メゾン 道の果て

えんぷつ 週観 道の果てから

4月30日

 尼崎で非常に重大な鉄道事故が発生してしまいました。日本の鉄道システムは安全だと信じて疑わなかったのに、裏切られた思いです。このような悲劇を二度と繰り返さないよう、徹底した原因究明と安全性の強化を望みます。事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


4月23日

 東京のおなじみの光景が、また1つ姿を消しました。
 それは山手線の205系です。

 205系が登場した20年前、僕は都内の私立高校に入学し、池袋で毎日電車を乗り降りしていました。
 山手線で通学していた訳ではなかったのですが、池袋まで来ると山手線の電車を眺めるのが日課になり、
 たまにその山手線で新宿方面にふらっと出かけることもありました。
 多くが黄緑色の103系だった当時にあって、まだ真新しいステンレスの205系は僕にとっての憧れでした。
 最初に登場した4編成は窓が2段式になっていました。乗り換え先の東武東上線のステンレスカーが1枚式の窓ガラスで美しいデザインだったのと比べるとまだ垢抜けした感じはなかったですが、それでも大手私鉄感覚でつくられた205系は、今までの国電と比べると非常に目立つ存在でした。
 その年の夏から量産車が次々に現われました。窓ガラスが1枚窓となったその姿は美しく、ますます205系が好きになりました。それから3年のうちに山手線の電車はすべて205系に代わり、緑の103系は埼京線を始め、首都圏各線へと散っていきました。

 205系には毎日のように世話になっていました。
 社会人になってからは、帰りはいつも山手線の205系に乗り、一番後ろの車両に座っていました。
 11両編成になって増結された6ドア車の液晶テレビを眺めていて、目的の駅で降り遅れそうになったこと。
 埼京線の205系に乗って、並走する山手線の205系を眺めながら、どっちの205系が幸せだろう、と思ったこと。

 気が付けばその205系も登場から15年以上も過ぎていました。
 このまま20年、30年と走り重ねていくのだろうか、と思っていた矢先に、新型車両の導入が発表されました。
 その新型車両、E231系が登場したのは3年前のことでした。
 以降、月2編成のペースでじわじわ置き換えが進み、気が付いたら最後の1編成を残すのみとなっていました。

 205系は、そのほとんどの車両が周辺の各線に転出して活躍することになっています。
 武蔵野線や京葉線や埼京線系統に乗れば、元山手の205系達にいつでも会うことができます。
 しかし、東京の光景がまた1つ過去のものになったことは間違いありません。
 あと10年もすれば、山手線の205系が写っている写真を見て、懐かしいと思うことになることでしょうか。


4月17日

 今年の桜は、短かったですね。
 咲き出すのが例年より遅かったし、咲いたかと思えばあっという間に散ってしまうし。

 日曜日の上野公園にふらりと出かけてみます。
 桜満開の公園内はどこもかしこも人・人・人....で大混雑。
 桜ではなく人込みを見にきているようです。

 上野公園といえば、よく桜の下での宴会風景がテレビで中継されます。
 花見宴会といわれて想像するのが、やはりオヤジ集団が一升瓶を持って....という光景でしょうか。
 しかし実際は、宴会している人たちのほとんどが10〜20代の若い人々でした。
 これは意外だったかも。でも少し考えれば、オヤジ集団もそれぞれに家庭を持っているはずだし、日曜日くらいはゆっくり過ごしたいだろうし、まして若者集団の方がパワーがある。ちょうど新入生歓迎の時期でもあるし。新人さんと桜の下で、となるのは成り行きかもしれませんね。
 そういえば大学時代を含めて、桜の木の下で宴会、というのをしたことがないなあ。

 上野公園の人込みを見ていると、つい地元の河川敷の桜並木と比較してしまいます。こちらも樹齢数十年の大木が並び、その下で家族連れやオジサンオバサン集団が宴を繰り広げています。明らかに上野の桜と比べてまったりとした環境です。これも間違いなく、花見の楽しみ方です。
 どちらの宴会がお好きですか?僕はというと、やっぱり静かなところで花に囲まれて、かなあ。せっかくあちこちに桜が咲いているのにもったいない気がします。何も上野まで出てきて騒がなくても花は楽しめるし....。


4月9日

 思い立って、浅草から水上バスに乗ってみました。
 桜が咲き始めようとする春の陽気の下、乗り場は多くの乗船客が橋の上まで長い行列を作っていましたが、その長い行列も、船が来る時間が近づくと待合所に吸い込まれるように短くなります。
 1隻の定員が約550名。収容力の大きさを物語ります。

 船は30分おきに出航しています。行き先は浜松町近くの竹芝桟橋。
 乗船した「リバータウン号」船内は2階建て構造になっていて、2階がフェリーでよくみられる前方固定式のシートです。
 1階は8人が座れる向かい合わせ式のボックス席。というか、まるでどこかの居酒屋にいるようなおしゃれな空間です。
 夜にこのボックス席に座って、缶ビールではなくグラスワインと豪華オードブルとか出してくれたら、夢のようなひととき..。

