メゾン 道の果て

10月26日

(前編からの続き)
 女川町の体育館やグラウンドが山を少し分け入った場所にあり、バスはつづら折の道を登ってたどり着きます。山の上に作られていた体育館やグラウンドは、津波の被害から免れ避難場所として利用されました。後にグラウンドには復興集合住宅が建設され供用されています。体育館では町職員から、復旧への道のりについて講義を受けました。
 この後バスは西に進み、石巻市方面に戻ります。昼食は車内で弁当が配られました。「あがいん弁当」といい、
現地の方言で「召し上がる」と、英語のagainをかけ、再び立ち上がる決意を名前に示しています。
 途中、道の駅「上品の郷」で15分休憩を取りますが、買い物をしている余裕もなく慌ただしく出発します(下写真)。

 よほどお疲れの人が多いのか、バスの車内は昼寝している人が多く至って静かです。車窓からは時折仮設住宅が見え、生活再建もままならぬ方々が今もおられることを思うと少し心が痛みます。
 仙台市内の会議室に予定通り戻り、以降はグループ形式で、今日の視察を通して感じたこと、思ったこと、そして復興のために自分が何をできるか、について意見を出し合いました。各グループから代表を選び、1人ずつ発表しますが、これを聞いていると、
 ・個人単位でできること(現地に出かけ観光スポットで消費する、現地産の物品を購入するなど)
 ・グループでできること(情報共有,連絡体制の整備,訓練の実施)
 ・会社レベルでできること(インフラ整備など技術的支援、人材育成、斡旋販売など)
の3つに大きく分けられます。それぞれのレベルごとに、求められる支援の内容も大きく変わってきますが、まずは機会をとらえて実践することが大切と、各グループの発表を通して教えられました。

 合宿研修を通して感じたこと。最初、現地に集団でわざわざ行って何をしてくるのだろうと思いましたが、実際に現地を視察し、話を聞き、みんなで考えて情報交換することで新たな気づきが出てきました。瓦礫がすべて片付けられて新しい町づくりが進められているのをこの目で確かめられたのも収穫の1つですし。その一方で、
 ・人口の流出問題。町の再建に時間がかかり、その間に住民が便利な大都市へ転出し戻ってこない
 ・工事業者の出入りが町を支えている側面
 ・鉄道や大企業の事業所には絶大な信頼→廃止や撤退で町が一気に衰退する危機
という課題も、今回の気づきとして挙げられます。
 それから行程の都合とはいえ、現地視察時間が短かったというのも感想です。個人的には女川の復興商店街にも立ち寄り、買い物や食事をする時間を長く取って欲しかったなあと。ホヤやサンマ、ホタテなど海産物を始め食にも魅力はあふれています。せっかく訪れたのに現地の食に触れられず、お金を落として経済活性化のお手伝いができなかったのも残念なところです。また何年か後、この企画をするときはぜひ再考いただきたいと思いつつ、東京方面の新幹線に乗り込みました。


10月20日

 年1回の労働組合合宿研修が、今週実施されました。
 今年は例年と趣向を変えて東北での合宿研修となりました。テーマは「震災復興で、私たちにできること」とし、現地をこの目で確かめて、自分達に何ができるかみんなで考える、という趣旨だそうです。
 初日は午後、仙台の会議場に集まり講義を聞きます。翌日の現地視察を前に予備知識として、震災発生時から復旧まで、会社の東北地区各拠点がどのように対応したかを学びます。
 この後バス3台に分乗し、松島の観光ホテルに移動します。17:30にもなると外は真っ暗になり、どこをどう走っているのか全く分かりません。ともあれ高速を使って1時間ほどで到着。この後懇親会となります。
 宿泊した部屋は3人部屋で、同室となった人が飲んで騒ぐことが好きな明るい人だったこともあり、部屋を開放して、知り合った人を何人か集めて宴の続きとなりました。時間を忘れ、気が付けば2時を回っていました!学生時代の夏合宿のようなノリで。

 睡眠時間も十分に取れないままに、翌朝は7時前に起きて、8:00には貸切バスに乗って出発します。ホテルの部屋からの景色は下写真のようにすばらしいものでしたが、景色を楽しんでいる余裕もなく。

 まずは高速で石巻市に向かい、北上川沿いに下って旧河北町の大川小学校跡を訪問します。付近一帯の平地は更地となり何も残っていない中、わずかに生き残った小学生達の希望で廃墟となった学校建物が保存されていると聞きます。ここで一旦下車し、慰霊碑に花を手向けました。
 ちなみに帰宅してからネット地図の航空写真を見ると、データが震災前のまま残っていて、学校周辺はたくさんの住宅が、それこそびっしりと埋まっていました。これらがすべて流されてしまったのですね!!

