週観 道の果てから 気が付いたら、30代最後の大晦日(!)となってしまいました。
いつもの通り、今年1年間何があったかを振り返ってみます。
最大の出来事は、やはり新居の完成でしょう。
長い打ち合わせ期間が終わり、1月に旧家の解体と地鎮祭、2月に着工し4ヶ月かけて6月に竣工、引き渡しとなりました。
7月に大騒ぎして引っ越ししてからはや半年。毎日、この家に帰るのが楽しみになりました。
2人いる妻の姉が、新居に引っ越した途端に良く来るようになったとは妻の談。それだけ居心地の良い住まいなのでしょうか。
庭回りも石が入ったり、木を植えたりと、着実にアイテムを増やしてきています。
その次が合唱団の合同ステージへの参加でした。内容は先々週に書いた通りですが、やっぱりステージに立って歌を歌えるというのは素晴らしいものですね。
会社の件は、これも先週少し書きましたが、2人が新たに転入し、2人がいなくなりました。そのうち1人は葬式という形で送り出すことになり、全く心残りです。転入した2人は幸い仕事のできる人で、以前より少しは業務のスピードとか効率化ができたような気がします。
その他、1月に自転車を買ってもらったり、秋には車のパンクでタイヤを交換したりということもありました。
自転車は週末ごとに20kmを目標に乗り続け、この1年で累計走行距離が900kmにも達しました。およそ東京から広島までの距離を走った計算になります。地元の小さな路地を中心に走り続け、町の造りにもかなり明るくなりました。
新居の住み心地が良いからなのか、はたまたお金をつぎ込み過ぎたからなのか、今年は遠出が少なくなりました。宿泊を含む旅行となると、秋の京都・奈良が唯一、それも1泊のやや慌ただしい旅行になりました。一方で会社の工場見学が福島県で2回(7月の他、9月にもう1回出かけました)、石川県で1回あり、現場の実務を直接肌で感じる体験ができました。行き帰りの列車での移動も楽しいものですし。
そしてこのページも10周年を迎えることができました。来年もまた、そして5年10年後も、この新しい家で平穏無事に過ごすことができ、このページを更新することができればと思います。
会社の中でも、今年1年いろいろな出来事がありました。新たに人を受け入れたり、屋台骨というべき先輩を定年退職で送り出したり。
9月にも他部門から新しく人が転入してきました。前の部署で全社生産平準化運動の窓口をされていたこともあり、早速当部門の主戦力として活躍していただいているこの頃です。
そんな中、今回は3月に転入してきた新人さんの、ちょっといい話を。
以前にも書きましたが、彼女は聴覚に障害があるということで障害者認定をもらっています。
とはいえ、耳が全く聞こえないというものではなく、少々耳が遠くて電話のやり取りに不自由する程度で、日常業務の上では少し大きめの声で話をしてあげれば支障なく、ほとんど健常者と同じ環境で仕事しています。周りに仕事のできないおじさんが多く、悪影響を心配していましたが、そんな心配をよそに順調にキャリアを積み上げている毎日です。
むしろ、彼女にはすごいところがあって、障害者という立場を逆に利用して、スポーツの世界で堂々たる活躍をしています。
9月に聴覚障害者の国際競技大会が台湾であり、彼女はバスケットボール日本代表チームの一員として出場しました。
パラリンピックを始め、障害者スポーツの世界も広く認知されるようになりましたが、聴覚障害専門で国際大会があるというのはあまり知られておらず、僕も彼女との仕事の付き合いを通して初めて知りました。
9月上旬から中旬にかけ、約2週間の年次休暇を取って台北に向かい、世界の強豪と対戦してきました。
最終結果は6位と、惜しくもメダルには届きませんでしたが、決勝トーナメント進出と、アジア諸国の中ではトップという輝かしい成績を残し帰国しました。
大会が終わって3ヶ月経った12月、彼女を含む日本代表チームの女子メンバーが、その活躍をたたえられて、厚生労働大臣表彰を受けることになりました。
表彰式からお土産を持って会社に戻ってきた彼女の話によると、
午前中に厚生労働省に出向かい、ここで厚生労働副大臣(政権交代したので残念ながら舛添さんではありませんでしたが..)から表彰をいただきます。もちろん表彰状はチームの1人1人に渡されています。
その足で午後は皇居に入り、何と、天皇皇后両陛下との謁見までしたとのこと。
