メゾン 道の果て

3月28日

 毎朝通勤に使っている電車は東京メトロの運用受け持ちで、8000系や08系が使用されています。
 先日いつものように乗ろうとすると、前面に見慣れぬステッカーが。

 「さよなら!電機子チョッパ制御車 1971〜2015」と書かれています。

 突然現れたので写真を失念しましたが、
 中間電動車のうち制御器の付いた3両の戸袋には、
 「2015年7月、VVVF制御車として新たにお目にかかります!」
 と書かれたステッカーも貼られていました。
 つまり、この編成が東京メトロ最後の電機子チョッパー制御車であり、改造でモーターや制御器を交換してチョッパー制御でなくなる、ということになります。

 営団地下鉄における電機子チョッパー制御は昭和43年、6000形試験車で導入されたのが最初でした。従来の抵抗制御は、本来走行に使う電気エネルギーを、停車中は熱として放出していました。これはエネルギーの損失だけにとどまらず、地下鉄区間ではトンネル内が抵抗熱で暑くなるといった問題も指摘されていました。チョッパー制御は、抵抗器に代えて電気を細かく「たたき切って」速度をコントロールする方法で、熱を出さずに大幅な省エネ化を実現しました。量産が開始されたのはその3年後、上述の「1971」にあたります。6000系量産車が千代田線に大量導入され、これを改良した有楽町線用7000系、半蔵門線用8000系と続きます。
 しかし今はさらに省メンテナンス性に優れたインバーター制御が主流となり、電機子チョッパー制御車もインバーター改造されたり、またあるものは廃車や海外譲渡されていきました。8000系もインバーター改造が進み、最後まで残ったのが写真の8110編成となった訳です。実車は平成2年、8000系で最後に製造された編成ですが、こちらも25年目で最後にインバーター改造を受けることになります。
 ちなみにチョッパー制御自体は「高周波分巻チョッパー」が銀座線01系、日比谷線03系などに残っていますが、01系は車輌の交代で廃車が進められ、03系も数年後には後継の新車に置き換えられる計画です。加減速時の、んーーーという独特のうなり音も、程なく聴かれなくなる運命にあります。

 8000系はインバーター改造とともに内装も更新されています。近年は更新修繕に合わせてドアの上にテレビを2枚付けた編成も増え、8000系の過半数を占めるまでに至りました。初期に修繕された編成も後付けで1.5枚テレビに改造したり、室内灯をLEDに交換したり、バラエティが増えています。


3月22日

 昨年秋より労働組合活動に携わるようになってから初めて春闘の時期を迎えました。
 通常月1回開かれる組合の職場委員会ですが、春闘のある3月は月中旬に続けて3回開かれます。内容は労使交渉の経過報告です。
 毎年春になると報道で春闘とか賃上げとかいろいろな用語を聞くようになりますが、正直会社員を20年続けてきていながら、社員の給料を確保する仕組みというのをよく分かっていませんでした。「ベア」のことを、本気で熊だと思っていて、労働争議にクマーがどうやって出現するのか考えていたり(失笑)。しかし職場委員会での説明を聞いていくうちに、複雑怪奇な個人単位の給与設定方法を、少しは理解できるようになりました。
 最終的には報道されているように、ベア、すなわちベースアップ、賃上げが、組合側6,000円要求に対して経営側は過去最高額となる3,000円の回答となり、少なくとも大企業グループ社員にとっては消費税率アップ分を吸収して経済活動の活性化に貢献できるようになるのかなと思います。

 当社では労使関係は協調的で、少なくともこの30年ほどはストライキに突入したことはないようです。我々間接部門や営業部門がストに突入しても、年休を会社指示で1日取ったのと一緒にしか感じませんが、工場などの生産現場になると、納期との絡みで影響は大きくなります。特に春闘が行なわれる年度末近くでは現場が繁忙期となり、末締めまでに納品が間に合わないとお客様に迷惑をかけるだけでなく、年度の決算数字が激減して株主様からの信用を失うことにもつながります。企業の社会的責任についても大きく問われているこのご時世、スト突入だけはしないように労使とも考えて行動しています。
 そういえば昔はストライキがよく行なわれていましたね。一番分かりやすいのが鉄道で、僕が小学生の頃まではストが繰り返されていました。スト決行になると、乗客の全くいないターミナル駅の風景がテレビに映し出され、その周辺では組合員が座り込み、改札外は運転再開を待つ乗客でごった返す。当時の記録をみると、乗客の中には線路上を歩いて通勤したり、国鉄のストでは列車の車体に労働者がスローガンをペンキで落書きしたり、ストに怒った乗客が駅員や運転士に暴力をふるったり、混乱に乗じて列車や駅施設を破損させたり、今から思えば労働者も乗客もやりたい放題だった印象があります。現在、各鉄道会社が堅実な経営を続けられているのは、過去の労働争議で多大な損失を出したことを反省し、労使双方が利用客の視点に立って歩み寄ったからこそといえます。過去の負の記録を教訓として次世代に伝えることの大切さを改めて感じます。


