後にビデオの撮影から引退することを宣言しました。今年はOB1年目の方が撮影を受け持つことになりましたが、現役窓口からビデオカメラ貸し出しの依頼はあったので、機材のみ貸し出しています。
 ビデオ撮影では毎回カメラワークシートを作成しその通りにズームを動かすことばかり気にして、演奏そのものを聴く余裕が回らなかったのですが、今回は初めて歌そのものに全神経をゆだねることができました。我が合唱団はこんなに素敵なハーモニーを奏でていたのか、と改めて感激を覚えました。

 卒業して20年。時間の許す限り毎年のように演奏会を見に行きましたが、20年を振り返るといろいろな時代がありました。僕が現役だった頃は人数は団員数30人前後と少なく、音楽性の向上に必死に取り組んでいた時代でした。卒業してから団員数が減り、少ない人数と予算で団を切り盛りしていた時代。他の団体との合同演奏など新たな取り組みを試みた時代。やがて人数が増え大人数にふさわしい演奏ができるようになった時代。わずか20年の間ですが、何回も代替わりしていく中で様々な経験を重ねて団は成長してきています。気が付けば団員数が80人以上となり、大きなホールの観客席も人で埋め尽くすほどの規模になりました。今年は初めて衛星テレビ放送への出演もあり、活躍の場がさらに広がってきているのはOB冥利に尽きます。
 来年は定演が50回目を迎えます。50回定演では当団初めてとなる、新しい組曲の委嘱初演が予定されています。家庭の事情もあり、記念合同ステージに立つかどうか決めかねていますが、少なくともこの素晴らしい合唱団が、今後もさらなる発展ができるように、縁の下での支援は続けていきたいと思います。


12月7日

 実家から自宅に向けて車を走らせていたある日、写真のような道案内標識があることに気が付きました。

 場所は国道463号バイパス東行き、浦和美園駅手前にできた新しい交差点で、埼玉県庁から10km近くも遠く離れた場所です。
 この看板を直進すると越谷方向、つまり県庁とは正反対の方向に向かって進みます。
 左は浦和美園駅西口(背後中央が駅の建物です)というのは分かるのですが、右に進むと県庁、とはこれいかに。
 右に進む道は新しくできたばかりの道で、どう考えても県庁方面に進むとは思えません。
 もしかして県庁が浦和美園や東川口に移転してくるのか!!そんなはずはない。

 少しの間理解に苦しんだ末、日を改めて現場を訪れてみました。
 まず看板に従って新しくできた道を右、すなわち南の方向に向かって進みます。
 数百メートル進んだ所で行き止まりとなり、ここで強制的に右折、つまり西方向に進むことになります。
 その道路は少し進むと既設のR463本道と合流します。これを道なりに進めば、30分はかかりますが浦和駅や県庁にたどり着けるという訳です。

 それにしてもなぜここに「県庁」なのか。
 どうやらここに至るまでのルートに問題が見えてくるようです。
 現場付近には東北道の浦和インターがあり、R122とR463バイパスを絡めて複雑なジャンクションが構成されています。
 R122とR463の交差部は1つの例外を除き、ジャンクションを使って東西南北どちらの方向にも信号なしで進めます。
 その1つの例外がR122南行き(および東北道上り出口)からR463バイパス西行きへの進行です。
 下の地図をよく見ると分かりますが、、南→西方向へ進むにはジャンクションを通過してからどこかで西方向にUターンなどして方向を変えなければなりません。

 南→西方向へ進むジャンクションに関しては地図上では工事中のように見えるものの、何か事情があるのか未だに工事が進んでいません。
 県庁に用事のある人が県北部から東北道で浦和インターまで出てきたものの、西に向かう道がなく正反対の東側に抜けざるを得なかった。
 そういった人達を救済すべく、県庁から遠く離れたこんな場所に「県庁」の標識が建てられた、という事情がうかがえます。

 ジャンクションの工事が完成すれば、この「県庁」標識も必要なくなるのですが。
 それにしても「県庁」がすぐ近くに存在するように誤解してしまうこの標識、他に適切な地名・場所の表現がなかったものか考えてしまいます。

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