メゾン 道の果て

9月30日

 近年「働き方改革」という言葉が多用され、在宅勤務やモバイルワークがテレビでもよく取り上げられていますが、我が会社でも本格的にテレワーク(遠隔勤務)の制度が導入されることとなり、テストケースとして今週の平日1日、在宅勤務を体験してみました。

 在宅勤務実施にあたって、まずは自宅パソコンに必要なソフトをインストールします。具体的には、自宅パソコンの中に会社のサーバーの中身を操作できる特別な画面を作ります。会社業務ファイルは基本的に社外秘なので、会社サーバーの情報が外部に漏れないよう特別な画面の中で操作は完結されます。この画面内の情報を画面外のローカル環境にコピーしたり、また印刷もできないような設定になっています。メールや表計算等オフィスソフトのライセンスやデータベースなども会社のサーバーで集中管理されています。
 これらの設定作業や、会社環境への接続確認は在宅勤務前日までに実施し、本番に備えます。

 在宅勤務当日。いつもは朝早く起きて食事してそそくさと出勤するところ、少し起床時間を遅くし、子供と一緒に食事や支度をする余裕もできました。パソコンを起動し、会社環境に接続し、幼稚園に向かう妻子を見送ってから勤務開始打刻をします。打刻はIDカードを使わず、個人を特定するアドレスとパスワードによりWEB上のボタン操作で行ないます。
 外部接続機器(IP電話機)の動作確認を済ませ、作業に入ります。この日の作業はデータベースの整備。作業環境は会社内と比較してもほぼ遜色なく、順調に進みます。何しろ自宅周辺は畑なのでとにかく静か。同僚の余計なちょっかいや上司の呼び出しなどを気にすることもありません。一応電話をつなぎインスタントメッセージも送受信できるようにしていましたが、この日は特に使うことがありませんでした。
 昼休みはリビングに出て料理を作り、庭の植物の手入れをしたりして過ごします。
 15時を回って子供が帰ってくると部屋の外が多少騒がしくなってきますが、それでも会社にいるときよりは効率的に業務を進められます。定時に業務完了報告メールを上司に送って打刻と会社環境からのログアウト(自宅通常環境への切り替え)で本日の勤務終了です。

 在宅勤務を体験しての感想。自分と会社との関係や、時間の使い方について、概念が大きく変わりそうです。
 まず通勤時間がなくなった効果が大きいです。片道所要1時間半、往復3時間。朝はもう少し遅くまで寝られ、混雑する通勤電車に乗る必要もなく、これだけでもかなり楽です。その分家族と過ごす時間を拡大できます。
 また、会社にいると突発的な呼び出しで仕事が増えたり、周囲の話し声が気になったりとかもありますが、雑音環境からも切り離されて仕事に集中できます。テレワーク実施日は残業原則禁止というルールが設けられたことで、職場内で上司の視線を気にしながら残業するということもなく、効率は上がると感じました。
 一方で上司や同僚とのコミュニケーションが十分にとれるかという点では懸念材料も聞かれますが、過度な干渉から少し距離をおきたいという見方ではかえって有効かもしれません。
 テレワーク制度導入後、同僚や上司も積極的に在宅勤務や他事業所での遠隔作業に取り組んでいます。働き方を見直す良いきっかけになりますし、僕自身も一層活用したいと思います。来週も既に丸1日、在宅勤務の予定を入れました。


9月23日

 9月に入って身の回りで特にこれといった大きなイベントもなく、平穏な毎日が続いています(1件だけ、近所で殺人事件があったようですが)。
 そのような中、建物や店舗など日常見慣れた光景が、少しずつじわじわと変化しています。

・幼稚園の建て替えが始まりました。7月にプレハブの仮園舎に移転してから程なく解体が始まり、旧建物群は1週間ほどで姿を消してしまいました。8月以降、基礎工事が続けられています。
・駅に向かう道の途中、新しい住宅が立ち並ぶ一角にグループホーム?と思われる建物が建設されました。以前は畑だった場所で、区画整理後しばらく空き地となっていました。間もなく完工し入居が始まるようです。
・駅近く、3階建て集合住宅の1階部分にあったほかほか弁当の店が閉店しました。10年前の結婚当時よく利用していた店でしたが、いつの間にか店じまいしシャッターが常に下ろされていました。
 と思ったら、駅からやや離れた、中華料理店脇の空き店舗に移転し再開店していました。移転先は駅前よりは少し住宅の多いロケーションですが、採算が取れるのか外野ながら少し気になったりします。
・古い住宅街の中にスナックが並んでいる界隈がありますが、その1店舗に讃岐うどん居酒屋が店開きしていました。
 その他にもローソンがスクラップ&ビルドで移転したり、ガソリンスタンドが吉野家になったり、本屋がスーパーになったり、畑をつぶしてチェーン喫茶店ができたりと、この1年ほどを振り返っても実は結構な数の変化がありました。

