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週観 道の果てから

4月30日

 いつも通勤に利用している東銀座駅。
 交差点の一角に威風堂々と構えている建物、歌舞伎座。
 その歌舞伎座が今日を最後に閉場するそうです。

 現在の歌舞伎座の建物が建ったのは昭和26年のこと。一見もっと古くからある建物に見えましたが、意外にも歴史は新しいようです。とはいえ築60年近くなり、確かに建て替えが必要な時期になりつつありました。
 1年以上前から正面玄関前にカウントダウン電光掲示板が設置され、「あと***日」という表示が毎日1つずつ小さくなっていくのを見続けてきました。あと100日、50日となると、心なしか観光客の数が増えてきたような気がします。
 4月に入ると、歌舞伎座周辺でカメラを構える人を見かけるようになりました。鉄道車輌が引退したりするときと同じように、その建物がなくなるのを惜しむ人達はやはり多いようです。外から歌舞伎座を見守ってきた僕にとってもまた、名残惜しく感じます。

 今日も帰りに東銀座から地下鉄に乗ろうと向かっていると、交差点でピピピーという音が聞こえます。
 まさかこんな都会で蛙の鳴き声、と思って近づくと、それは警察が交通整理で笛を鳴らしている音でした。
 正面にはカラーコーンが並べられ、その内側でたくさんの人達がカメラ付き携帯を建物に向けていました。

 今日は閉場式。歌舞伎役者200人が舞台に並んであいさつしたそうです。
 歌舞伎のことについてはあまりよく知らないのですが、歌舞伎座60年近くの歴史を締めくくるにふさわしい最後となったことでしょう。

 建物は解体された後、平成25年春に29階建ての新しいビルに生まれ変わりますが、その顔となる部分は、現在の歌舞伎座をそっくり再現するそうで。良き伝統と新しい時代を組み合わせた新・歌舞伎座の完成が期待されます。


4月24日

 このところ寒暖の差が激しく、桜が咲いて散りかけたところへ雪が降ったり(!)で、植物もびっくりしているのではないでしょうか。春を迎えた、庭の植物達のその後です。
 (10月14日11月24日の回と比較してみてください)

 白樺は4月の2週目、桜の散る頃に入ってようやく芽を吹きました。
近所に何軒かある白樺はどれも3月中に芽が出て、4月1週目では若葉を茂らせるところまで育っているので、生育が遅れているのか本気で心配しましたが、販売していたホームセンターの苗木も自宅のと同じ状況だったので一安心。若葉は少しずつ大きくなっていて、毎日の成長が楽しみです。
 周辺の草花も種類、量ともに増えました。姉夫婦の家に預けていた植木鉢も集められ、玄関先は一層にぎやかさを増しています。後ろの花壇にはチューリップやすみれが直植えされました。
 玄関左手の花壇にも、パンジーが直植えされました。
 紅白さくら草の鉢、窓にはシクラメンが彩りを添えています。
 西側。植木鉢の数は以前とあまり変化はありませんが、秋と比べると咲いている花の種類も少し違います。
 右手軒下の土部分には、連休中に芝生を敷く予定。
 東側。バックに写っている隣家が完成したのが大きな変化です。雲南黄梅の黄色、花大根の紫が今の主役です。雲南黄梅は挿し木で複数の鉢に分けて育っています。
 この写真では分かりにくいですが、塀のすぐ脇に、実家から持ち帰った三つ葉の根を植えています。一度茎を全部切って食用にしましたが、新たな芽を出して生命力を見せつけます。

 春を迎えているのは、室内で年越しした観葉植物も同じです。3年目のパキラは大きな葉が次々枯れていく一方で、茎の先端から小さな新芽がいくつも出現しています。紅白のアンスリウムは2株あるうちの一方は新芽を出してきましたが、もう一方は成長が止まっているようで少し気がかりです。クワズイモやテーブルヤシも健在。それぞれに新しい成長を始めようとしています。


4月17日

 成果発表会の方はひとまず無事終了しました。2年生部員の発表も、自分の報告も、滞りなくできて良かったと思います。

 さてその成果発表会は南武線沿線の事業所で行なわれました。当初予定は新橋の本社内会議室だったのですが、都合により急遽変更となったものです。
 その事業所にはたまに用事で出かけることがあります。今までは、新橋から南武線沿線に出るのに川崎を経由するか、天気が良ければ横須賀線で新川崎で下車、鹿島田まで歩いて改めて南武線に乗る、といったコースでした。しかし地図で見るとどちらにしても相当な大回りをしており、武蔵小杉辺りに駅ができたら移動時間が短縮できるのになあ、以前から思っていました。
 そこへ今年の3月、武蔵小杉駅に横須賀線ホームが開設されました。
 横須賀線は南武線や東急の武蔵小杉駅からやや離れた場所を走っており、従来の駅とどのように接続させるのか気になっていましたが、今回の出張で武蔵小杉乗り換えの新ルートを使うことができたのでレポートします。

 新設された横須賀線ホーム。
 下り線を外側に移動させて島式のホーム部分を設置する大がかりな工事になりました。

 横須賀線ホームから南武線ホームへの連絡通路。現在は仮設のもので、完成するのは1年後とのことです。仮設ではあってもある程度の通路幅は確保しているようです。
 距離は最短で350mほど、所要時間は約6〜7分(走って3分?)かかりますが、東京駅の京葉線連絡通路に比べたらこちらのほうがまだ短く感じます。
 通路の先に南武線ホームが見えてきました。
 まっすぐ進めば下りホームで、このまま電車に飛び乗れます。
 上り電車からだと写真に写っている跨線橋を渡る必要があり、階段をさらに上下します。

