メゾン 道の果て

えんぷつ 週観 道の果てから

6月30日

 箱根の話・続編です。

 翌日は9時頃に宿を出て、箱根湯本駅前から元箱根行きのバスに乗ります。
 実によく晴れた日でした。日頃の行ないがよっぽど良かったのでしょうか。
 車がやっとすれ違うことができるくらいの狭い旧道を、バスは一生懸命登ってゆきます。
 途中、「甘酒茶屋」でバスを降ります。ここで甘味をいただきます。
 次のバスまで30分待ち。それならば旧街道を歩いてみよう、ということになり、
 一同、旧街道ハイキングコースを歩き始めました。
 旧街道は緑いっぱいで、すがすがしい空気を満喫します。
 江戸末期に敷かれた石畳がそのまま現在まで残り、当時をしのばせてくれます。
 しかしアップダウンのある石畳は普通の土の山道より歩きにくいですね。てゆうか山に黒の革靴で来るなよと(笑)。

 箱根旧街道を写す。
 場所によって「イノシシが出没します」の立て札があったりします。何て物騒な。

 40分ほど歩けば元箱根に到着。ちょうどよく芦ノ湖の海賊船に乗り込むことができました。
 甲板は休日を楽しむ家族連れでにぎわっています。
 目の前にたたずんでいたブロンド髪の青い目の姉弟が日本語で会話をしています。どこか違うような。

 桃源台からロープウェイに乗り、大涌谷駅に着きます。
 ここは箱根が火山だった名残の場所。山の斜面の木は枯れ果て、立ち込める白い湯気はただならぬ雰囲気です。
 少し歩いたところに観光センターがあります。ここで名物「黒たまご」をいただきます。6個500円。
 大涌谷の源泉でゆでた玉子で、殻は硫黄の硫化作用で真っ黒になります。1個で7年長生きするとは本当か。でも会社でハードな仕事をするからチャラになる(悩)。
 時間ができたので、大涌谷の現場まで山歩きしてみました。
 遊歩道は多くの観光客でごった返していました。辺り一面、硫黄の匂いが漂っています。
 10分ほど歩けば到着です。源泉には玉子茶屋があり、観光客がゆでたてあつあつの黒玉子を味わえます。隣で籠ごとたくさんの玉子がぐつぐつゆでられています。
 振り返ると、玉子茶屋から麓に向けて空中にケーブルが引いてあるのに気が付きました。玉子茶屋への送電線のようにも見えましたが、ケーブルが2本ずつ往復で、間隔を空けて引いてあったり、先に見える支柱に滑車がついていたり。もしかして....
 そう思った次の瞬間。目の前を、黒い玉子を載せたゴンドラがスーッと滑り降りていきました。
 突然の出来事に、一同唖然としていました。

 恐らく世界唯一?玉子輸送専用ロープウェイ
 麓の大涌谷観光センターと玉子茶屋を結んでいます。麓からは生卵を茶屋に送り込み、茶屋からはゆで上がった黒玉子を麓に運びます。ただいま製品輸送中の姿。

 大涌谷からは新型ロープウェイ、ケーブルカーと乗り継ぎ強羅まで降ります。ここで昼食後、さらに登山電車に乗り換えます。
 沿線はあじさいが見頃の季節。だが座席にありついた参加者一同は既に爆睡状態。あじさいを楽しむ余裕などない様子でした。
 箱根湯本に戻ってきました。ラッシュ並みの大混雑をよそ目に、お土産を買った一同は再びロマンスカーの人となります。
 帰りの小田急ロマンスカーは、実は行きと同じ7000系LSE。しかも同じインテリアカラーの号車。共通運用の10000系HiSEが来るのを期待したのですが、ともあれ最後は静かに、日の暮れないうちに、旅は締めくくられました。お疲れ様でした。


6月24日

 会社で、箱根に一泊旅行に出かけました。

 毎年6月20日は会社の創立記念日。会社は午前中で実質業務終了となり午後は早く帰れます。
 今年は20日が日曜日なので、半日休みが週末の18日に繰り上がりました。
 この半日休みと土曜を組み合わせて、一泊温泉旅行が企画された、という訳で。
 参加者は部のメンバー10名余りです。全員参加ではなかったのが残念ですが。