 先日、妻が幼少期のアルバムを見せてもらいました。先ほどのほかほか弁当の入居していた集合住宅周辺は幹線道路もまだなく、そこは最小限の遊具だけが並んだ殺風景な公園でした。周囲も更地か畑で、唯一その場所を証明する建物が変電所、しかも現在は色を塗り替えているのでその変貌ぶりに驚かされます。
 幼稚園の写真もありました。解体された建物は妻が幼稚園児だった約40年前の時点でかなり年季が入っていたので、相当昔からあったと思われます。
 小さな変化も40年積み重なれば、街全体が変わってしまいます。さらに何十年後、街はどう変わっているのか。改めて記録の大切さを感じます。


9月16日

 自宅からさほど離れていない場所にある民家の庭に、りんごの木があります。
 幹の太さや枝振りはそれなりに立派ですが、毎年実をつける数が少なく、緑色のを2〜3個見かけるくらいで、さほど気に留めることがありませんでした。
 それが今年は5個実っているのが見え、しかも9月に入ってから少しずつ紅色に染まりつつあります。
 毎日通りがかるたびに、りんごの木を振り返るようになりました。

 自転車で行って回れる範囲にある隣町の農家?の庭先にもりんごの木が複数本あります。
 このうちの1本は地方のりんご園で見かけるように、たくさんの実を付けていました。
 しかし残念なことに実の手入れはされていないようで、果実には鳥につつかれたと思われる穴をいくつも見かけそこから茶色く変色しています。また落果も多いです。根元は耕され十分な肥料が盛られているように見えるのですが。

 小さい頃から、りんごは憧れの果実でした。
 他の果物のみずみずしさとは一線を画した、さっぱりとした触感と甘さ。
 秋冬のシーズンになると親がいつもりんごとみかんを箱で買ってきて食後に、また団欒の場に出されましたが、みかんには見向きもせずいつもりんごばかり食べていました。結婚してからは果物を食べることも一時少なくなりましたが、最近はまたりんごのシーズンを楽しみにしている自分がいます。
 りんごは寒いところでとれるというイメージがありますが、こうして観察していると、東京近郊でも作ろうと思えば作れるのですね。梨畑は多く見かけるのになぜりんご畑が地元周辺にないのか、不思議に思ったりします。


9月9日

 東京メトロ13000系が本格的な営業運転を開始してから間もなく半年になります。
 この間に着実に編成数が増え、既に11編成が運用に入りました。12本目となる13112編成も到着し、整備に入っている模様です。この結果、在籍数全体の4分の1が13000系に置き換わっています。
 朝夕の通勤時にも13000系を見かける頻度が高くなりました。先日は4本連続で13000系が発車していくのを見かけました。いつも通勤に使っている北千住始発の電車は、(女性専用車の並び位置に不都合があるのか)意図的に在来車03系を入れているようですが、この運用にも先日、1日だけ13000系が起用されています。新車だからなのか、ブレーキをかけるときにキキーという音が聞こえ、30年前の211系デビュー当初を思い起こさせてくれます。
 13000系の導入が進む一方で、これと同じ編成数だけ03系の廃車も相次いでいます。いずれも1,2,7,8号車が5扉の編成で、全体で20編成を数えた5扉のグループは急速に数を減らしています。早めの記録をおすすめします。 

 さてこちらはプラレールの東京メトロ13000系です。まだNゲージ鉄道模型でも製品化されていない中、8月下旬に新レギュラー品として早速発売開始されました。伊勢崎線沿線のプラレーラーとしてこれは外せません。
 前面は実物の印象を良くとらえています。側面は新金型を使ったという情報ですが、実物にはない太い窓柱が入って雰囲気が大きく変わります。この窓柱部分を黒塗りしてほしかったなあと。独特の帯塗り分けは上々です。
 これで自宅の東武伊勢崎線シリーズはスペーシアの色違い3本,東急2代目5000系と、この13000系の5編成となりましたが、まだまだバリエーションは少ないです。最近では京急などで事業者限定品のプラレールが充実しつつあるのを見るにつけ、東武のお寒い状況との格差を感じます。まずは共通部品が使える70000系から、バリエーション展開を熱望します。

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