メゾン 道の果て

6月26日

 知人から、昭和47年3月改正の時刻表をお借りしてきました。

 昭和47年3月というと、まだ僕が乳幼児だった頃で当時の記憶など全くありません。妻は生まれていませんでした。
 表紙には新幹線の写真があり、3月15日に山陽新幹線が岡山まで開業することを伝えています。
 中を開き、最初に目に留まる索引地図。実家に残っている昭和57年7月の時刻表と一見変わらないように見えますが、よく見てみると57年では消えているローカル私鉄の路線が多数掲載されているのに驚きます。当時は営業していたのですから当然載っているのですが、知らない世代からすると新たな発見です。以下地図に載っていた路線を地域ごとに洗い出すと、
 ・大分交通耶馬渓線(昭和50年廃止[以下廃止年月] 当時中津〜野路間が残存)別大線(昭和47年)
 ・土佐電鉄安芸線(昭和49年 その後廃線跡を転用し平成14年土佐くろしお鉄道に)
 ・福井鉄道南越線(昭和56年)鯖浦線(昭和47年),京福越前本線勝山〜京福大野間(昭和49年),尾小屋鉄道(昭和52年),北陸鉄道能登線(昭和47年)能美線(昭和55年),加越能鉄道加越線(昭和47年),富山地鉄射水線(昭和55年)
 ・東濃鉄道駄知線(昭和47年災害休止)笠原線(昭和48年旅客廃止),北恵那鉄道(昭和53年)
 ・上田交通真田・傍陽線(昭和47年),越後交通(昭和50年までに旅客廃止)
 ・山形交通高畠線(昭和49年 当時糠ノ目〜[旧]高畠間が残存)三山線(昭和49年),羽後交通雄勝線(昭和48年 当時湯沢〜西馬音内間が残存),庄内交通湯野浜線(昭和50年),花巻電鉄花巻温泉線(昭和47年)
 ・夕張鉄道(昭和50年 当時野幌〜栗山間で旅客営業),三菱美唄鉄道(昭和47年)大夕張鉄道南大夕張〜大夕張炭山間(昭和48年),三井芦別鉄道(昭和47年旅客廃止)

 と、ほぼ全部書き出してしまいましたが、結構な数の路線がありました。特に北陸はこんなにあったのか、というほど路線網が存在していました。東北でもこんな所に、という場所でローカル私鉄があったりしています。
 また国鉄でも札沼線が石狩沼田まで運行していたり、福島県には川俣線がありました。いずれも47年中に廃止されています。船舶では瀬戸内海に仁堀航路だけでなく「大島航路」というものが存在していました。山陽線大畠駅近くの桟橋から小松港に向かうコースで、便数も結構ありました(昭和51年廃止)。現在では橋ができて陸路で島に渡れるようになっています。
 一方で当時未開業だった路線もあります。例えば国鉄武蔵野線。首都圏の拡大図を見て何となく間が抜けた感じだなあと思ったら、武蔵野線がまだ開通していなかった。一方で武蔵野線開業と同時に廃止された競馬場支線が載っている。これも僕にとっては貴重な発見です。湖西線も未開通で、関西と北陸を結ぶ特急は米原経由でした。

 続いて時刻表本体をめくってみます。自分になじみの深い東北本線上野口から。僕の記憶のある昭和53年当時とあまり変わるところはありませんが、特急急行列車がひっきりなしに走り、普通列車は間を縫うように30〜40分間隔で走っていました。また1日3往復の客車鈍行もしっかり記載されています。
 東海道線では、東京〜西鹿児島間をまる1日以上かけて走る客車急行<桜島・高千穂>が存在していました。下りは東京を10:00に出発、大阪18:04着で夜を迎え、広島の手前で日付が変わり翌早朝4:10に門司着。ここで分割して<桜島>は鹿児島線経由で西鹿児島11:29終着。これでも24時間超えなのに、<高千穂>は日豊線経由で西鹿児島14:11終着。所要28時間11分でした。現在では考えられない長時間運行です。
 東海道線東京口では伊豆方面の夜行列車もありました。土曜夜21:00東京発の快速<南伊豆レジャー・中伊豆レジャー>で、熱海で分割して伊豆急下田0:30着、修善寺23:55着。(車中泊できます)との記載があり、日曜日しか休めなかった当時のサラリーマン達の家族サービス事情がうかがえます。中央線では河口湖行き夜行普通が土曜夜に2本続けて走っていたほか、ピークとなる4/29,5/5には甲府行き電車夜行が新宿発1:00,1:02,1;05と3本雁行していました。

