メゾン 道の果て

えんぷつ 週観 道の果てから

3月31日

 この週末は亡き父の四十九日法要がありました。
 暖かい春の一日。お墓も新しく建って、親父もさぞかし喜んでいることでしょう。

 この近くでも桜が少しずつ咲き始めました。
 先週から表紙に「定点撮影シリーズ」と題して、桜並木の1年を追ってみることにしました。
 ちょうどこの時期は花芽が吹き出し、花が咲いて程なく満開になり、一度に散ったと思えば新芽が生え、やがて緑が濃くなってゆく、というように目まぐるしく変化するとき。
 週単位で追っていくだけでも、変化が楽しめそうです。
 法要が終わった後、今回の表紙写真に決めた場所へ今週も向かいました。
 先週よりも花芽が多くなり、枝が赤く染まって見えます。
 いくつかの木はもう花を付けています。

 写真で後ろを走っているのは東北線の列車です。この列車達もここ2〜3年の間に新型車が入ったり、引退するものがあったりで変化が大きいです。先週のカットは引退間近の115系、今週はそれを置き換えた最新通勤車両のE231系です。桜の変化とともに、電車や列車の動きも楽しめたら、と思います。
 ところで今週出かけてみたら、写真の中央付近になりますが、銀色の骨組みが立ってしまいました。
 どうやら新しい看板を立てるようです。
 せっかく桜と電車の組み合わせにマッチしたポジションを見つけたのに....。これは困りました。場所を変えなくては行けないかも。

  桜並木の定点撮影 バックナンバー


3月26日

 今年もスキーに行ってきました。
 今回は湯沢中里。上越線越後中里駅前にあるスキー場です。
 何といっても電車を降りて即滑れるのが魅力。
 改札を出るとスキーセンターがあって、ここで着替えて道具を付けて、いざ滑走開始!!

 実はここには9年ほど前にも来たことがあります。
 麓には旧型客車を利用した休憩所があって、全部で18両並べられています。
 「ブルートレイン」という名が付いていますが、寝台車ではありません、ただの古い客車です。
 確かに青い列車、ブルートレインではありますが。
 前回訪問のときは18両全てが開放されていて、車両を1両1両見て回るうちに、インテリアが車両ごとに違っていて(例えばある車両は壁がニス厚塗り、次は薄塗り、次はペンキ塗り、またある車両はデコラ板に張り替え、というように)旧型客車の奥の深さに感激した覚えがあります。
 今回訪問のときは一部の車両だけが開放されていました。雪国の汽車気分を満喫します。

 ゲレンデの方はというと、春が近いせいか、残念なことに一部のコースは閉鎖されてしまっていました。
 山頂近くではあちこちで雪崩が発生しているし。
 それでも人出は思ったほど多くなく、空いているコースでめいっぱい、今季の遅いスキーを楽しんできました。


3月19日

 あこがれの、島へ。

 「6日間だけ、島あげます。」
 あるたばこ会社のキャンペーンで使われているキャッチコピーですが、
 島という響きは、何とも魅力的ですね。
 特に歩いて回れてしまうような小さな島とか、地図で見ると行きたくなってしまいませんか。
 周りは見渡す限りの海、自分だけの世界という感じで。
 まあ、一応我々も島国に住んではいるのですが....。

 この週末、思い立って熱海の近くにある初島に日帰りで出かけてきました。
 天気はあいにくの小雨模様でしたが、港では週末を島で過ごそうとする観光客が列をなしていました。
 船に乗って30分弱で、初島に着きます。
 待合小屋の裏では、10匹余りの猫が並んで我々を出迎えてくれます。

 周囲4km。海岸沿いの道を一周しても約1時間足らずで回れてしまいます。
 港の近くでは民宿街、小学校と中学校が1つになった学校、そして海岸線にずらりと並んだ食堂街。
 とれたての海の幸を存分に味わいます。刺身は身が締まっていて、これまた絶品です。

 面積が小さいながらも傾斜はきつく、島の中心部へは階段を上ってゆきます。標高51m。このあたりは古い家屋や小さな畑が並び、生活感たっぷりです。
 坂を反対側に向かって歩くと、リゾートホテルがあります。また一角にはレジャーランドもあり、観光が島の生活を支えていることがうかがえます。