 行きは新宿から小田急ロマンスカーに乗車します。
 平日午後のロマンスカーは短距離の用務客が多く、宴の雰囲気にはまだ早いですが、
 構わず酒とつまみを並べて、プレ宴会が始まっています。
 1時間半の道中、酔客の大きな話し声が車内に響き渡り、一般客の皆さんに迷惑をかけていたかも。すみませんでした。

 箱根湯本に着き、送迎バスでお宿に案内されます。
 ご自慢の露天風呂に早速つかり、青い空を眺めて仕事のことだけは忘れます。
 料理人さんの丹精が込められた夕食をいただき(ゼリーを細かく切ってあじさいの花を表現したデザートが心憎かったです)、ここまでは定番通りでした。

 問題は2次会から。部屋に戻ってゆったりと杯を交わしていたところへ、幹事さんが持ってきてくれたのが、
 何と、ジューサーミキサーのミキサー。
 しかも旬の食材をとことん仕入れて。
 もう、これから何が起こるかご賢察いただけますよね。
 今まで数多くの宴会をこの目で見てきましたけれども、
 あの重たいミキサーを、わざわざ箱根の温泉宿までかついで持ってきたとは前代未聞です。

 2次会のメインイベントは、古今東西山手線ゲーム。
 答えをとちったり間違えたりしたら、即罰ゲームが待っています。
 その罰ゲームこそ、まさにあのミキサーの出番です。
 ミキサーにいろいろな食材を1つ1つ投入して、ゲームで外した人はそれを飲まなければなりません。
 最初はヨーグルトに豆乳、スナック菓子、ここまでは良かったのですが、
 その後が納豆、青汁、激辛鷹の爪、きな粉、豆腐、ひじき、マスタード、等々。
 単品ではそれぞれ栄養満点の品々ではありますが....。
 だんだん参加者の眼が血走ってくるのがよく分かります。異常な盛り上がり方です。
 最低でも30過ぎた、いい歳こいた大人たちが、よくまあこんな馬鹿なことで盛り上がれるなあ、と感心するくらい。
 最後にはミキサーの中身は程よくウグイス色になって、外見はメロンジュース、匂いはすっぱい納豆、いや、下呂(失礼

 宴会は日付が変わる頃にはしっかり終わります。せっかく箱根まで休みにきたのですから。
 布団に入って心地よいお休みを、と思いきや、どうも体が熱くてなかなか寝付けません。
 しかも室内のあちこちから大いびきが聞こえてきます。いびきの発生源のお隣さんはたまらなかったでしょう。

 翌日はいよいよ箱根をぐるりと回りますが、この話はまた次の回で。お楽しみに。


6月17日

 夏が、近づきつつあります。

 激辛食品のお出ましのシーズンです。
 夏が近づくと、コンビニには激辛弁当やカップ麺、激辛スナック菓子の新製品が出回ります。

 会社の近所にあるローソンで、「CHOU KARA(ちょうから)」なる菓子が売られていました。
 ジャパンフリトレーが発売しているコーンスナックで、パッケージは真っ赤なトムヤムクンと、真っ緑(発音しにくい?)のグリーンカレー、2種類です。
 残業中のサイドメニューに、辛いもの大好きの同僚への新ネタにと買って帰りました。
 トムヤムクン味の袋を開け、早速口に放り込むと、

 うわっ。

 最初の1、2口から結構な辛さでしたが、あの東ハト「暴君ハバネロ」に比べるとまだちょろいなー、と思って、調子に乗っていると、

 じわじわと辛さとレモンの酸味が浸透してきます。
 袋の5分の1も食べていないのに、汗だらだら、鼻たらたら。
 ついに辛さの頂点に達し、あわてて流し場に駆け込み水をがぶがぶ飲む始末。
 その後も20分は口から辛さが引きませんでした。

 それでも懲りない筆者、日を改めて今度はグリーンカレーの方にも当たってみます。
 スナックの表面には赤い唐辛子の類など見当たりません。だまされたと思って食べてみると、

 本当にだまされます。ココナッツミルクで少しマイルドな味わいが、と思って、調子に乗っていると、

 舌に突然辛み成分が侵略してきました。辛いというか痛いような。
 水で数回ぶくぶくうがいをしても、しばらくは舌の感覚が麻痺していました。

 CHOUKARAのCHOUは、シュークリームのシューと同じスペル。
 シュークリームのような甘さは少しはあるのかな、などとなめてかかると被害に遭います。気を付けまCHOU(笑)。
 本製品は、現在ローソンとファミリーマートの店頭で確認しています。

