メゾン 道の果て

1月31日

 28日、年休を取って高校時代の仲間と3人で大阪の交通科学博物館に行ってまいりました。
 朝8:20に東京を出る新幹線で新大阪に行き、東海道線と大阪環状線を乗り継いで約3時間で弁天町駅に着きます。交通科学博物館はここ、弁天町駅の高架下にあります。
 昭和37年、交通科学館としてオープンした当博物館も、52年の歴史を数えるうちに手狭になってきたようで、京都市内に新たな博物館(京都鉄道博物館)を作って収蔵物を移し、4月6日をもって閉鎖されることになっています。訪問はこれが最初で最後、になると思います。
 館内の展示については公式サイトが詳しいのでこちらをご覧いただくこととして、ここでは筆者的に気になったポイントとショットを。

弁天町駅の環状線南口改札を出て橋を渡ると、早速保存車輌が目に付きます。左から明治期の蒸気機関車230形233、32系客車の二等寝台車マロネフ59 1、80系電車のクハ86001。昔の京都駅を模したというプラットフォームの大屋根には「52年間の感謝をこめて」とラッピングされました。
 左側の構造物が本館展示場で、この真上に弁天町駅環状線乗り場があります。
ブルートレイン20系の食堂車、ナシ20 24。昭和45年に製造され東京と九州方面を結ぶ寝台特急で活躍しましたが、24系の進出によりわずか数年で活躍の場を失いました。昭和55年に交通科学館入り。
車内はほぼ現役当時のまま、土曜休日は食堂として、平日は駅弁販売コーナーとして営業されます。平日にもかかわらず親子連れでにぎわっていました。
 憧れの20系食堂車での食事。ナシ20の現役引退から35年にして初めて実現しました。
館内の展示物は、東京の交通博物館と違って(当時の)最新技術を紹介するものが主でした。これらも52年が経過した現在、十分なまでにレトロな雰囲気を醸しています。
 写真は151系の前頭部実物大模型。実物の元151系が全廃されて相当長い時間が経過していますが、こちらの実物大模型は今も現役です。
 他にも昭和40年代のリニアモーターカーや、やはり当時最新鋭だった101系前頭部実物大模型など。
鉄道車輌以外にも古い自動車やバイク、小型機、国鉄ハイウェイバスなどが展示されています。
 写真は富士重工スバル360。子供の頃よく見かけた、懐かしい軽自動車です。
離れの第2展示場にはディーゼル機関車、DD13 638とDF50 18が踏切警報機と並べて展示されていて、港の工業地帯を走る専用線の雰囲気を思い出させます。少し離れた場所にはもう1台、DD54 33もいます。

 2時間半ほど館内を見て回った後、一旦解散し3人それぞれで地下鉄の新線を回ったり、古い電車に会いに行って国鉄時代の雰囲気に浸ったり。夕方再合流して難波の居酒屋で打ち上げた後、その日のうちに新幹線で東京に戻りました。それぞれに充実した1日を過ごせたと思います。


1月24日

 おととい、子供が1歳の誕生日を迎えました。

 9ヶ月少し前でハイハイを始めてから、成長が早くなっているように感じます。
 ことに11ヶ月を迎えた昨年末辺りからの変化が大きく、
 ・つかまり立ちを始める
   ↓
 ・冷蔵庫のマグネットをはがし、再度貼り付けて、うまく貼れると「あ゛ーーーーーー!」と大歓声
   ↓
 ・赤ちゃん用滑り台の階段を上り、滑るようになる
   ↓
 ・つかまらずに一人で立てるようになる
   ↓
 ・手を振る、拍手をする、おもちゃのボタンを押せるようになる
 と、親が多少の手本を見せただけなのに、ひとりでに学習しては成果を見せつけています。
 子供の成長恐るべし。
 昼間はずっとテレビを付けているのですが、最近はCMが始まるとじっとテレビに釘付けになっています。CMが終わるとテレビから興味が離れ遊び回るのですが、CMになるとまたテレビとにらめっこ。11ヶ月にして番組とCMを区別する能力が身に付いたようです。

