メゾン 道の果て

8月29日

 8月5日(現地時間,開会式)から21日まで開催されていたリオデジャネイロオリンピック。今回も日本勢が大活躍し、過去最多となる41個のメダルを獲得しました。
 テレビでは選手の活躍とともに、選手の各出身地での熱烈な応援風景が報じられていて、地元がいかに期待をかけて見守っているかがよく伝わってきます。
 我が地元でも、オリンピックでメダルを獲得した選手がいます。

 草加市役所には、体操男子団体の金メダルを祝する横断幕が掲げられています。
 市内には今回出場した5人のうち、学生の白井健三選手を除く社会人4人が所属するコナミスポーツの練習場があり、ここで日々練習を重ねてきました。さらにこのうちの加藤凌平選手は地元草加市の出身で、この春大学卒業と共に満を持してコナミの一員となりました。
 市では出場する試合のたびに、深夜早朝にもかかわらず文化会館をパブリックビューイングの会場にして、大勢の市民を集めました。逆転の金獲得は、そんな熱い応援の甲斐があったからかもしれません。
 コナミの合宿練習場にも何かあるか見てきましたが、特にいつもと変わった様子はありませんでした。

 一方、越谷市役所には、こちらも地元出身で、水泳女子バタフライ200mで銅メダルを獲得した星奈津美選手の垂れ幕が掲げられています。2012年ロンドンに続く2大会連続の銅メダルは、大変な偉業だと思います。
 2015年世界選手権で優勝したときも市内各所で垂れ幕や横断幕が出されていました。地元で育ったトップアスリートの活躍に、市が継続して応援しています。


8月21日

 自宅のプランター便り、第3報です。
 カボチャはプランター2つに6株、メロンは8株植えていましたが、7月を過ぎても成長は遅く、フェンスのてっぺんにもまだ届きません。それどころか成長がほぼ止まっています。
 肥料になればと思って、7月以降、果物の皮や野菜の切りくずなどを細かく刻んで根元に与えてきました。しかしこれがかえって事態を悪化させることに。
 ある日、西瓜の食べ残しを刻んで根元に撒き、土をかぶせておいたところ、1週間後、そこが蟻の巣になっていました!西瓜の甘い匂いをかぎつけたようで、穴を掘ってたくさんの蟻が出入りしています。その影響でカボチャ2株、メロン1株は枯れてしまいました。残った系統も8月に入ってだんだん弱ってきているようで、盛んに付けていた花もいつしか見なくなってしまいました。
 同じエリアの朝顔ですが、フェンスからグリーンカーテン用のネットに伝って成長し、8月の中旬になってようやくネットの先端、高さ約3mの位置まで到達しました。その後も成長を続けていますが、グリーンカーテンという状態にはまだ遠く、今年も西日の当たらない部屋に避難して食事しています。

 オクラも上への成長はほぼ止まりましたが、着実に花を付け、実を付けています。今シーズン、8株で12本ほどを収穫し、4本が収穫前です。多少やせた土でも収穫できることが分かったので、来年も続けたいと思います。
 妻が育てていたミニトマトは、水をあげすぎたせいか、実に茶褐色の斑点が付く病気にかかってしまい、7月中に2株とも処分してしまいました。青いままもぎ取った実が10数個あり、2週間ほど室内に置いていたところ、少しずつ色が赤く変わって食べ頃になってきました。