3月15日

 平日朝はいつも7時過ぎに自宅最寄り駅へ向かいますが、
 こんな早い時間帯から、駅前で演説をしている人達がいます。

 演説をしている人は日によって違っていて、
 月曜日は自民党系の衆議院議員、
 火曜日は県議会議員の女性、
 金曜日は共産党、
 というのがほぼ固定席となっています。
 よほどの荒天でもない限り、多少の雨が降っても、氷点下の朝でも、彼らは支援者を伴っていつも演説をしています。本当にご苦労様です。

 最近では統一地方選挙が近づいてきたせいなのか、彼ら以外でも演説をしてくる議員が次々に現れ、毎朝のように演説合戦が繰り広げられています。
 その面々は、自民党系の新人、別の共産党員、市議会議員、たまに元市長など。
 駅の表口と裏口の両方でダブル演説となることもしばしばです。
 急行も止まらない小さな駅なのに。
 駅に向かう通勤客はほとんど聞くこともなく通り過ぎるのに。
 なぜ彼らは演説をすることにこだわるのでしょうか。 

 以前は表口で市議会議員が毎日のように駅前に立っていたことがありましたが、演説に見合う効果がなかったことに気が付いたか、最近では全くというほど見かけなくなりました。
 近隣住民としてみると騒音を撒き散らしているとしか思えないですし、かえってそのような候補者には投票したくない、という人も出てくるでしょう。
 名前を知らしめることが目的ならば、演説による方法ではなく、例えばIT技術をうまく活用したりするなど今の時代にふさわしいやり方を考えるべきかと思います。


3月8日

 自宅を新築以来5年半を共に過ごしていた義母が火曜日、入院先の病院で亡くなりました。

 入院したのは1月中旬のこと。昨年末辺りから体の不調がみられるようになり、仕事(高齢者事業団)から帰ってくると横になって起きあがれなくなる状態が何日か続いていました。8年前に乳ガンの手術をしたことがあり、週に1度は継続通院していたので本人は安心していた部分があったのかもしれませんが、大学病院で精密検査した結果が、乳ガンは完治していたものの、それが肝臓に転移し肝硬変を起こしているとの話。すぐに入院を決め、妻は子供を連れて2日に一度は見舞いに行っていました。2週間前は早くリハビリをしたいと言っていたのですが、治療の甲斐なく肝臓の機能低下は進行し、先月末で意識がほとんどなくなり息をしているだけの状態になってしまいました。親類や、実家から連れてきた母の呼びかけにも答えられなくなっていました。あと少し気付くのが早ければ、と思うと悔やまれてなりません。
 享年73歳。3人の娘を育て、15年前に夫に先立たれても気丈に、つつましく生きてきました。60を過ぎても高齢者事業団に入って仕事を続け、近所には健在ぶりを見せていました。新居の庭を大好きな花の小鉢で飾り付け、孫と過ごす穏やかな日々。そんな毎日も、もう二度と戻ってくることはありません。

 訃報とともにすぐに葬儀社が駆けつけ、さらに親戚が集まっていろいろな決め事がありました。金融機関を走り回って葬儀資金を下ろしたり、寺へ出向いて戒名を依頼したり、慣れないことだらけで葬儀が一通り終わるまでは振り返っている暇もない状況でした。しかも2歳の子供を抱えながらこれらの行事を進めたのでなおさらのことです。
 今はようやく落ち着きを取り戻しつつありますが、この先も各種手続き、四十九日法要、山積している遺品の整理など。特に相続のような頭の痛くなる課題もあります。時に周囲に相談しつつも、着実にこれらの課題をこなしていきたいと思います。亡き親に感謝の気持ちを込めて。

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