 短い滞在でしたが、こんな雰囲気の中で休日をのんびり過ごすのもいいなあ、と改めて思いました。
 今度は1泊して過ごしてみようかな。

◎初島をもっと詳しく知りたい方はこちらへ。
 「初島で遊ぼう!」


3月13日

 この3月、何と8,000円でJR東日本の新幹線、特急列車が1日乗り放題という、実においしい切符が発売されました。その名も「JR東日本パス」。
 今まで週末2日間16,000円というのはよく発売されてきましたが、1日券はめったに発売されないだけに、これは願ってもない機会です。
 それで行ってきたのが長野でした。長野は東京からあまり離れていないだけに1泊するほどのこともなく、日帰りでさくっと回りたい。こんな時に1日券はありがたいです。しかも大宮〜長野を往復するだけで元が取れるし。

 目的はこのたび引退することになった長野電鉄の通勤車両、10系「新OSカー」に乗ってくること。
 昭和55年、長野市内区間の地下化に向けて登場した自社オリジナル車で、現在でも当線で最も新しい車両です。しかし、1編成2両しか製作されなかったことから使い勝手が必ずしも良かったとはいえなかったようで、数年前に営団日比谷線から大量に転入してきた中古車を差し置いて、齢23年で引退することになりました。
 JRの車両が23年で引退というのは割と普通にある話ですが、地方私鉄では短いです。営団からの中古車が転入時に経年30年、現在では40年を超えてこれからも活躍することを考えると非常に残念です。

 午前中に上田から上田交通に乗って別所温泉まで往復、その後長野市内見物をしてから、長野電鉄を訪問しました。元営団3000系に乗って小布施まで行きます。日比谷線時代を思い出します。
 小布施で降りると、すでにおびただしい数のファンがお目当て電車を取り囲んでいました。

 まだ経年23年、自社オリジナルということで大切に扱われてきただけあって内外装とも非常に美しく、引退するには余りにももったいないです。最近は朝の通勤時間帯にしか走らなかったそうですが、今日は1日、ヘッドマークもつけてもらって主役です。
 折り返し長野へ戻ります。乗り心地はというと、台車に空気ばねを使わなかったせいか、お世辞にも良いとはいえない感じです。線路状態もあることですし、地方私鉄ではこれが普通なのかもしれません。
 車内は満員で、その中をかき分けて数人の係員が記念グッズを売り歩いていました。
 時折乗ってくる一般客が、「何でこんなに混んでいるのだろう」と目を丸くしていました。

10系「新OSカー」の車内。
柄入りの化粧板など、昭和55年当時の通勤車両の内装としては
大手私鉄よりもレベルが高かった。

 最後に須坂まで運転して、これがラストランになりました。須坂到着後も多くのファンがカメラを構えて、別れを惜しんでいました。
 最初で最後のチャンス。この機会に乗ることができて本当に良かったです。
 願わくば他の私鉄に移って、第二の活躍ができることを....。


3月5日

 不思議なことに不幸なできごとは続くものでして、
 またしても身内の訃報です。
 今度は母方の祖母、享年100歳でした。

 100歳まで生き長らえたとはいえ、ここ15年の間は寝たきり状態で、
 最初はおじの家で面倒を見てもらっていましたが、介護に手がかかるようになり、
 最近数年間は施設で余生を送っていました。

 僕が小学生だった頃は、そのおばあちゃんの家に正月に遊びに行くのが楽しみでした。
 おばあちゃんはその当時で70歳台でしたが、とても元気でした。
 何よりもお年玉が楽しみでした。他の親類の2倍や3倍の額のお年玉をくれるので、
 袋を開けては大喜びしていた記憶があります。

 納棺で久しぶりに見たおばあちゃんは、心なしか小さく見えました。
 葬儀にはこれまた親戚中が集まり、僕を含めた孫の代、そしてひ孫の代が勢揃いです。
 子供8人、孫16人、ひ孫が数人。さらに親戚中が寄り集まって、葬儀の席はにぎやかになりました。
 100歳まで生きた、ということで参列者には長寿銭(袋に五円玉)が配られました。

 いちばん大変な思いをしたのは、おばあちゃんを最後まで看取ったおじだったと思います。
 奥さんに先立たれた後も兄弟を代表して母の世話をしていました。
 先日の親父の葬儀にもいろいろ手伝ってくれました。
 ある程度予想はしていたといえ、葬式続き、しかもまたしても自分の番が来るのですから

 僕の方も葬式続き。これだけでは終わらずさらに友人の親御さんの訃報が重なり、告別式を終えたその足でまた次の葬儀に行くという顛末となりました。
 ともあれ、時代を生き抜いた魂たちに、改めて合掌。

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