 続いてR398で旧雄勝町を経由して女川町に向かいます。旧河北町もそうでしたが、土砂を積んだ大型トラックが平地を、山道を頻繁に行き交い、復興が途上にあることを強く印象づけています。
 女川は9年ほど前訪問したことがありますが、ごく普通の港町といった印象でした。それらが15m以上の巨大津波によってことごとく失われてしまいました。今年春にようやく復旧した駅の周辺は盛土工事の最中で、9年前の日常とも、被災直後の瓦礫の山とも全く異なった様相です。
 まずは海岸沿いにあるプレハブの「情報交流館」に立ち寄り、町職員から説明を受けます。ここには町の復興計画が模型で分かりやすく示されています。震災前と再開発後を見比べながら、変わっていく町の姿を想像するのは楽しいことですし、前向きな希望でもあります。
 周辺では山が切り崩され、新たな住宅地の造成が進められています(下写真)。海沿いには真新しい漁業関連施設が並び始めています。5年後、ここはどのような姿に変貌していることでしょう。

(後編へ続く)


10月12日

 以前、自宅周辺は都心25km圏に田んぼが広がる、と書いたことがありますが、
 そんな環境が、残念なことに大きく変わろうとしています。

 自宅裏に広がっていた田んぼの一部が埋め立てられてしまいました。
 昨年までは水が張られ、いろいろな小動物の成長を見守ってきましたが、今シーズンは耕作が見送られました。
 そして夏を迎えた頃から埋め立てられ、宅地として区画が切られました。
 8月に入って住宅の基礎工事が始まり、9月から柱が建ち始めました。
 現在、木造2階建て住宅が8棟建設中です。
 蛙さん達の冬眠時期を外して埋め立てたのは良かったのですが、来年からは産卵や成長の場も狭くなってしまいます。
 開発の裏には、土地所有者の相続などで売却しなければならなくなった事情があるのかもしれませんが、「ある意味奇跡的に残された空間」が狭められてしまうのは惜しまれます。

 一方、駅近くには工場跡地とされる広大な広場があります。僕がこの地に住む前に工場は撤退し、操業していた時代を知りませんが、その広さゆえ町の産業を大きく支えていたのだろうと思います。
 その広場もようやく再開発が始まり、一部が切り分けられ宅地として販売が始まりました。既に何軒かの住宅が建っています。周辺では区画整理が行なわれ、整理対象となる土地の住宅が逆に取り壊されています。
 かと思うと、町の中心近くで何年も人が住んでいない古い空き家が放置されていたり。
 長く駐車場だった場所に、薬局が入居する建物が作られようとしたり。
 土地の使い方は所有者の自由勝手かもしれませんが、もう少し街の背丈に見合った開発のあり方、というものがあってもよいのかなと思います。


10月4日

 子供が少しずつ成長するにつれ、おもちゃの数も着実に増えつつあります。
 自分達が買ってきたのは少なく、実は妻の姉夫婦が買って持ち込んできたのが大半だったりしますが。
 今週はそんなおもちゃ群の中から気になるアイテムを。

 ラジコン制御の多足歩行ロボットです。前述の姉夫婦がフリーマーケットで見つけてきました。
 コントローラーの右と左のレバーを上下に動かすことで前進・後退・回転といった動きをします。
 歩き方がユニークで、ムカデのような多足生物とも違う、むしろ人が固まって集団行動しているような、実に不思議な動きをします。2歳児にはやはり早すぎたようで、動かすと部屋を逃げ回り遠くから眺めていたりします。かと思うと停止した本体やコントローラーを抱えて持ってきて、動かして、という仕草をしたり。子供の心理は分からないものです。

 お馬さんです。妻子2人でフリーマーケットに出かけてきて、子供が見つけてこれに乗っかっていたので買ってきたといいます。本体は厚手のビニールで、空気を入れて使います。100円で入手との談。
 それにしてもこの形、惚れ惚れしませんか?お馬さんの表情といい、素朴な色使いといい。正面から見るとボウリングのピンを思わせる丸くて美しいデザイン。余分な飾り付けがないところが、ふた昔前の、昭和40年代に流行したおもちゃの類を思わせ懐かしい気分になります。子供も美形のおもちゃを見つけだすセンスがあったりして。

 他にもプラレールアドバンスとかも持ち込まれてきましたが、これを語り出すと少し長くなりそうなので、機会を改めることにします。

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