 帰りは改札を出て乗り換えしてみました。連絡通路が工事中で狭いという理由により、来年春までの時限措置で、30分以内であれば改札から外に出て乗り換えることが可能になっています。
 オレンジ色の自動改札機を通って東急線との連絡通路を渡り表に出ますが、改札外ルートはかなりの遠回り、しかも途中に信号もあって、乗り換えには最低でも10分は欲しいところ。というのも、横須賀線口の改札は横浜方先端に近く、東京寄りにある連絡通路と正反対の位置にあるからです。
 加えてこの日は雨風が強く、傘が吹き飛びそうになるのを必死でこらえながらの移動です。屋根が付いている連絡通路のありがたさを感じます。

 こちらが新しい横須賀線側の駅前広場。スーパーも入居し、電車が来るまでの間に軽い買い物もできます。

 横須賀線武蔵小杉駅ができたことで、東京都内から南武線沿線に向かうのが便利になりました。
 従来の川崎経由と比べ、川崎〜武蔵小杉間をショートカットした分、時間にして12分も短縮し、早く現地に行けるようになりました。
 また運賃面でも、例えば新橋から武蔵中原までの場合、今までの川崎経由で450円、新川崎下車鹿島田乗車で290+150=440円かかっていたのが新ルートではたった290円で済むようになり、懐にもかなり助かります。
 改正で南武線の昼間の運転間隔が12分おきから10分おきになって分かりやすくなったこともあり、一層使い勝手がよくなったと感じます。あとは横須賀線の本数。15分おきはあまりに寂しく、せめてこちらも10分おきにして欲しいところですが。


4月11日

 会社では新年度を迎え、年度末の実績集計や予算策定用資料の整備などで大変忙しい毎日です。
 そのような中、今度の月曜日にうちの2年生部員が成果発表会のプレゼンテーションをすることになりました。
 成果発表会とは、所属する本部、または統括部の新人と2年生が一堂に集まり、この1年間、先輩達と一緒に仕事をして学び、経験し、そこから感じたことを発表する場です。プレゼンテーションソフトで報告資料を作ってスライド化し、壇上に立って報告します。発表時間は約8分、スライドは5枚程度にまとめる、との指示が事務局からありました。
 準備は時間に比較的余裕のある3月中旬から始めました。資料と発表原稿はもちろん2年生部員が自分で考えて作成するのですが、僕はトレーナーとして、もう1人の同僚とともに資料や原稿をより良くするために指導を行ないます。1回目の進捗打ち合わせの時点で既に完成度の高い資料が持ち込まれてきました。さすがは若手有望株。細部の手直しはしましたが、基本線はそのままにして次の部長報告に持って行きます。部長報告でも大きな修正はなく、次は発表用の原稿を作ってもらいます。
 出来上がった原稿を使って実際に読み上げながら進めます。最初は目標8分以内のところ13分かかりました。余分な内容を削って骨となる部分を残すようにし、8分に収まるよう調整しました。こうして3月末までには最終版に近い内容に仕上がってきました。というのも、4月に入ると集計作業で時間があまり取れなくなるからです。しかし集計の合間にも、彼女は一生懸命資料を手直ししたり、原稿を眺めたりして最後の調整に励んでいました。2年目を締めくくる大仕事ですからね。

 一方、僕もトレーナーとして2分程度のコメントを求められることになっています。実際の教育は同僚2人に任せてしまった部分も多く、正直あまりトレーナーらしい役目をしてこなかったですが..。考えた末、原稿の内容はおおよそ次の通りにすることにしました。
 ..(報告者は)昨年3月に当部門に転入してきました。今までの仕事からは全くといって良いほど違った内容、違った環境で仕事をすることになり、相当な戸惑いがあったと思います。集計作業も最初は間違いが多く、手順書を指さして、ここはこのようにしてください、と逐一説明してきました。しかし仕事に慣れてくるにつれこうした間違いも少なくなりました。特に最近では集計業務のマニュアル化、すなわち自分が担当する集計作業を、他の誰にでもお願いできるような図や絵の入った分かりやすいマニュアルに作り直す、ということをさせました。その結果、集計作業が可視化し、集計ミスがほとんど起こらなくなりました。マニュアル自体も、当部門の他のメンバーと比べても洗練されていて、ここでは前部署の経験が役に立っているところがあるのかな、と考えています。
 今年度は3年目ということで、単純作業から2歩も3歩も飛び出してもっと中核的な業務、例えば統計帳票をより使いやすく手直ししたり、他の本部窓口と仲良くなって仕事を連携したり、生産平準化運動関連で工場見学に行ったりして、さらに業務経験を積んでいただきたいと思っています。また全国の営業事務を総括している当部門の立場を生かして、全国の営業事務や営業担当の皆様に何か提案ができるような、そんな仕事もできたらと思います。

 ..と、この原稿を書いているうちに思い出したのは、ちょうど1年前、高校時代の同級生が結婚したときの披露宴スピーチでした。
 このスピーチでは、同級生の20年来となる付き合いを振り返り、時に過去の写真を引っぱり出して、あんなことこんなことがあったなあ、と思い出しながらつづった覚えがあります。
 それと良く似ていますが、今回のはまじめな席なので笑いや毒成分は加えずに、素直に1年間の成果を、大きな声で伝えてゆきたいと思います。(結婚式のビデオを後で見たら、声が良く聞こえていなかったので..)

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