8月15日

 東武野田線にしばらくぶりに乗ると、変化の大きさに気付かされます。
 東京外郭都市を半環状に結ぶ重要路線でありながら車輌は他の路線から来た中古ばかりと、明らかに伊勢崎線より冷遇され続けてきたのですが、近年新型車輌が導入されたりするなど、動きがようやく積極的になってきました。
 その1つが、この3月の改正から始まった、大宮〜春日部間の急行運転です。
 これまで急行運転をしてこなかったのは、東京方面の通勤輸送をJRに取られたくなかった東武鉄道の意向が見え隠れしますが、伊勢崎線沿線から大宮に出るのに、大宮〜春日部間を各駅停車で行かなくてはならず、同じ時間で伊勢崎線なら一気に東京都区内まで連れていってくれるのに、といつも思っていました。
 急行電車に乗ってみました。車輌は今でも野田線最大勢力の8000系です。昭和38〜9年製の古豪こそほとんど姿を消しましたが、多くの仲間が経年40年以上のご長寿車輌となっています。
 しかし急行としての走りっぷりはさすがで、伊勢崎線や東上線の準急・急行で活躍していたのを思い起こさせるに十分です。律儀に止まっていた各駅を、スピードを落とさずにどんどん通過。この区間の所要時間が22分から15分に、7分も短縮しています。
 やればできる、と思いました。願わくば本数を増やし、現行30分間隔をまず20分間隔に、さらには全線複線化が前提となりますが急行運転も全区間に拡大すれば、武蔵野線とも対抗できる交通機関になります。 

 最新型車輌の60000系にも初めて乗りました。
 8000系の絶対本数が多く、少数派だった60000系にはなかなか当たらなかったのですが、登場から3年間で18編成を数えるまでになり、2〜3本待てば出会えるようになりました。
 機能面では伊勢崎線の50000系列とほぼ変わるところがなく、なぜわざわざ新しい形式を起こしたのか疑問ですが、室内デザインが少し見直され、ドアの上に旅客案内用のテレビ画面が1枚付いて、中国語,ハングルを含めた4ヶ国語での駅名表示がせわしなく動いています。

 岩槻駅は橋上駅舎に建て替えられ、駅裏側に新しく北口が開設されました。
 空き地と畑が目立つのどかな場所に大きなロータリーが造られ、脇に最高17階建ての高層集合住宅がいくつも立ち並びました。開発はまさにこれからというところ。
 「アーバンパークライン」とかいう路線愛称も付けられ、昔のイメージから脱皮しようとしている野田線。これからも観察を続け、変化を見守りたいと思います。


8月11日

 よく利用している地元の駅の1つが、来年春から駅名を変えることになりました。
 現在の「松原団地」を、「獨協大学前」とするそうです。
 先日テレビのローカルニュースでこのことを知り、かなり驚いています。
 開業以来54年、高度成長時代の象徴ともいえるマンモス団地から取った駅名に、沿線住民はすっかり慣れ親しんできました。それは団地の建て替え再開発が進められている現在でも変わりません。建て替え再開発の結果、街は少しコンパクトになり、各所に乱立する現代形団地群と大きく変わり映えしなくなってきましたが。
 獨協大学はその団地の一角にキャンパスがあり、こちらも長く街の顔として親しまれてきましたが、大学のある街というイメージを前面に出したい市と地元住民の思惑が一致し、今更感はありますが駅名改称を実現できたという話です。
 しかし長く親しんできた名前だっただけに、新しい名前に慣れるのには時間がかかりそうです。
 (個人的に言わせると、その隣の(東武)新田こそついでに駅名を変えてほしかったなと。半世紀前の合併で町名が消滅して久しいだけでなく、同じ駅名が全国に4ヶ所もあってネット検索に不都合があるもので..)

 思い返すと、名前が変わる、という場面は意外と多く出くわします。
 身近なところでは、結婚して姓が変わるとか。
 会社や組織の名前もよく変わります。我が会社も3年前に新しい社名を与えられました。
 元号も天皇の崩御とともに変わったり。「平成」に慣れ親しむまでややしばらく時間がかかりました。
 そこへ先日、天皇陛下が生前退位のご意向との報道がされ、話題となっています。
 生前退位が実現することとなれば、皇位継承の儀式とともに元号も変わることとなるでしょう。
 新しい名前に慣れるまでには違和感を感じますが、でもやがては日常的に使いこなし言いこなせるようになっていくでしょう。過去のあらゆる新しい名前達もそうであったように。

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