メゾン 道の果て

11月27日

 年1回、会社の定期健康診断を川崎に出向いて受診していますが、検診が半日がかりとなり、帰宅すると午後の在宅勤務開始に間に合わなくなることがあるので、午後半休を取って周辺の散策に出かけています。昨年は2回、2月に横浜市営地下鉄グリーンライン乗りつぶしと、前回12月には川崎の臨港貨物線巡りをしました。
 今回は以前から気になっていた、横浜港の貨物線跡を歩くコースにしました。若い頃に横浜港界隈に行ったとき、桜木町駅を出てすぐのところにある鉄橋や、山下公園を横切る高架線、そしてこれらの構築物がどのようにつながっているかがとても気になっていました。これを自分の足で確かめたいと思いつつ、なかなか実現できずにいたものです。

 横浜駅で降りた後、まずは新高島駅近く、京急グループ本社1階にオープンした「京急ミュージアム」を訪れました。入場無料ですが事前予約が必要で、平日でも時間帯によっては予約でいっぱいになり人気は高いようです。
 スマホの予約完了メールを見せて入場すると、まず出迎えてくれるのがデハ230形236号。大きな車体に圧倒されます。平成29年まで地元近くの川口市青木町公園で保存されていた車輌で、今回5年半ぶりに再会することができました。川口市からの搬出当時すっかり色あせ塗装のはがれや錆の目立っていた車体は、関係者の皆様の手によって現役当時の美しさを取り戻しました。川口市時代に入ることができなかった車内も整備され、一部の座席が京急の歴史などを展示するギャラリーになっています。木でできた内装、ふかふかとした青い座席、昔の電車の匂いが漂って懐かしい気分になります。プラットホーム反対側のドアが時々勝手に開いたり閉まったりの動作をしますが、この操作スイッチは鉄道模型ジオラマ側の車外にあって、操作しながら開閉動作を外から眺められるという仕掛けになっていました。
 プラットホームもデハ230形が現役末期の頃、昭和50年代を再現。木でできたホーム屋根の柱や柵、喫煙所の灰皿、さらにごみ箱は中に新聞や空き缶、みかんの皮が捨てられている状態に液晶モニターが仕込んであって当時の写真を代わる代わる表示するなど作り込みが細かいです。
 場内にはHOゲージの巨大な鉄道模型ジオラマが作られていて、親子連れの人気を集めていました(というか平日昼13時台なのに幼稚園くらいの子供連れが多いのはどうしてだろう)。こちらも京急沿線の名場面をいろいろと作り込んでいて、北品川の踏切と鉄橋、平和島の競艇場、京急蒲田の高架駅、羽田空港など見応えは抜群です。その割には電車が時たましか走ってこない、どこか寂しいなあと思っていたら、どうやら別料金100円を払って自分で運転するようです。
 このほか実物車輌の運転台を再現した電車運転シミュレーターやバスシミュレーター、工作教室があり、別途予約でさらに楽しむことができます。

 桜木町まで歩き、改めて駅前を起点に臨港線廃線跡巡りとまいります。廃線跡は遊歩道となっていて、運河を2つの島と3つの鉄橋で横切ります。いかにも明治期に作られた武骨な鉄橋と木道との組み合わせがユニークです。右手には昨年春開業したロープウェイのゴンドラが行き交っています。「YOKOHAMA AIR CABIN」と名づけられたこのロープウェイ、片道600m余り、所要5分で1000円は驚愕の価格(!)ですが、それでも休日には30分以上待ちの行列ができるというからまた驚きです。ホテル「ナビオス横浜」を抜け、大きな交差点を渡ると新港の公園に入ります。ここに昔、赤レンガ倉庫に向かう貨車のヤードがあったようです。そしてそこからまっすぐ先に見えるのが商業施設となった赤レンガ倉庫。現在は改装工事で休業中でした。

 遊歩道は右に進路を変え、鉄橋を1つ渡って高架線を上ってゆきます。平日昼間にもかかわらず観光客とおぼしき人々がたくさん往来しています。左手には小型船の係留場があり、古い倉庫群を利用したお店がいかにも昔ながらの雰囲気を残しています。高架線は残念ながら途中で途切れ、海側に設置されたスロープを降りてその先は山下公園に飲み込まれています。線路は山下埠頭の倉庫地帯へと流れて終点となっていましたが、港湾関係者以外立入禁止の上、線路跡もことごとく舗装されて消滅しているので引き返します。