 東北新幹線開業前の東北地方に「多層建て急行」が存在したのを思い出し、ページをめくってみました。
 下りでは仙台7:25発<たざわ1号・むろね1号・陸中1号>、これを追う仙台7:30発<もがみ・千秋1号>の、2本の気動車急行がそれです(上りでもほぼ同様の構成で多層建て急行が存在)。
 前者は東北線を北上し、一ノ関で盛行き<むろね1号>を切り離し代わりに盛発<さかり>を連結。花巻でも宮古行き<陸中1号>を分割し釜石発<はやちね1号>を併結。これで盛岡まで向かい、<さかり・はやちね1号>を切り落として<たざわ1号>単体で田沢湖線経由大曲へと走ります。
 後者は小牛田から陸羽東線に入り、新庄で奥羽線米沢発の<もがみ・千秋1号>と出会い連結相手をお互いに交換の上編成を組み直し、<もがみ>は陸羽西線経由羽後本荘へ、<千秋1号>は奥羽線を北上します。そして大曲で先ほどの<たざわ1号>を連結し、秋田12:50着。ここで<たざわ1号>は切り離され、<千秋1号>単体で青森へ向かいます(16:09終着)。
 目まぐるしく連結相手がころころ変わります。ダイヤが乱れたときはどうしているんだろうと考えたりもします。それから主な駅ごとに分割併合作業をしているので停車時間でかなりロスが発生しています。秋田には後続の仙台8:00発特急<あおば>が1時間も先に着いてしまいます。これも時刻表をひもとく面白さ。

 長々と書いてきましたが、最後にもう1つ。この時刻表の値段は250円(当時)でした。現在では号にもよりますが標準で税込1,183円です。国鉄の初乗り運賃が当時30円→現在の本州3社で140円,東京〜新大阪間新幹線最速指定利用で4,130円→14,450円,羽田空港〜大阪空港間の空路で6,800円→25,200円(正規運賃)。当時の物価の安さに驚きます。今も値段が当時のままだったら、どれだけ充実した旅になるのだろう。


6月20日

 自宅近所の川のほとりは、春は桜の名所ですが、梅雨時期になると桜並木のたもとに植えられたあじさいの株が一斉に花を咲かせます。その距離約1km余り。玉あじさいを中心としてところどころに額あじさいも植えており、見応え十分です。最近では新品種も加わり、わざわざ有名観光地に足を運ばなくても、地元でたっぷりあじさいが楽しめます。

 桜並木の下にあじさい並木。この道が約1km余りに渡って続きます。
 主に紫系の玉あじさい(姫あじさい)で構成されていますが、水色の品種(エンドレスサマー?)の株も混ぜて彩りを添えています。
 そんな玉あじさい群の中に額あじさいも少しずつ入っています。これは甘茶と呼ばれる系統。
 同じ甘茶でも、飾り花に色を付けて咲く品種もあります。
 さらに最近植えられたものでしょうか、ピンク色が濃い品種も見かけました。
 こちらは花火シリーズと呼ばれている、飾り花が八重咲きの品種です。前回紹介した「隅田の花火」は飾り花が白でしたが、こちらは少し色が付いています。
 玉あじさいもよく見ると花が八重咲きの変種がありました。
 花びらが濃い紅色となる品種。こちらも最近追加されたようです。
 白地に赤縁取りの株も仲間入りしていました。

