メゾン 道の果て

えんぷつ 週観 道の果てから

9月27日

 先週16日、阪神優勝の翌日でしたが、100系新幹線が東海道から引退しました。

 100系。東海道・山陽新幹線で活躍した、あの2階建て新幹線です。
 デビューしたのは昭和60年。前回阪神が優勝した、あの年でした。
 今まで新幹線といえば、在来車の0系1種類しか選べなかっただけに、この100系は0系ばかりで面白みのなかった新幹線に、新しい風を吹き込んでくれました。
 高校の鉄道研究会の旅行でも、コースに早速組み込みました。
 奇数号車と偶数号車で1両おきに違えた内装のカラー。
 0系とは比べられないほど深くゆったり倒れるリクライニングシート。
 2階建て食堂車に30分待ちで並んだこと。そして食堂車車内からの眺め。
 これもつい先日のことのように思い出します。

 国鉄からJRに変わって、100系は大量に製作され、仲間が増えました。
 やがて<のぞみ>用として300系が登場しますが、航空機のような内装となり色も1種類になるなど、100系と比べて遊び心がなくなった感じで好きになれませんでした。
 その後も新幹線を使うときは、なるべく100系を選ぶようにしました。
 大阪や名古屋からの出張帰りに、300系なんかよりも深く倒れる100系のリクライニングをいっぱいに倒して、酒とつまみをたしなむ。バックには車内FM放送のクラシックやジャズを肴に。至福のひとときです。
 700系が登場、0系が東海道区間から引退すると、いよいよ100系に廃車が出るようになりました。廃車時の経年(享年)は12〜13年。国鉄時代の0系も多くはこの年齢で引退しましたが、約15年程度とされている新幹線車両の中では短命な部類でした。
 末期は<こだま>専用となり、夏になるまでは時折見かけられました。
 しかし、9月16日を最後に、もう2度と見られない光景になってしまいました。

 最後の日の朝、新橋駅を通過する100系をカメラに収めました。
 車体側面にはステッカーで派手に飾り付けがなされ、いつもと違う雰囲気が感じられました。


9月20日

 ついに阪神タイガースが優勝しましたね。
 今年こそは阪神の年、というわけでマスコミやメディアはこぞって阪神、阪神云って騒いでいたわけですが、その期待に見事(ようやく、か?)こたえてくれました。

 皆様の身の回りにも阪神ファンが1人や2人くらいいることでしょう。
 僕の場合も同僚に1人いまして、
 机の上にはタイガースグッズが並び、
 パソコンのスクリーンセーバーもタイガース。
 お気に入りのサイトももちろん阪神絡みがいっぱい登録中。
 残業時間になるとヤフーの阪神戦速報を見ながら仕事です。
 そして試合に勝った翌日は必ずデイリー紙を買い、その1面トップは保存するそうです。
 まあ、この辺りはファンとして当然の行動でしょう(笑)。
 優勝の翌日は6大スポーツ紙全部を1部ずつ買っていました。
 さすがに川に飛び込むようなことはしませんでしたが....。

 前回優勝したのは18年前、昭和60年のことでした。
 まだこの間のことのように感じますが、もう18年も経っているのですね。
 当時は高校生でした。この年の出来事といえば、いろいろ思い出しますよ、

・中学を出て都内の私立高校に通い始める。
・鉄道研究会に入って、初めて遠距離の旅行(山陰・山陽)をしたり、鉄道模型を作ったりして、どつぼにはまる。
・この年の新車は、山手線の205系、今回引退した100系新幹線(次週はこのネタで)、伊豆急の観光用電車「リゾート21」、そして年末に現れた東海道・高崎線用の通勤形、211系。
・斎藤由貴が大人気。鉄研内部でも熱烈ファン多数。
・8月に日航機が群馬県に墜落、学校の教師も1人が犠牲に。

と、よほどインパクトが強かったのか、思い出がたくさん出てきます。
 その思い出たちの1つに、阪神優勝がありました。
 今までAクラスに入ることもめったになかったチームが、この年は異常に力を発揮して首位独走、リーグ優勝はおろか日本一になった、これだけでもすごい出来事なのに、それを取り巻く阪神ファンが道頓堀に飛び込んだり、カーネル人形を沈めたり、かに道楽を破壊したり。今までここまで派手に騒いだことはなかったでしょう。そういう意味でも印象的な出来事として記憶に強く残っています。
 今回の優勝で道頓堀にダイブした人々の数は去年のワールドカップの記録を破り、のべ5300人に達したとか。それじゃワールドカップのときは、18年前のときは、どれだけの人が飛び込んだのでしょうね。過去のことなどどうでも良くなってるし。


9月13日

 今週は本気で1回お休みにしたいくらい疲れました。
 というのも、先週今週と仕事続きの合間に、広島方面に旅行を1本入れたからというのが真相。
 木曜まで働いて、金土日の3日間で出かけてきたのですが、
 金曜日は出発が朝早く、行程3日間はずっと駆けずり回って日曜の帰りも夜遅く、
 そのまま月曜日から通常出勤。
 これでは道理で疲れるわけです。はい。

 というわけで少し反省も込めて?今回も写真をこちらで公開します。ではどうぞ。


9月4日

いよいよ9月に入りました。
9月1日といえば、防災の日。
例年この日は早朝から防災無線のサイレンで叩き起こされます。
朝7時に、火災発生を知らせる長いサイレン3回。

 う゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、
 う゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、
 う゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、

 心臓がぞくっとします。
 何度聞いても気持ちのいいものではありません。
 以前は朝6時と7時の2回に渡って鳴らしていたこともありました。
 さらに消防車も走り回り、本当に火事があったのかと思ってしまう。
 でもさすがに市民から苦情がきたのか、去年は早朝サイレンは取りやめました。
 今年も前日の事前連絡はなかったので、おそらく鳴らしていないでしょう。

 現在地元では防災無線を使って、
  昼、12:00にチャイム
    13:00にサイレン1回
  夕、17:00にチャイム
 を鳴らしています。
 昔はこれに加えて早朝と夜にもチャイムを鳴らしていました。
 チャイムは5:50,11:50,16:50,20:50の都合4回、そして12:00のサイレンです。
 チャイムの音も現在のような電子音ではなく、鐘の音をテープで録ってメガホンのボリューム最大にしてかけたような、がんがん響く音でした。
 こんなものすごい音を朝早くから聞かされるのですからたまりません。
 「もっとゆっくり寝ていたいのに、5:50になると叩き起こされる」
 そんな市民の苦情が相次ぎ、早朝のチャイムは廃止されました。僕が小学生だった頃です。
 続いて夜のチャイムも、中高生の非行防止が目的で設定されたと言われていますが、非行防止の意味が薄くなったとして、僕が中学の頃になくなっています。
もっとも夜の真っ暗な人気のないところを歩いていて、突然
 ガーンゴーンガーーン!!
 と鳴らされたら、これ以上ぞっとするものはないでしょう。
 その後、チャイムの音質も改善され、時間も現在の通りになって今に至っています。
 都会ではあまりお耳にかかれないこれらの音。これからも市民の時計代わりとして、鳴らされ続けることでしょう。
 最初サイレンの話をしていたのに、いつの間にか話題がチャイムに....。

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