政府の機関に出入りすることだけでも普段の我々ではなかなかできないことなのに、これは本当にただごとではないなあと感じました。
持ち帰ったお土産は、厚生労働相の名前の入った表彰状と漆塗りのお盆、天皇ご一家を紹介する宮内庁のパンフレット、そして菊の御紋章の焼き印が入ったどら焼き。我々の部門、いや周辺を含めた一同皆々が大変ありがたがっていました。どら焼きは、彼女が甘い菓子類が好きではないということなので、小さく切り分けて一同でおそれ多くいただきました。そして改めて、彼女の残した足跡の偉大さに気が付いた次第です。
会社の中では他の一般社員に混じって日常業務をこなしている彼女ですが、その外での活躍ぶりは、我々の仕事の上でも、またプライベートの場面でも、前向きに生きる勇気とヒントを与えてくれています。人生で何か迷ったときがあったら、彼女の生き方を思い起こすようにしたいと思います。
定期演奏会を無事に終えることができました。
今年の定演は土曜日の夕方行なわれました。例年ですと金曜日の夜なのですが、社会人にとって金曜夜は行きづらいという声もあり、今回は1年以上も前から土曜日で場所を確保してありました。
現役団員の大半がマスクを着用していて、物々しい雰囲気。というのも、どうやら先週の通しリハーサル(ゲネプロ)でインフルエンザがばらまかれたらしく、直前で故障者が続出という事態になり、マスク着用とのお達しが出たとか。学生指揮者も故障して直前リハーサルは音楽監督が代わりに指揮をとっていましたが、本番直前になって医者から許可をもらった本人が到着。ひとまず安堵しました。
15:30には直前リハーサル終了。このところ毎年定演にはビデオ撮影係としてリハーサルからお邪魔していますが、例年では17:00までリハーサル時間なので、やけに早く終わったなあ、となる訳です。しかし、それは開演時間が単純に90分早くなっているだけのことです。
まだ昼食も取っていません。大急ぎで近くのスーパーに弁当を買いに行ったら、レジが行列でなかなか開かず、走って楽屋に戻るも、食事もろくに取れないままあっという間に開演30分前。いつもならば楽屋風景にカメラをむけているところですが、今年は歌い手にもなるので、本番衣装に着替えてスタンバイしなければなりません。鬼のような早さで飯を喰らい、着替えて、出場者一同で円陣を組み、ビデオを回します。
ステージ袖に向かう現役生を見送った後、本番衣装の上にセーターを羽織って今度は客席に入ります。客席の一番後ろに設置した三脚にビデオカメラを取り付け、いよいよ本番を迎えます。
第1と第2ステージは現役団員の演奏。例年通り、黙々と撮影を行ないます。小さなトラブルがあったりはしましたが、何とか無事に撮影を終えて、15分間の休憩中に引き継ぎを待ちます。というのはもちろん、第3ステージは自分が舞台に立つので、他の人に撮影を任せなければならないから。その引き継ぐことになっている人が、第2ステージ演奏中までに来る予定になっていたのが、到着が遅れて引き継げたのは第3ステージ5分前!さすがにこちらもはらはらしました。事前にポイントを携帯メールに入れておいたので、伝達事項が少なくて済んだのは幸いです。
引き継ぎが終わると衣装に着替えて舞台袖へダッシュ。周りの現役生に注目を浴びつつ、列に入れてもらいます。
現役・卒団生の合同演奏となる第3ステージ、5年ぶりの大舞台に立ちました。
半年間練習したことを思い出しながら、1曲1曲丁寧に歌ってゆきます。
歌いながら、観客席に誰がいるか探してみます。妻がこの演奏会を見に来ているはずだが..客席が暗いせいか、なかなか見当たりません。ようやく見つけたのは、演奏も最後の方になったときでした。やっぱり来てくれたんだ..正直うれしかったです。
演奏会が終わると、ロビーは歌い手と観客が入り交じり、歓声でいっぱいとなります。今回もまた、何人もの元合唱仲間と再会することができました。この演奏会で初めて奥さんを連れてきた後輩、子供を連れてやってきた後輩夫婦、5年ぶりくらいにお見かけした先輩などなど。個人的に感激する再会も数多かったのは、5年に1度の合同演奏会だったからでしょうか。
かくして合同ステージは盛況の下、その幕を引くことができました。次に合同演奏の機会があるのは、恐らく5年後、50回目の記念定期演奏会のことになるでしょう。既に5年後に向けた動きも、水面下で始まっているようです。今回一緒に演奏した現役団員とまた5年後、今度はさらに大きな規模の合同演奏隊を形成して披露できるようにしたいですね。
