メゾン 道の果て

4月30日

 平成最後の日。それも日付が変わり、新しい元号になる直前にこれを書いています。
 その「平成最後」という表現、去年の秋くらいから見かけるようになりました。そして今日はあらゆるメディアがこぞって使っています。明治,大正,昭和まで、(天皇崩御の日が元号最後の日)だったのですが、「平成最後」が堂々と使えるのも、天皇陛下が生前退位の意思を示され、これに国家が期日を決めて準備を整えた良き成果だと思います。

 ここ1ヶ月のテレビを見ていると、やはりというか、平成時代を振り返る特集が相次いでいます。
 そして今日はまさしくその最たる日。
 NHKは1日を通して「ゆく時代くる時代」と称した振り返り番組。家事をしながら思わず見入ってしまいました。
 他の各局も軒並み、平成最後の特番を組んでいます。
 テレビ局も喪に服していた昭和最後の日ではあり得ない構成です。
 この、やや過熱気味とも思える報道で、過去にどこかで似たような1日があったなあ、と思い出したのが、
 そう、あの忘れもしない昭和62年3月31日。「国鉄最後の日」です。
 その日は高校鉄研の仲間で車中泊込み3泊の鉄旅行から帰ってきたばかりということもあり、1日自宅でおとなしく過ごしていましたが、テレビを付けるとどこも同じように報道特番が組まれていて、全国各地の国鉄の駅やイベント会場を結んで熱狂気味に中継されていました。この日に復活した昔の展望客車見たさに人が殺到し大混乱状態になっている東京駅、車輌基地でJRマークを貼っている職員達、カウントダウン、午前0時の汽笛吹鳴などなど。もう32年も前の出来事ですが、ついこの前のことのように思い出してきました。

 今日は日本にとっては特別な1日でしたが、家では何も特別なことをせず、いつもの休日と同じように回していました。その1日を、穏やかな心で、感謝の気持ちをいっぱいにして過ごすことができたのは、やはり日本人が共通して想っている、平穏な生活への願いがあったからと思います。
 もう間もなく、新しい令和の時代を迎えます。令和になっても、毎日が平和で、人々が生き生きと前向きに過ごせるような世の中であり続けてほしいと改めて願っています。


4月24日

 10年余りに渡って自分の足代わりとして活躍してきた自転車を、引退させることになりました。
 前3段、後ろ6段のギアが付いた、自分にもやや重装備と思える1台でしたが、自宅から半径約10kmのエリアを、毎週のようにくまなく走り、足跡を残してきました。10年間の総走行距離は約1万3000kmに及びます。
 最近は各部の老朽化も進んできました。前ギアは数年前から切り替わらなくなった上、去年辺りから後ギアも不調でペダルを漕ぐとカクカク、ガタガタとチェーンが滑ったり、時には外れたり。そのおかげで全力疾走も困難になっていました。後輪タイヤは過去に3回交換しましたが、現在の4本目も摩耗で交換時期に。さらにサドルやリアフェンダーも劣化してひびが入ったりしてきました。これらを一通り交換、整備すると新しい自転車が1台買えるほどの出費になってしまい、引退の決断をしました。

 後継となる自転車は、4年余り前、妻が義母のために買ってあげた、ギアも付いていない典型的なママチャリです。しかし義母はほどなく亡くなり、以来4年間ほとんど動かすことのないまま自宅の片隅でほこりをかぶっていました。4年間でタイヤの空気は抜け、後輪は回りにくくなっていました。空気を入れて試し乗りしてみましたが、全力で漕いでもすぐにスピードが落ちてしまい、遠出をするには相当の体力が要ります。
 そこで今回は自転車屋に診てもらうこととし、パンク修理も兼ねて整備を依頼しました。結果、出費はパンク修理代だけで済んだのですが、すぐ止まる原因だった後輪の回転,転がり性能も改善され、格段に乗りやすくなりました。引退する先代からスピードメーターを移植し、改めて試し乗りをすると、ギアなしにもかかわらず軽く20km/hまで飛ばせます。
 そして週末、この自転車で少し遠出をしてみました。先代は荷物かごがなく、常にバッグを右肩に通して乗っていましたが、前後にかごが付いていて大きな買い物もできるようになりました。オートライト機能もあり、薄暗くなると自動でライトが点滅するのも便利です。新たな相棒の誕生です。


4月16日

 幼稚園を卒園してから3週間。今度は小学校の入学式を迎えました。
 入学式は午後に行なわれました。まず親子で学校に向かい、下駄箱のところで子供と別れます。親は会場となる体育館に向かい待機。子供は6年生に誘導され、クラスごとに分かれて教室に入って、新しいお友達と顔を合わせます。
 会場に1年生が列を組んで入場してきました。先生が1年生の名前を1人ずつ読み上げ、子供達がこれに応えます。校長先生や来賓のあいさつ、先生方の紹介などはお決まりの進行。後半では6年生一同が歓迎のことばを読み上げ、そして合唱をプレゼントしてくれました。
 40分ほどで入学式が終わるとクラス単位で記念撮影。その後各クラスに分かれ、1年生と先生と保護者が一同に会します。クラスは28名のうち出身幼稚園が同じお友達は、本人を除くと7人います。残り4分の3は他の幼稚園や保育園などから集まってきた新しいお友達ですが、それぞれ幼稚園・保育園を共に過ごした心強い仲間がいるからなのか、皆明るく振る舞っています。

 入学式の日から既に1週間が過ぎました。最初の週は小学校行事に慣れさせるためのプログラムが中心で、下校時刻は11時、給食もまだありません。授業の時間割も毎週変わるようで、週ごとに時間割が印刷配布されます。授業の概要もこの印刷物に書かれています。また担任の先生と保護者とで連絡を取り合う「連絡帳」というものもあります。いずれも僕が小学生の頃にはなかった制度で、40年の間に子供を取り巻く環境が大きく変わったなあと感じずにいられません。
 年間スケジュール表も渡されました。昔は秋に行なわれていた運動会は、今の時代は5月開催が常識となっています。当小学校も5月で、ようやく小学校に慣れたかというところで運動会の練習となり、大人から見るとさぞかし大変かと思います。
 その一方、春の学校行事といえば昔はバス遠足があったのですが、現在はなくなっているようです。一家に1台車がある今の世の中では、遠足の候補地はみんな家族旅行で先を越されているからなのでしょうか。そういえば貸切バスが何台も連なって走っている姿も最近とんと見かけなくなったようで。

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