週観 道の果てから 今週のできごと。
19日(月) 竹下元首相死去。76歳。
21日(水) 岡山県で17歳の高校生がバットで母親や下級生らを殺傷、逃走中。
| 21日(水)から東北線に新型車両、E231-1000/3000系が営業運転を始めました。(写真、東大宮操車場にて本日撮影) 今までの東北線の電車は、東海道線などと同じタイプの、オレンジと緑の3つドアの車両でしたが、今回導入されたE231系はドアが4つに増え、首都圏の通勤路線と同じになりました。 座席も通勤路線と同じロングシート(縦長座席)中心となり、通勤用に徹した設計としつつ、長距離利用者や行楽客の利用にも配慮して編成中最低2両はボックスシート付車両としています。 またトイレも5両に1ヶ所ずつ設置し、一部は車イスでの利用ができるようになっています。 |
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運転初日に早速乗って出勤しました。
駅のアナウンスは「新型の4つドア車両となります、4つドアの乗車位置に並んでください」。
間もなくターゲットがやってきました。いつもと違う軽そうな車輪の走行音と、ぴぃぃぃと小さな音を立てて走る独特のモーター音。乗客の視線は釘付け。
車内は混雑と静寂。新車の匂いがかぐわしく、駅に付くたびにドアチャイムが「ピンポーン」とせわしなく鳴ります。
乗っての感想。ラッシュ時間帯で乗ったこともあり、またその先輩格に当たる車両が京浜東北線に入っていて、こちらも毎日使っているので、あまり強いインパクトはありません。
1つだけ言えることは、4つドアの通勤用車両がこの東北線にもついに来るようになってしまったなあ、何となく味気なくなってしまったなあ、ということです。
それでも前回の211系のように全部ロングシートにしなかったことだけは評価しましょう。
211系は10年ほど前に高崎線と東北線に大量に導入されたのですが、こちらも混雑対策で編成の全車をオールロングシートにして、長距離客の悪評を買ったといういきさつがあります。
僕も行き帰りの電車に乗るときは、ボックスシートのない211系だけは避けるようにしています。ロングだと缶チューハイを飲むのも、ノートパソコンを打つのもはばかられますからね。
さすがのJR東日本も、ようやくこのことに気が付いたのでしょうか。15両編成の両端2両ずつにボックスシートが復活しました。ただ在来車の115系と比べてボックスシートの絶対数が減少したのは否めない事実です。
当分の間は1日朝と夕方に2往復のみの運転ですが、今後3年間で東北線(宇都宮線)の電車をすべてこのE231系に置き換えるそうです。3年後、東北線の光景は今と大きく変わっているでしょう。
長かった残業続きの日々も終わり、ようやく平穏な週末が訪れました。
思う存分時間を取って、自分の(会社のではなく)パソコンに向かっています。
今日は昨日に続いて連続アップします。
今週のできごと。
11日(日) 宇都宮の宝石店で放火殺人、6人焼死。14日犯人逮捕。
13日(火) 韓国・北朝鮮の首脳による南北会談実現。15日共同宣言。
16日(金) 皇太后さま崩御。97歳。
昨日、久しぶりに自転車に乗って隣町まで行ってみました。
13日に衆議院議員選挙が公示され、ポスターがあちこちで目立ちます。
我が町は埼玉13区。隣町は5区。もう1つの隣町は6区。顔ぶれが違います。
埼玉県では同時に県知事選挙も実施されることになっており、ポスター看板は2種類準備されています。
我が13区では県知事の娘(現職議員)が衆院選に立候補しており、親子共々再選を目指しています。
看板も親子両方のポスターがそれぞれ貼られています。
果たして再選できるでしょうか。注目したいところです。
ま、こんな感じでスタートしますが、いかがでしょうか。
実は昨日まで、19日間連続で会社に出勤していました。
土曜も日曜もデスクワークに追われる毎日。体が続かないです。
本日ようやく休みをもらって、一息ついています。
4月より足掛け3ヶ月、実質2ヶ月近くに渡って続けてきた「週観 道の果てから」ですが、
どうも書くのがおっくうにもなってきました。
本当は苦手な長文を作るのをやめて文を短くするのが目標だったのに、
気が付くとだらだらと相変わらず時間をかけて長文を作っています。