 帰りは元町・中華街から東横線特急<Fライナー>に乗りますが、この話は次回に改めます。


11月14日

  今、自宅にノートパソコンが一時的に4台もあります。
 1台は現在愛用している個人用のパソコン。4年目に入りましたが第一線で毎日活躍中です。
 1台は10年前に購入したもので動画編集の時に使っていましたが、OSがWindows7のままでセキュリティ上ネットにもつなげないのでここ数ヶ月出番がない状況です。
 残りの2台が会社用です。今回、会社の方針でパソコンがシンクライアントから大容量SSD(フラッシュメモリー)装備の機種にリプレースされることになり、9月に最新型機が自宅に届いています。
 従来、シンクライアントから会社の仮想環境に入り、仮想上にある会社のシステムや基本ソフトを使用して事務作業を行なっていましたが、時間帯によって仮想画面が突然固まって数分間操作できなくなったり、強制ログアウトされるという事象も多く少し困っていました。外回り営業の担当者からは客先訪問時に仮想環境では十分な対応ができないという声も多かったようで、今回営業部門では仮想環境の使用を取りやめ、大容量メモリーを装備した在来の方式に戻すことを決定しました。昨年6月に搬入されたばかりのシンクライアントパソコンは、稼働わずか1年半足らずで返却となります。
 新型機は当初春頃には各社員に宅配便で配送されるとアナウンスされていましたが、世界的な半導体不足の影響を受け納期が何度も引き延ばされ、9月になってようやく納入となりました。まあ我々営業事務部隊は新型機でなくても仕事はできるので、そこまで慌てて更新を行なわなくても、と思っていますが。
 この新型機は情報セキュリティ対策が強化されており、パソコン本体へのファイル保存が再び可能になるものの、ネットワークに接続して使うことを前提に本体に保存したファイルの一部を切り取りその断片を本体からネットワークドライブに移動して保管するといった動作をしています。このようにすることで、持ち出した外出先でそのパソコンを紛失するようなことがあっても、ログインパスワードを破られない限り復元されず、情報漏洩のリスクが低減されるとの説明です。
 ところがその仕組みで不都合があったらしく、朝夕など起動や終了でネットワークドライブのアクセスが集中すると動作不具合が発生したとのことで、原因究明と対策完了でさらに2ヶ月箱詰めのまま待たされ、今週になってようやくセットアップの指示が出ました。
 セットアップは半日がかりのかなり面倒な作業でしたが、完了すると、今までの仮想環境と比べて快適に使えることを実感しました。シンクライアントのときはパソコン起動→仮想環境起動、そしてそれぞれでログインパスワードを求められていましたが、新型機ではパソコン起動とファイル復元となってややスピードアップ、それ以上にレスポンスが低下したり画面が突然固まったりすることがなくなったのが心理的に効果が大きいです。

 この他に現在ほとんど出番がなくなっているデスクトップが2台あり、部屋には計6台のパソコンが存在しています。一方子供のタブレット端末は学校に返却し、今年に入ってからは持ち帰り遠隔授業も今のところないようです。コロナウイルスの第8波が警戒されていますが、遠隔授業以外でも学校の活動で有効に利用されることを願って。


11月4日

 隣の畑の最新状況です。そもそも今年に入ってからの畑レポートは3月に1回きりでした。今年も葉物を中心に例年通りの季節野菜を代わる代わる育てていました。目新しい作物は特にありません。カボチャなども大きく育ち、実が1個もならなかった自宅から見るとかなりうらやましいです。
 左写真は、今回から奥に新しい2階建て住宅が建ったので写り込まないようアングルを変えました。地鎮祭の後しばらくは空地のままでしたが、6月頃から基礎工事が始まり、現在までに建物本体がほぼ完成し内装工事が進められています。この土地の所有者が自宅として建築したようです。手つかずのままだった外構も、10月末頃から塀の溝を掘り始めるなど新たな変化が出てきました。
 畑にはブロッコリーのような作物が2種類とキャベツが植えられています。キャベツは最初のうちは虫食いの跡が目立っていましたが、球体が成長するにつれ市場に出せる立派なものになってきました。それにしても球体に虫食いがないのはなぜか。農薬を時々撒き虫退治をしているからでしょう。散布されると自宅にも薬の匂いが立ち込め、窓を閉めておかないと息苦しいです。近所の別の畑で球体まで虫食いにされ無残な姿のキャベツが放置されているのを見ると、ある程度の農薬が必要なことを理解します。
 右写真、奥は住宅建設用の一時的な残土置き場となり、その手前は人参地帯となっています。

 向こう側から葱、小松菜のように見える葉物、そして大根です。大根は時期を何回かに分けて列ごとに種まきしているようで、手前に行くほど大きくなって最も手前の列は収穫の真っ最中です。
 周辺の住宅開発も進んでいます。今年は写真に写っていない右手奥にあった元休耕田も宅地化され、戸建て住宅が数軒完成して新たな住民が住み始めているようです。
 古い住宅の建て替えも盛んになってきています。自宅近所でも今年に入って建て替えを10件くらい目撃しました。10月には、結婚してから2年間住んでいたアパートの取り壊しが始まり、今日見に行ったら基礎を残して建物がなくなっていました。

 

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