メゾン 道の果て

11月30日

 アニメ「鬼滅の刃」が空前の大流行となっています。
 公開中の映画は興行収入記録を史上最速で塗り替え、関連グッズやコラボ商品も飛ぶように売れ、感染拡大で停滞していた日本経済に活気を入れてくれる存在です。
 我が家でも妻と子供が鬼滅の刃の世界観にはまり、原作コミックを1〜22巻まで全巻揃えて昼も夜も絵本代わりに読みふけっています。原作に書かれている難しい漢字も読めるようになりました。アニメも過去放送分の録画を繰り返し見ています。こちらからすれば同じ放送を何度見てもよく飽きないな、と。以前紹介した箸の他に炭治郎柄の靴下、禰豆子柄のマスク、日輪刀、善逸のフェルト人形、そして絵柄の入ったダイドーの缶コーヒーなどなど。関連グッズも着実に増えています。

  しかし世の中同じような、アニメ化もされた連載漫画がたくさんあるのに、なぜ鬼滅の刃だけがここまで大当たりとなったのだろうか。
 鬼滅の刃は4年前から連載が始まり、今年の夏に終結した少年ジャンプの漫画で、ざっと立ち読みしたときの感想は、少年ジャンプの人気ジャンルであるバトルもの連載の1つにしかとらえていませんでした。作画の表現力では他のベテラン作者の方が優れていると正直に思います。
 今回の大ヒットはアニメ化されて以降のことと聞いています。録画されたアニメを家族で見ていると、技を繰り出す場面の表現が圧倒的です。水の呼吸、のときは滝のごとく襲い掛かる流水をばっさばさと断ち斬り、あるときは炎が雲竜のごとく渦巻き、あるときは無数の蝶が縦横無尽に乱舞し.... 力強さと繊細さを兼ね備えた、今までのアニメにない斬新な表現力です。以前書いたNHKアニメ「クラシカロイド」のムジーク発動のはるか右上を行ってます。
 それだけでなく原作に垣間見るお笑いの要素もきちんと押さえ、大増幅しています。普段は弱気でびびりな善逸が眠りに入った途端に豹変し屈強な鬼を倒していく、そのギャップもアニメでは両極端なまでに描かれ、さらに面白くなっています。
 これは原作者さんや少年ジャンプの編集さんだけの力では成しえなかった。原作のストーリーに惚れ込んだアニメーターさんが、どのようにしたら原作の世界観を美しく、かっこよく表現できるかを考え突き詰め、それを極めた結果があの圧倒的な表現力につながったのだと思います。料理人が材料の特性を見極め最大限に引き出して究極の一皿を作り上げるように。日本のアニメ産業はものすごい底力を持っているんだなあと改めて思い知らされました。

 ....それにしても「アクタージュ」の作者不祥事で連載打ち切りは悔やまれます。「こち亀」もなき今、少年ジャンプで読みたい作品がもうなくなった。


11月24日

 隣の畑の現況です。
 上写真の範囲で現在植えられているのは葱,小松菜,ほうれん草,キャベツ,白菜,レタス,ブロッコリーといった面々です。
 ブロッコリーは右写真の一番奥、少し背丈が高い作物です。一見キャベツが葉っぱを広げて高く成長したように見えますが、その中には緑色をした花つぼみ(花蕾)があり、この部分を食します。というか、つい先日までブロッコリーとカリフラワーの違いを知りませんでした。白い塊になっているのがカリフラワー、緑色のつぼみが集まっているのがブロッコリーなんですね。
 窓を開けると、農家のおじさんがブロッコリーの収穫をしているのが見えました。株を根元から切ってしまうのではなく、下の葉は残して花蕾を含めた上の部分を切り落とし、葉っぱを鎌のような道具でばさばさと器用に刈ってゆく。単純作業ですが見ていると意外と面白いです。


 こちらは大根や赤大根が植えられています。いずれも大きく成長し、収穫の時期を迎えています。
 先日、朝10時台なのに外の子供の声が騒がしいと思って窓を少し開けると、少し離れた近所の保育園児達が台車に乗って畑を訪問しているのが見えました。園児たちは農家のおじさんにあいさつすると、保育士さんと一緒になって、うんとこしょーのどっこいしょ、と声をかけながら大きな大根を収穫していました。写真左側に作物を抜いた跡があるのは、そのときのものです。

 話は変わって、自宅のプランターは現在小松菜とオクラ、ラディッシュを植えています。オクラは収穫期が終わり葉を落としていますが、株が生きている限り12月まではこのまま残します。ラディッシュは妻がどこかで種を仕入れてきて、これを撒いて育てています。二十日大根という和名が示すように成長が早く、パッケージには約1ヶ月で収穫とも書かれていましたが、自宅のプランターでは栄養に乏しいのか、株によっては2ヶ月経っても根元が大きくなりません。
 手元にえんどう豆の種が2粒あり、撒いてみたら1週間で発芽、さらに1週間で20cmほどの背丈にまで急成長しました。これから冬越ししつつ大切に育てて大きくしたいと思います。


11月17日

 七五三詣りをしてきました。
 4年前、子供が3歳のときに続いて2回目となりますが、3歳のときはここに触れていなかったので、改めて記録として書き起こしてみます。

 衣装はこども写真スタジオチェーン店でレンタルしました。予約は半年前に行ない、6月にはスタジオでの前撮りも済ませています。早期に予約すれば割引率が高く、前撮りのスケジュールも余裕があるので、4年前も今回も早い段階で行動しました。前撮りの所要時間は和装洋装1着ずつで約2時間。ヘアメークも入るので結構時間がかかります。
 さて本題の七五三当日ですが、午前中にスタジオに行って晴れ着を着付けしてもらいます。4年前は着付けてすぐ出発でしたが、今回は当日撮影がサービスで入り、30分余分にかかりました。
 車に乗って神社に向かいます。ここの神社には百日詣や3歳の七五三のときにもお世話になっていますが、神主さんにお祓いをしてもらう、ということでもなく、晴れ着以外はいつもの参拝と変わらない格好となりました。
 この後実家に向かい、親や親戚に子供の晴れ着姿を見せに行きますが、今回はここで思わぬ事態が。車で移動中に子供が車酔いを起こして、食べたものを戻してしまいました。幸い衣装にはかからなかったのですが、体の各所を帯で締めあげられて身動きが取りづらかったようで、いつもと勝手が違うことを思い知らされました。
 実家で一休みしつつ、本家も回って記念撮影を何枚かしてもらった後、晴れ着を脱いでようやく自由の身?になれます。衣装はたたんで当日のうちにスタジオに持参,返却します。小さなトラブルはありましたが、天気に恵まれ無事に七五三の一日を終えられて何よりです。

 振り返って、自分達親世代が七五三のとき何を着ていたのか、と妻にきかれました。40年以上も前の出来事なのでほとんど記憶になく、大宮の神社に出かけたことしか覚えていない、と答えました。実家の母親にたずねると、七五三用に自前で衣装を作った、と云っています。貸衣装は当時一般的ではなく、各家庭で生地から手作りし、兄弟がいる家庭では弟や妹は兄姉からのお下がり使い回し、というのが多かったようです。今の時代、衣装はカラフルなものがレンタルで安く借りられるようになり、また古着も中古販売店やフリーマーケット,ネットオークションなどと多様なルートで入手できるようになり、便利な方向に進化しているんだなあと感じます。


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