 1歳の誕生日。会社を早退し、ケーキを買っていつもより早く帰宅しました。
 そしてこの日も一人で立ったと思ったら、足を前に出し、一歩、二歩と歩み出しました。
 親は大喜び。歩き出すのが1歳を大きく過ぎてからという子供が多い中、うちの子供は思った以上に成長が早いと改めて感じました。

 思えば生まれて最初の2週間、小児医療機関に入っていたときは少しはらはらさせられた時期もありましたが、退院してからはほとんど病気をすることもなく、無事に1歳の日を迎えられて何よりです。
 これから2歳、3歳と年齢を重ねていくことになるでしょうが、記念日には早く家に帰って、子供と一緒にお祝いできるようにしたいと誓った、今日44歳となる自分の誕生日でした。


1月18日

 最近、あるコンビニで手に入れたキャンディのパッケージです。

 ご存知、熊本県のキャラクター「くまモン」と、千葉県船橋市非公認キャラクター「ふなっしー」です。
 どちらも去年、大活躍したゆるキャラです。
 あまりに大活躍してくれたおかげで、商品のパッケージにまでなってしまいました。
 くまモンは熊本県産「万次郎かぼちゃ」の、ふなっしーは「梨汁ブシャー」の合言葉とともに3種類の梨味のキャンディとなりました。ふなっしー味、ミントふなっしー味、シナモンふなっしー味。そもそも「ふなっしー味」って何なのか。多少やらしい響きがします(笑)。
 ちなみにくまモンは他にも熊本県が絡むあらゆる種類の商品に進出していて、棒ラーメンや菓子類などでもその姿を見かけます。

 近年ゆるキャラが全国各地で、雨後のたけのこのように次々と出現し、戦国時代の様相です。我が埼玉県でも市町村単位で多数のキャラクターが存在しています。地元にもせんべいをモチーフにしたキャラクターがおりますし、実家のある街にも、最近になってキャラクターが登場しました。皆それぞれ地元を愛し、地元に親しまれるべく生まれてきたキャラクターで、本来ならば競争させるというのは誤った考えではあるのですが(というか、新しいゆるキャラを作れば人気が出るだろうと、何でもゆるキャラ頼みにする最近の風潮もどうかと考えますが)。
 そのような中、マスコミが取り上げ煽った結果、全国区の人気を集めるようになった仲間も現れました。ふなっしーもどこからどうして人気に火がついたのか。思わぬ個性を持ったキャラクターが突然注目され全国に知られるのは、芸能界と一緒のようです。


1月11日

 いつもであれば、今年もよろしくと書くところですが..。
 正月早々、本家の叔母が亡くなりました。享年78歳。
 叔母とは、正確には亡き父の兄弟の妻ですが、小さい頃から親に連れられ、正月やお盆、お彼岸といった節目ごとに家に遊びに行き、お世話してもらっていました。本家は農家を営んでおり、時々軽トラックで自宅にやってきてはお米や旬の野菜を届けてもらっていました。実家を出た日まで、米や野菜の多くは本家で収穫されたものを使っていました。僕の結婚式、そして去年、子供が生まれたときも、お祝いを持って応援してくれました。
 しかしここ何年かは体調を崩し気味で、家業も子供世代に引き継ぎ任せていました。数ヶ月前から病院で療養するようになり、点滴のチューブを繋げられ痛々しい姿でしたが、少ない気力を振り絞り気丈に応対していたのが印象に残りました。2ヶ月前一時退院で本家に戻ったとき、一度子供の姿が見たいと云っていたので、子供を連れて会いに行ったのが最後となってしまいました。

 葬儀は1週間おいて本日から行なわれます。幼い頃から長い間お付き合いしていた間柄だったので、心を込めてお別れのあいさつをしたいと思います。

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