こんなはずではなかったのに....。
ここは原点に立ち返り、
「帰りの電車に乗っている程度の短い時間で、短い文を作成する」
「移り変わりの激しい毎日の出来事を記録してゆく」
いわば、「Web備忘録」を目指したいと思います。
書きたかったことは、身の回りの出来事。新聞やテレビで報道されているニュース。
激動する毎日の中では、1週間もすれば簡単に忘れてしまう。
それだからこそ記録に残していかなくては、と思っています。
次回からこの方針でページを作って行きます。
引き続き、応援をよろしくお願いします。
掲示板でも書いたように、業務多忙につき、先週末掲示分のアップが間に合いませんでした。おわびいたします。今週は予定通りお送りしますので。
さて、現在筆者が勤務しているビルの近くは高速道や新幹線などがお堀端の緑の中を走っている、にぎやかさと静けさが入り混じったゾーンになっています。
そこに見える光景の1つに、ある人物の銅像があります。
それは江戸城址の石垣に囲まれ、周りには緑とお堀の水、その上に首都高速、そんなシチュエーションの中にぽつんとたたずんでいます。
一体誰が立っているのか、不思議と興味を持ちました。
そして仕事を少し早く切り上げた夜、思い立って、よく冷えた缶チューハイを片手にその銅像に対面しに行きました。
銅像は、柱のような細長いお立ち台の上で、近寄る僕に気づくまでもないように遠くを見つめていました。
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その人物の名は、「渋沢栄一翁」でした。(写真) 天保11(1840)年に現在の埼玉県深谷市に生まれた彼は、幕末の激動期に尊皇攘夷運動に明け暮れながらも、慶応3(1867)年に渡欧、帰国後大蔵省に着任し、諸制度の近代化に努めました。明治6(1873)年に退官後、第一国立銀行(現在の第一勧銀)をはじめとして国内に500もの会社を設立、孔子の「論語」の精神を重んじ「道徳経済合一説」を唱え、社会事業の育成や学校教育の充実、日華日米親善などの事業に広く貢献し、日本の経済・文化に大きな功績を残したそうです。 明治初期、日本の近代化が始まったばかりの頃とはいえ、生涯に500もの会社を作るなんてことはそうできるものではありません。我々一般ピープルは「会社を作る」ということ自体も考えに及びませんが、それを500社も作ってしまうのですから、すごいです。今流にいえば、ビル・ゲイツさんや孫正義さんに当たるようなスーパーマンというところでしょう。 |
僕は埼玉県に在住していますが、小学校のときの社会科で郷土の歴史を学んだとき、埼玉の名士としてこの渋沢翁が取り上げられていました。小学校当時の僕の頭には渋沢翁がどんなにえらい人かなど理解する暇がなく、「渋沢栄一」という名前だけが記憶に残っていました。どうも名前だけ聞かされる受験教育の賜物らしいです(笑)。
渋沢翁は昭和6年、92歳の大往生でこの世を去ります。像はその2年後の昭和8年に有志の寄付を集めて、日本銀行を見渡す大手町・三越前に建立されました。しかし戦争の激化とともに金属供出により撤去されます。現在の像が建てられたのは戦後も落ち着いてきた昭和30年のこと。以来50年近くに渡ってこの地に立ち、行き交う人々を遠く見つめています。
建立されてから50年近くが経過し、日本経済は世界有数のレベルにまで発展してきました。
隣に首都高速が通るようになり、周囲にビルが立ち並んで建立当時とは景色もすっかり変わっているようです。
最近は不景気の状態も長く続いているようで、足元に浮浪者が居着いたり、頭にハトがたかってうんこをひっかけたりしていますが(笑)、そんな状態にもめげず50年近くの間、東京の街を見つめつづけている渋沢翁は、一体何を思っているのでしょうか。
もしかすると、論語の精神を忘れた挙げ句バブルが崩壊した日本経済に憤っているのかも知れませんね。
・今回のコラムには写真が付きます。こちらをご覧ください。
・渋沢栄一翁についてもっと詳しく知りたい方は、こちらのページもご覧ください。
埼玉県深谷市のページ http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa/shibusawa_2.html