 ローソンでは他に「ベビースターラーメン」の激辛チリ味とキムチ味が売っていました。
 チリ味の方は既に試食してみましたが、これもベビースター史上最強の特辛ぶりです。
 このネタを書こうと、製造元のおやつカンパニーのページをのぞいてみると、さらにカレー味もリリースしているらしい。

 ということでここ2週間は、昼食のカップ麺を含めて辛いものづくしです。
 先日はカネボウフーズの「カラメンテ」激辛ブラックカレー味というのが復刻発売されていて、これまた調子こいて食べたら数時間口の中がひりひりしていたし。まあ胃袋がいかれない程度にほどほどに。


6月10日

 この週末、大学の合唱団の練習に参加してきました。

 今年は合唱団の定期演奏会が40回目を迎える年です。
 40回目になるのを記念して、現役団員と卒業生の合同ステージが企画されることになりました。

 今年は例年になくたくさんの1年生が入部してきました、その数30名近く。
 いつもの年で毎年数人ずつなので、今年はまさに空前の大豊作といったところです。
 2〜4年生の合計よりも1年生の方が多い状態。人数の分だけ、声の厚みも増しています。

 合同練習ではOBOGも輪に加わります。
 参加する年代も非常に幅広く、下は今年卒業した人から、上は何と60歳代まで!!
 10年前、15年前も同じような合同ステージを経験しましたが、参加者はどちらも最年長でせいぜい卒業して数年くらいでした。
 この法則で行けば、今回は最年長参加者は僕....と思ったら、僕の上の世代で何名もいらっしゃっていたのは予想外でした。
 そしてうれしかったのが、僕の代のすぐ前後の代で多く参加されていることでした。
 中には10年ぶりに再会した方もいまして、本当に感激の嵐です。
 かくしてたくさんの新1年生に囲まれつつ、オジサン世代になった僕たちも負けじと張り切って歌うのです。

 曲目は、フォーレの'Requiem(op.48)'です。3大レクイエムの1つに数えられる有名な作品ですが、音取りはあまり難しくなく、歌から何年も離れていたり、毎週のようには練習に参加できないような卒団生でも気軽に取り組めます。この気軽さが、また多くの卒団生参加者を呼び込んだのかもしれませんね。
 演奏会の本番は12月に予定されています。
 これから半年間、多くのメンバーとの出会いを通して、歌う歓びを分かち合いたいと思います。


6月3日

 先週うどん屋とホームセンターの話を書きましたが、
 お店とか、ほんのわずかな間目を離しているうちに結構変わっているのが多いです。

 2年前、街では2軒目のチェーン居酒屋と一緒に登場したコンビニ「スリーエフ」。
 その店は今年の春、あっさり閉鎖されてしまいました。
 営業期間はたったの1年と数ヶ月。はかない命でした。
 代わって入居したのが調剤薬局。気が付いたら営業を始めていました。
 駅前にはもう1軒、地場系のコンビニがありましたが、こちらも知らない間にディスカウント酒屋に業態変更していました。
 まあこちらは元が酒屋でしたから、それほど驚きはしませんでしたが。
 かくして3軒も乱立していたコンビニも、ファミリーマートが1軒だけ生き残った次第です。

 大宮駅近くのラーメン屋も、カップになった「まっち棒」が撤退し、坦々麺の店になっていたり、
 七福人は2店が撤退して五福人状態に。

 もちろん勤務先の新橋、汐留でも変化は進んでいます。
 窓から見下ろす新橋の街に、いつの間にか
 「ドンキホーテ
 の看板が立っていました。
 しかもやや離れた場所に2ヶ所も。

 昼休みに、2ヶ所を両方回ってみました。
 大型連休中に既にオープンしていたらしく(編注:4/26オープン済)、どちらも盛業中です。
 首都高の下にできた1店は「本館」を名乗り、
 他のドンキと同じように、食品、雑貨、スポーツ用品、化粧品などといった類いが所狭しと積まれています。
 新橋駅近くのもう1店は「ブランド館」で、7階までのフロアを店舗として使っています。
 上層階はブランド品を多く扱っていますが、1階部分は雑貨山積みで「ミニドンキ」といった趣。
 これから用事があるごとに通っていきそうです。
 1つだけ残念なのは酒類を扱っていないこと。
 しかも「チューハイ用グレープフルーツ200%」とか置いてあるのに、なぜ酒が置いていないのでしょう。不思議です。

BACK道の果て バックナンバーへ
TOPトップへ戻る