 ということで一気に9種類をご紹介しました。一口にあじさいといいますが、最近では数え切れないほどの新品種がネット通販で続々と出回るようになり、見かけが似ているのも多く品種名を特定するのが困難なほどです。そんな訳で今回は品種名まではあえてつづりませんでした。あしからずご了承ください。


6月12日

 6月といえば、あじさいの季節。
 自宅庭にもあじさいの株がいくつかあり、毎年立派に花を咲かせています。
 亡き義母が生前、丹精込めて育ててきた株たちで、いずれも大きくなって自立しています。 

 今まであじさいの種類に気を止めることはなかったのですが、名札を作るにあたり調べたら、自宅にあるだけでも3品種あることが分かりました。

 花壇横には玉あじさいがたくさん咲いています。品種はよく分かりませんが、白を主体に微妙に水色や桃色がかった色合いです。大きな株ですが、これでも鉢植えです。
 花壇は松葉菊や昼咲き月見草が陣取っています。昨年秋は姫蔓蕎麦が占拠していたのが、手入れした訳でもないのに乗っ取られています。
 こちらは額あじさい。「ブルースカイ」という品種で、外側の飾り花が青から青紫色、花びら4枚というのが特徴です。
 同じく額あじさいですが、こちらは飾り花が白の八重咲きで「隅田の花火」という品種名が付いています。実家にも大きな株があり、母が云うには一時期流行だったらしいです。
 写真上にはバラの木がありますが、花の時期が終わって次々に散っています。左側の茶色い物体は4月に紹介したピンク色の苧環(おだまき)の成れの果て。種を採取しました。

6月6日

 メロンとオクラの苗がある程度大きくなったので、この週末、プランターに植え替えました。
 そのときに使う土ですが、自宅の敷地で調達しました。
 それも普通に庭の土を掘るとかではなく、砂利をふるいにかけて土を取り出すという方法で。

 自宅の裏は畑になっており、風が強く乾燥した日には畑の土が砂埃となって家に向かって飛んできます。
 間もなく築7年となる自宅の外壁も、このせいかかなり汚れてきました。
 畑に面している北側や西側の敷地(幅50cm位しかありませんが)には雑草防止の意味で細かい砂利を敷き詰めています。家を建ててから最初に来た春にはスギナの芽がたくさん出てきましたが、徹底的に抜いた結果翌シーズン以降ほとんど出なくなりました。
 しかし近年になって別の種類の雑草がはびこるようになっています。綿毛が落ちているのを見かけるので、周辺の空き地などから飛んできたもののようです。そして毎週のように雑草の芽をつみ取るのに追われています。
 なぜ雑草が生えてくるのか。よく見ると、砂利の中に土が相当混じっています。畑から飛んできた砂埃が家の壁に当たって砂利の中に混入していく。その後に綿毛付きの種が飛んできて、混入した土成分を使って発芽する、という構造が見えてきます。
 そこで雑草の生えにくい砂利敷きに再生させるべく、砂利をふるいにかけてみると、面白いように土がどんどんふるい落とされ、植木鉢数個分の量がたまりました。
 園芸店で肥沃な土を買ってくるという方法もあると思います。ただ僕としては、植物を育てる原点から始めるということで、人工的な肥料などはあえて使わずできるだけ自然の光と水だけでどこまで成長するか見守りたいという思いで、この方法を取ってみました。雑草対策と土資源の有効活用で一石二鳥になりますし。
 砂利のふるいかけは今年の年初辺りから少しずつ始めていまして、3月までに終わった部分では4月以降に雑草が生えてこなくなりました。ただ、幅50cmとはいえ、砂利を敷いているエリアは非常に広く、いくら時間があっても終わらなさそうです。急ぐものではないので、しばらくは必要な部分や分量だけふるいかけをしていこうと思います。

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