大学合唱団の定期演奏会出場まで、あと3日となりました。
今年、45回目の記念演奏会を迎えることになった、我等が母校の合唱団。
5年ぶりに合同ステージを組むことが決まり、年の初め頃からOB会側の事務局として動いてきました。
6月からは現役・卒団生合同による練習も本格的に始まりました。
2週に1回、2時間ずつのペースで着実に練習を重ね、曲を仕上げてきました。
ここ8年間で卒業した若手卒団生にとっては現役時代にステージで経験した曲なので、少々の復習ですぐに飛び込めるのですが、それ以前に卒業した古株OBである僕にとっては初めての曲。何度も演奏会で聴いて慣れ親しんではいましたが、合唱部分のある全8曲を2週に1度、という練習回数からするとまだ不安要素が残ります。ここは現役生や若手卒団生の助けを借りてゆくよりないかな、でも可能な限りがんばって歌おうと思います。
3日前の日曜日、通しリハーサル(ゲネプロ)が行なわれました。出場予定者として記載されている現役生,卒団生き合わせて84名。これだけの人数が揃って本番と同じ革靴を履き、舞台を想定した並び方で入りはけの練習、そして本番と同じ体制、進行で全曲通し演奏。いつもの練習と違い、どっと疲れが出ました。革靴で長時間立って歌い続けるのがこんなに体にこたえるとは。でもこれで5年前の合同ステージ、いや現役時代の、定期演奏会の本番で得たあの感覚を思い出しました。この調子で、今回の本番も乗り切れれば。
そして3日後の土曜日夕方、ついに本番の舞台を踏むことになります。
このページをいつもご覧になっている皆様も、時間がありましたら、ぜひ練馬の会場までお越しください。
演奏会の情報はこちらへ。
明治大学混声合唱団さわらびコール 公式ホームページ
この週末、夫婦で紅葉の京都・奈良を見てきました。
京都とか奈良へは、電車や列車に乗る目的では何度も通過していますが、
駅を降りて街を歩く、となると、それは実に中学の修学旅行以来。
振り返ればもう四半世紀も昔のことですから。記憶がかなり抜け落ちています。
新幹線に乗って仲良し友達と騒いだこと。二条城の「うぐいす張り」を体感したこと。「清水の舞台」という言葉。青蓮院で座禅を組まされたこと。金閣寺や平等院鳳凰堂が近づいたら汚なかったこと(笑)。東大寺の「阿吽の像」。薬師寺のすぐ脇を近鉄電車が走っていたこと。
逆に言えば、それだけしか記憶にない状態です。これは少々まずいことになったな、と。
もう一度修学旅行をやり直して、昔の記憶を呼び戻すことにしよう。
妻にとってもまた、修学旅行は大昔の出来事で、かなりの部分を忘れています。
紅葉を見に行こう、ということで夫婦の意見は一致し、急遽旅の企画が決定しました。
今回のコースは「もう一度修学旅行」という趣旨から、超定番のスポットに絞って攻略することにしました。
土曜日は京都。紅葉の名所、東福寺に始まり三十三間堂、清水寺、金閣寺、嵐山の渡月橋、日没後阪急電車で大阪市内に移動し夜の道頓堀を見て回る。東大阪に宿泊し翌日曜日は奈良市内を巡り、再び京都に戻って見足りないものがあれば回る、というスケジュールを組みました。
で、現実はいうと、
幸い土日2日間とも天気は良好で、まさしく行楽日和でした。
ということはそれだけ観光客がごった返す、ということになる訳で、
最初に寄った東福寺は観光客が群れをなし、行列に辟易して拝観料を取るコースを辞退した。
清水寺は紅葉の海を存分楽しめたが、ここでも観光客の波で迷子になりそうだった。
市内至る所で渋滞し、バスの定時運行ままならず。「間もなく到着」するはずが10分経っても姿形も見えません。
金閣寺に着く頃には夕方、閉門時間との戦い。渡月橋は真っ暗、ライトアップもせず。
歩き回った挙げ句足腰にがたが来て、通天閣行きを取りやめる始末。
まあ、これもまた旅の出来事ではありますが。
ということで詳細レポートは後日、旅行記のコーナーにアップしたいと思います。今日のところは↓の1枚でごめんあそばせ。
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今回のベストショットは.... やはりここに尽きるでしょう。清水寺の紅葉の海。 |