 出航した船は少し上流の桜橋まで上ってから折り返し、隅田川を下ります。
 屋形船と頻繁にすれ違います。1分に1〜2隻は出会っているでしょう。屋形船はどれも昼間から宴会中。満開の桜を見ながら屋形船で宴会..誰もが思い付くパターンです(笑)。
 やがて右側に見えるのはホームレス達の青いテント小屋。100軒くらいはありそうで、ある意味壮観です。左側には両国国技館。総武線の鉄橋をくぐり、小型モーターボートに抜かれつつも我が「リバータウン」は悠然と進みます。
 どこかで見たことのある大きな建物が見えてきました。月島の高層マンションです。そうです。会社の窓からよく見える建物です。ということは、反対側を見れば会社の建物が見えるかも....。築地卸売市場の船着き場を通りかかると、その向こうにわずかに見えました。
 船は一旦浜離宮に立ち寄ります。川を離れて運河に入りますが、船長の巧みな舵取りで狭い運河もすいすいと入り込みます。浜離宮で何十人か乗客が入れ替わり、運河から戻って約5分で日の出桟橋に到着。所要約50分。見慣れた街がまた違って見える、素敵な東京・船の旅でした。

 水上バスには他にもいろいろなスタイルの船があり、1隻1隻が魅力的です。時間があったらぜひ全船制覇してみたい、と思うほどのラインナップ。これは船舶マニアへの第1歩....か。


4月2日

 先月末を最後に、ひっそりと消えていったサービスがあります。
 それは、パソコン通信の「ニフティサーブ」です。

 ニフティサーブとのお付き合いは、僕が会社に入社した12年前から始まります。
 当時はパソコン通信が全盛期で、1台10万円するワープロの高級機種にはパソコン通信ソフトが装備されつつあり、パソ通ができることが時代の先端といわれていました。
 でも電話回線につなぐのが面倒臭いし電話代がかかるし、パソ通がなくても生活できるからと、ワープロを買ってもパソ通までは始めませんでした。
 それが会社に入ると、1人1個ニフティのIDを渡され、仕事に活用するようになりました。文書とかFAXを使って送っていたのがバイナリーデータとして送るようになり、設定が少し面倒でも慣れればデータを劣化させずに送ることができました。また電子メールを使って全員に文書を行き渡らせたり、文書をニフティのホストに保存して情報共有を始めたり、これが時代の最先端かな、なんて思いました。
 パソコン通信サービスでは、「掲示板」や「フォーラム」をよく使いました。
 フォーラムは趣味や職業、地域、年代などで同じ考えを持った人が集まるパソ通上の同好会で、僕は「鉄道フォーラム」に入って、電子会議室を見たり、時に発言したり、データライブラリーに車両の絵のデータをアップしたりとよく活用していました。専門誌よりも早く、リアルタイムに情報が書き込まれるのは大変便利で、いつしか鉄道フォーラムの会議室を見るのが日課になりました。
 掲示板はフォーラムとは別に存在し、「売ります」「買います」「教えます」「地域」といったジャンルの掲示板がいくつかありました。その中でも僕がよく見ていたのが8番「スピリット(こころ)のコーナー」でした。ここはいわば何でもありの掲示板。詩や日記、社会への批判や不満、文句、気が付いたことなどあらゆる内容が書き込まれていて、まさに社会の縮図でした。ときにプロの作家かと思うくらい達筆な人が書き込んでいたりして、その見事さにほれぼれするとともに、いつかは8番でデビューしようかと、ネタを準備していた頃もありましたっけ。

 10年前、オウムが地下鉄毒ガステロを仕掛けたときは、8番掲示板の書き込みは1日500件を超えていました。毎日見ないと翌日までには512件を超えた分は古いものから消されていくので、決まった時間に好きなハンドルの発言をダウンロードするのが、これまた日課になりました。
 しかし、その後のインターネットの急速な普及は、パソコン通信を衰退させていきました。鉄道フォーラムはインターネット上の会員制サービスに移行し、掲示板は入会手続き不要なインターネット上の掲示板に流出して1日の書き込み数が減り、毎日アクセスしていたのが2日おき、3日おき、週おきとなって、最近では2週間に1回見ればよいほどに数が減っていました。

 今日、いつも使っているニフティマネジャーでログインしました。
 メニューからフォーラムや掲示板が消えていました。
 ニフティ自体はこれからも大手プロバイダーの1つとして事業が続いていきますし、パソ通のメールアドレスは引き続きE-mailアドレスとして利用できます。
 しかし、パソコン通信サービスの終了で、同時に1つの時代が終わったんだなあ、と感じました。
 インターネットのおかげで世の中はますます便利になりますが、ほんの少しだけ、味わった寂しさ。

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